2.真意
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侯爵が言った通り3日後に王宮から使者が来た。
ラウラを第二王子の妃に迎えると言う報せだった。
それを聞いた母親は卒倒し、父親は目を丸くしたまま固まり、ラウラは状況を理解する事ができなかった。
あの時、ラウラが会ったのはエスクード侯爵だけで、第二王子は姿はもちろん影すら見かける事はなかった。
結婚相手を自分で決める事ができるのは、ほんの一部の人間だけだ。
平民であっても、親が決めた相手と結婚するのが当たり前だから、王族ともなれば花嫁候補を見もせずに相手が決まるのは至極当然の事とはいえ、相手は平民のラウラだ。
これが吟遊詩人が謡う恋物語ならば、第二王子がラウラを見初めて妃に迎えるという話もあろうが、そんなはずもない事はラウラ自身がよくわかっていた。
平民で、しかも引退が近い貧しい兵士の娘。持参金はおろか、花嫁支度さえできるはずもない相手なのに何故だと頭を抱えた。
しかし、10日後にはラウラは王宮に住まいを与えられ、母は王宮内で衣装室の仕事を、父は王宮の警護に配置が変更されていた。
「王子妃の父親を戦場に行かせるわけにはいくまい」
初めて顔を合わせた結婚相手は、ラウラを見る事もなくそう言ってのけた。
亜麻色の髪に金の瞳をした第二王子は、エスクード侯爵に劣らぬ美しい容姿だった。
折しも、王国の東側に位置するベルギウ帝国が王国に宣戦布告をした直後だった。
兵士の父も近いうちに戦場に駆り出されるのではと恐れていたが、ラウラの輿入れが決まったため配慮されたのだ。
ラウラが第二王子に礼を言うと、返ってきたのがこの言葉だった。
アンドレア王国の第二王子アベルは、噂に違わぬ変わり者だと、ラウラはアベル王子にバレないようにため息をついた。
「そなたには私の子を産んでもらいたい」
アベル王子の言葉に、ラウラは嫁ぐのであれば当然の事ではないかと、眉根を寄せた。
そもそも、この結婚にはラウラの意思は入っていない。
突然集められ、突然告げられたのだ。それはもちろん王子の子を産む為だろう。
ラウラは今更何を言ってるんだろうと思ったが、口に出して不敬となるのも怖いので黙っていた。
「その心つもりです」
嫌だと言っても無駄だろう。平民が王族にたてつけるはずもない。選べる選択肢は服従のみだ。
どんな立場の人間であっても胎を貸せと言うのなら黙って差し出すより他はないのに、この人は何故か妃として平民の自分を召し上げてくれた。
貴族の中には平民の女など人間ではないと思っている者も多い中で、この王子は少なくとも自分を人間扱いしてくれているんだと思うと、不思議とラウラは王子の要求が嫌ではなかった。
結婚の儀までに要した時間は短かった。
まるでラウラが王宮に来るまでに準備されていたように、あっという間にラウラはアベル王子の妻となっていた。
戦争は刻一刻と深刻さを増していく中で、アベル王子の結婚の報せは国民に安心感を与えた。
初めて床を同じくした夜、アベル王子はラウラを観察するように眺めていた。
自分の上で忙しく動く夫の顔を見ながら、ラウラは自分を見つめる金の瞳に愛情も情熱もない事に気付き、硬く目を閉じてこの痛く苦しい行為が早く終わってくれることを願っていた。
結婚して1年が経っても、妊娠の兆候はなかった。
アベル王子は第一王子の制止を聞かず、戦場に出るようになっていた。
それほどまでに、帝国との戦争は激しさを増していた。
20日ぶりに首都に戻ってきたアベル王子は、珍しく憔悴しているようにも見えた。
アベル王子の沓を脱がせ、用意していた薬湯で足を洗いながら、ラウラは驚くほど夫の体に傷がない事に気が付いた。
「妃よ」
夫がラウラの名を呼ぶことはこれまで一度もなかった。
ラウラは顔を上げず「はい」とだけ答えた。
「やはり子は生さないか」
アベル王子の声に落胆が滲んでいる事はラウラでなくてもわかっただろう。
「こればかりは授かりものと言いますし」
