1.招集
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3話完結の短いお話です。
その日、王宮に集められた女性の数は100人を優に超えていた。
美しく着飾った貴族令嬢らしき女性から、一等上等な服なのだろうが粗末さが拭えない平民の女性まで身分を問わず15歳から18歳の女性が広間に集められていた。
目の前には、王国で最初に魔力を発現した建国の英雄ジュノア・エスクード侯爵が彼女らを睨むように立っていた。
薄い栗色の髪を揺らして、神話に出てくる少年王の彫刻のように美しい顔を一切動かさず、侯爵は女性らの周りをゆっくりと歩いた。
値踏みするように、威圧するようにジュノアの青い瞳に睨まれた女性達の中には、緊張に耐えられなかったのか倒れる者が続出していた。
その度に、ジュノアは溜息をつくと、側に控えていた兵士達に倒れた女性を控室に連れて行くよう指示した。
時間が経つにつれて、倒れる女性は続出した。
首都に住む15歳から18歳までの女性は、全て王宮に来るようにと通達があったのは30日程前の事だった。
春が過ぎて16歳になったばかりの平民のラウラは、自分には関係のない事だと思っていた。
豊かな亜麻色の髪に濃茶の瞳の少女は、身なりを整えれば美しい顔立ちだったが、髪は伸びるまま一つにまとめ、服はどれだけ修繕したかわからない程繕われ、くたびれていた。
対象から外れた年上の女達が悔しそうに噂するのを、ラウラは織機に糸を通しながら耳にしていた。
その口と同じくらい手も動かしてくれればいいのにと、ラウラは小さく溜息をついた。
しかし、仕事を終えて家に帰ったラウラを待っていたのは、興奮しきった両親の姿だった。
「聞いたかい?年頃の娘は全て王宮に来るようにだってよ」
家に入ったラウラの顔を見るや、針仕事を止めて母親がラウラの肩を掴んだ。
「え――ええ。聞いたけど、私達みたいな平民には関係のない事よ」
ラウラが言うと、母親は机に駆け寄ってさっきまで針を突いていた布地を持って戻ってきた。
「何を言ってるんだい!お達しは全ての女性だよ。身分を問わずだよ」
ラウラは母の手に握られている、平民の月の収入のふた月分はするだろう上質の綿の生地を見た。
「お母さん……それ……」
「ああ、これはあんたの衣装だよ。貴族様ほど立派な服は無理だけどね、せめて上等な生地で王宮に行けるようにってお父さんが買ってきてくれたんだよ」
こんなに織目の丁寧な上質な生地は見た事がない。針が吸い込まれるように入っていくんだと、母親はうっとりして生地を抱きしめた。
「そんなお金どこにあったのよ」
ラウラは喜ぶよりも困惑が先に来ていた。
兵士と言えば聞こえがいいが、一兵卒である父親の給金はとても低い。
それでも、祖父が建国の戦いで生き残った事から初代国王から褒美として賜った剣と指輪が父の誇りであり、唯一の財産だった。
「もしかして」
ラウラは慌てて寝台の横にある机の引き出しを調べた。
「指輪が――」
「ラウラ、帰ったのか」
愕然とするラウラに声をかけたのは、父だった。
薪を抱えて部屋に入ってきた父親の顔は、晴れ晴れしいほど輝いていた。
「お父さん、まさか指輪を」
「落ち着きなさい。ラウラ」
父に掴みかからん勢いのラウラを、父親は窘めた。
そして、ラウラに椅子に座るよう言うと、自分も薪をかまどの横に下ろしてからラウラの向かいに腰掛けた。
小さな家はかまども、食卓も寝台も、全て同じ部屋にある。
ラウラは年頃の女の子だからと、屋根裏を部屋として与えられてはいたが、それとて壁や扉があるわけでもなく、ただ下からは様子が窺えないと言った程度だった。
そんな小さな家の食卓に、ラウラと両親は食卓を囲むように座っていた。
「お前も知っているだろう?今日通達された内容を」
「ええ。でも私達みたいな平民には関係のない事よ」
ラウラは母に言った事をもう一度繰り返したが、父親は首を左右に振った。
「関係なくはない。これは第二王子の花嫁を探すためなんだよ」
「なら益々関係ないわ。私みたいな平民が選ばれるわけないもの」
噂に聞く第二王子は、エスクード侯爵に匹敵する魔力を持ち、侯爵に師事している魔法使いだ。美しい容姿だが、20歳の今まで浮ついた噂もなく、貴族との交流も嫌がる変わり者だ。
そんな王子が何故今更花嫁を探すと言うのか。ましてや身分を問わず女性を集めるなんて――変わり者にも程がある。
「選ばれなくとも、集まった女達には褒美や仕事が与えられるって話だ。それに、お前の容姿なら王子は無理でもその辺の貴族に見初められる可能性もあるじゃないか」
父親は興奮した口調でまくし立て、母親も上等の綿の生地を抱いて頷いていたが、ラウラは冷めた目で両親を見ていた。
