1 パリ神学校
大好きな偉人のお話を書きました! 皆さんにピニョー猊下のことを知ってもらいたいと思って。ちなみに、彼の事績の事をより詳しく知りたい時は、集英社のアジア人物史8がおすすめです。
感想をいただけると、ものすごく嬉しいです。
「おやおや!」
大量の紙束を抱えた、白い眉の司祭は、若干の驚きをこめて呟いた。
パリ外国宣教会の本部でもあるバック通りの神学校で、彼は日々書簡の仕分け・保存に精励している。今、彼の目の前には珍しい客人が__ざっと数えて二十人弱。いずれもつるりとした赤い頬の青少年か、年端もいかない子どもたちだ。軍隊のように同じデザインの高価そうな革のコートに身を包み、不安げに司祭の顔を見つめてくる。
神学教師を務める同僚司祭に呼ばれ、文書蔵から出てきた司祭は、しばらく経っても当惑を解消できず、瞬きを繰り返した。
「君たちは、一体__?」
すると、最も背の低い児童が司祭に答えた。
「ぼくたち、兄様の手紙をもらいにきたんです」
「兄様は、極東のどこかにいるんです」
兄妹たちは、口を揃えて賛同する。司祭はそんな子どもたちの様内心内心微笑ましく思いながらも、事務的に答えた。
「ああ、宣教師の家族ね。ご苦労様」
パリ外国宣教会は、毎年三十人前後の宣教師を、遠い異教の国へ派遣している。この神学校で公教要理を学び終えた新米司祭は、机を並べて共に勉学に励んだ学友とは時に地球の裏表ほどに離ればなれになりながら、残りの人生を異国での宣教に捧げるのだ。まともに機能する司教区も、下手をすると教会すらもない世界の果てで。彼らのほとんどは、故国フランスに残してきた家族に二度と会えない。
それでも、最近は宣教師たちと家族の距離が随分近くなった。宣教会が設置した通信館のおかげで、フランス本国と宣教地の文書のやり取りは年間三倍以上に増加し、宣教会本部も、司祭たちの家族も、国を出ずして宣教師たちの近況を知ることができるようになった。
それにしても、兄弟総出で手紙を取りに来られたのは初めてだ。
「君たちの兄上は、何という名前だね?」
「ピエール」
さえずるように幼女が呼んだ。背の高い、やせた青年が彼女の頭に手を置いて言い添えた。
「ピエール・ジョセフ・ジョルジュ・ピニョー・ドゥ・ベーヌ……それが兄の名前です」
「ああ、分かった」
司祭は書類を抱えたまま文書蔵へと戻って行った。その場に残された子どもたちは顔を見合わせる。故郷のベーヌ村を出発する前の母の嘆きが皆の頭をよぎる。
『ピエールはもう、死んでいるかもしれないよ。悪い原住民に殺されて』
だが、少しの時間彼らを待たせただけで、司祭は戻ってきた。今度は、大きな木の箱を両手に捧げ持っている。
「ほら、ピニョー司祭の書簡だ。五十通以上あるぞ」
箱を渡された青年が驚きに目を見開いた。
「五十通……」
「しばらく、誰も手紙を取りに来なかったようだから」
年長の若い女が言い訳めいた説明をする。
「父と母は、兄の外国行きに反対していたんです」
「兄様が、ベーヌ村の司祭になってくれると信じていたから……」
弟妹たちの口々の弁明を司祭は聞き流した。
異国行きを家族に反対されている宣教師は珍しくもない。普通の人間は、口ではパリュ猊下やロード猊下のアジア宣教事業を褒めそやしていても、実際に我が子がどこか遠い海の向こうに旅だってしまうのは耐えられない。当の宣教師たち自身は、宣教への期待と情熱に突き動かされ、さっさと船に乗り込んでしまうのだが。
本部に残っている自分たちに、そうした不満をもつ家族への対応を丸投げするのはよしてほしい……そう思いながら、司祭は無表情に十八人の若者たちを見下ろした。
最年長らしい青年が司祭に向かって律儀に頭を下げ、いそいそと神学校の玄関から出て行った。彼の抱えた重い箱を、小さな妹が飛びつくように奪い取った。兄妹たちのふざけ合う声がバック通りを軽やかに駆け抜けて行った。
ゴトゴトと音をたてて箱を上下左右に揺らしているのは、末っ子のアンヌである。
「何て書いてあるのかなあ」
アンヌは、早く手紙を読んでみたくてたまらない。読み書きを習い始めたばかりだから結局はほとんど兄や姉に読んでもらうことになるのだが。七、八番目の弟たち__双子のジャンとラウルがのんびりと言った。
「きっと、わくわくするような冒険話だよ」
「兄様が寝る前にお話してくれたみたいにね」
ピエールと二つ違いの次男(この中では最年長だ)、クリスは少し苦い笑みを浮かべた。彼は、兄の後を追いかけてパリ外国宣教会に入りたいと密かに志していた時期があった。兄の代わりに家業の革工場を継ぐのだと父から言い渡されていなかったら、今ごろ神学校を卒業して司祭になっていたはずだった。
十八人の兄弟姉妹は、広い公園の原っぱに座り込み、逸りながら木箱を開いた。気の利く誰かが買ってくれていたパンとチーズ、ミルクを皆で分けて、真ん中に座ったクリスが一番日付の古い手紙の封を開けた。ミルクで喉を湿らせ、クリスは落ち着いた声で読み上げた。
「私の愛するお父さん、お母さん、クリス、エマ、ドミニク、……」