ラウラは王子の足をゆっくりと洗いながら、卑屈にならないように気を張った。自分が責められているわけではないのはわかっている。
「いや。そうではない」
アベル王子の声が頭上から響いた。
「女性は周期毎に子を宿す準備をするだろう。その時胎に子の元となるものがあるのだ。それが私の精液と結びついて、胎の中で育つと子となる」
聞いたこともない事を言うアベル王子に、ラウラは驚いて顔を上げた。
そこには、いつも通り感情のない顔で観察するようにラウラを見つめるアベル王子がいた。
「子種と結びついたそれは、そなたの胎に根を張ろうとするのだが、それは何度も行われていたんだ」
ラウラは理解ができなかった。子は夫婦の行為をしたら神様が頃合いを見て胎に宿してくれるものなのだ。
「そなたは何度も妊娠には成功していた。しかし私の魔力が邪魔をしている」
これだけは理解ができた。
「魔力――でございますか」
ラウラはようやく言葉を発する事ができた。
「この世で魔力を持つ者は私とジュノア師のみだ。ジュノア師もまだ子を生していない。魔力を持つ者が子を繋げられるのか判らなかったのだが」
アベル王子の声はラウラに話しかけているというよりは、一人で考えを纏めているそれに近いものがあった。目線は確実にラウラに向けられているのに。
「そなたの胎に子が居付く前に、私の魔力が子を消してしまう事が分かった」
ああ。だからこの頃は夫の通いがなかったのかと、ラウラは得心した。何度行為を重ねても妊娠しないのであれば時間の無駄に過ぎない。我々の行っているあれは愛し合う二人がする行為ではなく、子を生す為の儀式なのだから。
自分はどうなるのだろうか。用無しとなって平民に戻されるのだろうか。
自分は良いが、父母はどうなるのだろう。母はまた冬の寒さが体に堪える住居に戻され、父は戦場にやられるのだろうか。
「そなたを選んだのは、魔力に耐性があったからだ」
少しの間考え事をしていた事に、アベル王子の声で気付かされた。
魔力に耐性?
「私達の魔力は普段は抑えているが、絶えず周囲に漏れ出ている。耐性のない者は耐えられず体調を崩してしまう。だから私の妻になる女は魔力に耐性のある者でなければならなかった」
ラウラは広間に集められたあの日、エスクード侯爵の近くにいた女達が次々と倒れていった光景を思い出した。
「あ……あの時のあれは――」
ラウラの言葉に夫は小さく頷いた。
「ジュノア師の魔力を受けて最後まで立っていられた者を選ぶつもりだった。だが、そなたがセシンの孫と聞いてそなたを選んだのだ」
ラウラは不意に出された祖父の名に驚いた。そう言えば侯爵も祖父の事を言っていた。
「セシンは建国時の戦争でジュノア師の側で魔力を受けても平然としていたそうだ。その血筋ならばと選んだのだ。実際そなたの魔力への耐性は非常に優れていたのだが」
期待外れだったのですね――と、ラウラは言いかけてやめた。
妃という立場ではあるが、アベル王子にとってラウラは閨を共にするだけの召使いと変わらないと思っていたからだ。
アベル王子はそれきり黙り、薬湯はすっかり冷めてしまった。
その夜はアベル王子はラウラの元を訪れる事はなかった。
あの会話から13日が経ったある日。アベル王子はラウラを自分の部屋に呼びつけた。
「仮説を立てた」
豪華な王宮の一室にあるアベル王子の書斎は本棚の他は机と椅子以外は何もなかった。窓際にもたれるように立っていたアベル王子は、部屋に入ってきたラウラを見ると、椅子を勧める事もせずに前置きもなく話し出した。王子の側にはエスクード侯爵も立っていた。
王子妃となり、肌や髪を手入れされ美しいともてはやされるようになったラウラだが、この二人を前にしては自分は路傍の草程度でしかないと思い知らされる。
「私の魔力が子を殺すのならば、そなたも魔力を持てば力の均衡が取れるのではないかと考えたんだ」
ラウラには相変わらず何を言っているのかよくわからなかった。
「そなたに私の魔力を分け与える。そうすればそなたの胎に子が宿っても、私の魔力の圧力で消されることはなく、胎の子を守ってくれるだろう」