しかし、父親の言う事ももっともではあると、ラウラは集められた広間で考えていた。
容姿や貴族に云々は置いておくとしても、運が良ければ王宮での仕事にありつけるかもしれない。
ラウラはせめて下女の仕事でももらえれば、織物で得られる賃金とは比べ物にならないはずだと、気持ちを切り替えて両親の用意した上等の綿の服に身を包んで王宮に来ていた。
集められた女性達を見て、そのような考えは見事に砕け散ったのだが。
女性達の三分の一は上等な絹の衣類を纏った、おそらく貴族だろう女性達。残りは平民だったが、ラウラが上等だと思っていた生地は、彼女らの衣装を見るととても粗末に見えた。
もっとも、ラウラよりも粗末な衣装の女性も少なくはなかったが。
有象無象の一人であれば、目立つこともないだろうし、こんなにも集められた人が多いのなら職も得られないかもしれない。
ラウラががっかりと息をついた時だった。
やがて、エスクード侯爵の威圧感に耐えられなかったのか、一人、また一人と女性達が倒れるように床に伏せていった。
ラウラの隣に立っていた女性も、頭を押さえながら崩れ込み、ラウラは慌てて女性の体を支えた。
「ちょっとあなた!この人を――」
通りかかった兵士の足を見つけ、ラウラは言いながら顔を上げた。ラウラが声をかけたその人は、兵士ではなくエスクード侯爵その人だった。
ラウラは一人別室に連れてこられていた。
黄金や漆喰で装飾された豪華な部屋で、ラウラには当然不釣り合いな部屋だ。
だが、このような豪華な部屋に通されたという事は、侯爵に無礼を働いたと罰せられるために連れてこられたわけではないのだろう。
だが、何のために連れてこられたのだろう。壁の漆喰はまるで昨日塗られたかのように白く、その上に飾られた金の細工は職人がどれだけの時間かけて施したのかわからない程細やかで、神話の女神の話を象っているのが学のないラウラにもわかる。
この部屋を拭く雑巾の方がラウラが今着ている衣装よりも上等なのではないだろうかと、恥ずかしくなった。
ラウラが畏れ多くて手付かずのまま、目の前に出されれた茶が冷めきった頃、エスクード侯爵が部屋に入ってきた。
「お待たせして申し訳ございません」
さっきまでの威圧的な態度から一変して丁寧な態度を見せる侯爵に、ラウラは警戒心が一気に溶けていくのを感じた。
エスクード侯爵の深い青い瞳がラウラを見つめている。玻璃のように澄んだ瞳には感情らしきものはなく、意識が吸い込まれそうになる気がして視線を少しだけ逸らした先にあった陶器のような美しい肌には汚れは愚か、傷の一つもない。
こんなに完璧な人が存在するなんて……。
ラウラはエスクード侯爵の端正な顔が、自分の顔を見つめている事に胸が締め付けられるような気持になった。
――なんなの?なんでじっと見るの?
ラウラの脳裏に父親の『どこかの貴族に見染められ――』という言葉がよぎったが、とんでもない。相手は建国の英雄だと、すぐに思い直した。
「あ――あの」
「気分は悪くありませんか」
ラウラが口を開くのと同時に、エスクード侯爵がラウラに話しかけた。
「え――ええ。その、侯爵のお顔があまりにもお美しいので、緊張して胸が苦しいですが」
思わず本音が漏れている事に、ラウラは気付いていない。
「それだけですか?めまいや頭痛は?」
侯爵は顔色を変えずに抑揚のない口調でラウラに問いかけた。
そうよね。こんなに美しいんだもの。容姿の事なんてほめられ慣れているに違いないわ。
それに――。
ラウラはため息をついた。
こんなに美しくても、この方はお父さんよりも年が上なんだから。
30年前にあった戦争で手柄を立てた当時、既に青年だったエスクード侯爵は、魔力の影響なのか年を取らないと言うのは本当だった。
「君は確か、兵士のアルの娘だね」
不意に父の名を呼ばれてラウラは驚いた。
「アルの父――君の祖父は私と一緒に戦ったのだよ」
彫刻のように表情を変えない侯爵の、感情がないと思われた青い瞳が昔を見るように潤んだのがラウラにもわかった。
祖父が手柄を立てたと言うのは聞いていたが、侯爵の下で働いていただなんて。
「なるほど――」
納得したように言うと、侯爵は立ち上がった。
「近いうちに君の家に迎えが行くだろう」
それだけ言うと、侯爵は部屋を出ていった。
残されたラウラは、状況が飲み込めないまま、迎えに来た兵士に送られて家路についた。
『最強魔法使いは異世界から帰りたい』のアベル王子の話に出てきた「子を産む為だけに娶った妻」のお話です。
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