ストーンリバー
ストーンリバー
愛よりももっと不朽のものに興味を持ったことが悪かったのか。
「きゅうり、貰って来たんだけど」
「ん、いらない」
あれは夢だったのか。イレイザーしたのになぜ残ってるんだ?
村西弥栄子はイレイザー狂いだった。飴玉をもらえるからではない。
記憶の中の顔と名前を消すイレイザーで愛を忘れてしまえば。
私と同じ人種っているのかな?
愛よりもっと不確実なことがあれば、この生だ。
記憶をなくしてしまえば生きてることになるのか。
「ああああー、気分がスッキリしたー」
今日は、
石鹸で洗っちゃったけど大丈夫かな
え! よく洗えば大丈夫だよ
違う、おかまだよ
台所の側窓からお母さんの帰りを楽しみにしていたことを消した。
真っ赤な家計簿も。
「やあ、よく会うね」
知らない人だ。
「忘れちゃったかな、僕は灯士男」男は頭をかきながら言った。
「僕もイレイザーはよくやるんだ」
「ああ、そうなんだ」弥栄子はそのまま通り過ぎようとした。
「君はもう見たか」その肩を灯士男につかまえられた。
「何を?」
「いや、いいんだ」
弥栄子は家に帰ってまだ消せる思い出がないか考えていた。
もう頭の中にはほとんど思い出がない。
灯士男は旋盤工で丸く削った機械に穴を開ける仕事に従事していたが、時々ボーッとすることがあった。
あった! 弥栄子はその足でまたすぐイレイザーに行った。
「懺悔します」イレイザーの施設には告白室も用意してある。消す前にその思い出の罪を懺悔するのだ。
「私は兄のカメが死んでいたのを発見していたんです。それを黙っていて・・」
「神はそれを許し給う」
それをイレイザーすると不思議な所が見えるようになった。
雲が通るところ、とでも言えばいいんだろうか。何もない所に風が、風だけが。
オレンジの蛍だけが生まれたての宇宙のエネルギーのように漂っては消えている。
これがあの何とかいう男が言ってたことか。
イレイザーを終え、頼りない足取りで歩いている弥栄子に誰かが声をかけた。
それはイレイザーで時々、見かける係員のような人だった。
「・・どうです? もっとやってみませんか」
弥栄子は肯いていた。
その場でドナー登録の許可書を書かされた。その事も弥栄子は何とも思わなかった。
馴れ馴れしく弥栄子の肩を抱いて男は、イレイザーの奥へ入って行った。
「スクラップを使いたいんでね」
そこには見慣れない器具みたいなものが沢山置いてあった。
「心配することはないよ。君はちょっと眠るだけだ」
弥栄子が寝た後で二人の係員が話していた。
「ここまでやる人がいるとはな」
「中毒者だよ。それで君、ホントにやれるのかい?」
「理論上では・・」
弥栄子の目の前に影が差した。それは死だった。
脳の中に何も入っていないのなら、脳もまた使えるはずだ。
ドナーで切り出した臓器で弥栄子のそのまま脳を入れ、弥栄子は生まれ変わった。
裏腹に、永遠の命を弥栄子は手にしたのだった。
観察されているのも知らないで、弥栄子はフラフラと歩き出してイレイザーを出た。
世界が青く見える。
自分では追っているつもりもないのだが、オレンジの蛍が多くなった。そこは海岸であった。
海岸がオレンジに見える。蛍で全体がオレンジになっていた。
観察者はそれを見た。
弥栄子がユラユラ揺らめいているのだ。側転したり前転したり。
恐らく、被験者は生きながら永久機関になったのだろう。
潮風だけを動力源にして動く人間は一種奇妙だったが、それは一種完成された奇妙な美しさを持っていた。
波が立つにつれていずれ忘れていく。
しわぶき一つない海も。
潮風聞いてるわ。