困惑したラウラは侯爵に助けを求めるように視線をやったが、侯爵は青い瞳を動かすことなく、アベル王子だけを見ていた。
ラウラは自分に拒否権がない事は十分理解していた。しかし、一つだけ聞きたいことがあった。
「王子――なぜそこまでして子が欲しいのですか」
意を決してラウラは問いかけた。
妃に選ばれた時から諦めていたが、このまま自分が何も知らないまま使われる事が嫌だったのだ。
ラウラの問いに、アベル王子は顔色も変えずに言葉を続けた。
「一つは、魔法使いを増やすことだ。この国には私とジュノア師の二人しか魔法使いがいない。魔力の片鱗を見せる者もいるが、魔力を持てる者は未だ現れない。だから子を繋ぐことで魔法使いを増やしたいと思っている」
「魔法使いを?」
ラウラは鸚鵡返しに尋ねた。魔法使いを増やすことが何故そこまで大事なのだろうか。
質問の意図を理解したアベル王子は、ラウラの目を見つめたまま頷いた。
「我がアンドレア王国は、ジュノア師――エスクード侯爵の存在があるからこそ、国土を広げる事ができた。今は私の存在もあり、周辺国は我が国に手出しをする事を恐れている。――あの忌々しい帝国を除いてな」
「エスクード侯爵の武勇伝は語り継がれております。――もちろん、殿下のお話も」
ラウラの答えに納得したのか、アベル王子の口元が少しだけ緩んだ気がした。
「他国に魔法使いがいない今、我が国の国力を増強するためにも魔法使いを増やすことは急務と考えている」
アベル王子の言葉は嘘ではないだろう。
しかし、ラウラの脳裏には一つの疑問が浮かんでいた。
アベル王子は幼少の頃からその魔力のせいで、両親である王や王妃の側で暮らせなかったと聞いた。傍にいたのは魔力に耐性のある召使い数人と、エスクード侯爵、そして兄のトバル王子だけだった。
社交界にも出ない変わり者と言われていたが、社交嫌いなのではなく、人と関わる事で周囲の人間の健康に害を成す事を避けていたのではないのだろうか。
子供なら当たり前に受ける両親の愛や、人々の優しさを、アベル王子は受けられなかった。
寂しかったのではないだろうか。だから仲間を増やしたいのではないか。
何故かラウラはそう思った。しかし、すぐにそんな考えを拭い去った。
アベル王子は強い人だ。そんな感傷で行動するはずはない。それ以外にももっと大事な目的があるはずだ。
ラウラは息を吞むと、意を決したようにアベル王子へと向き直った。
「――もう一つとは?」
恐る恐るだが、しかし落ち着いてラウラは尋ねた。聞かなければならないと思ったのだ。王子の真意を。
「私は前線に出る」
王子の言葉は、ラウラの予想通りのものだった。
「あり得ない事だが、私の身に万が一の事が起きれば、今いる王族では兄上をお守りする事ができない。直系は私以外には従兄弟のシュバル達だが、奴らは隙あらば兄上を廃し自分達が王座に就こうと考える愚か者どもだ。奴ら如きが兄上を差し置いてという妄想自体烏滸がましいと言うのに。――ともかく、王族の数が絶対的に少ない上、兄上やこれから生まれるであろう兄上の御子を支えるには奴らは信用できない」
平民のように家庭を持ちたいなどという、平凡な思いでない事は知っていた。自分に対しては胎以外の何も望んでいない事も。
それでも、王子の人生にラウラは存在していないのだと改めて思い知らされた気分だった。
だからと言って、妃に召し上げられた以上、ラウラの役割は子を産む事だけだ。断れるはずがあるまい。
「わかりました。――魔力を与えていただくと言うのは――」
ラウラは感情を出さないよう、気を付けて口を開いた。
今はこんな関係だが、時間が経てば、子が出来ればいつかは愛はなくともお互いを思い遣れる関係になれるのかもしれないと、微かに抱いていた希望すら打ち砕かれた気分だった。
いや、そもそも平民の自分がアベル王子の妻となる事自体烏滸がましい事なのだ。
祖父の孫でなければ、魔力への耐性がなければ、あの広間で打ち捨てられていた存在にすぎないのだ。
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