似せる、隠れる、隠す
擬態をご存知だろうか、カモフラージュというやつだ。身近にいうなら迷彩模様などが思い浮かばれる。
ただ端的に擬態と言ってもその種類が細く分かれる、とても細かいのでここでは簡単に話すが。
虫の擬態で思い浮かぶのは、ナナフシなどの隠れるための擬態ではないだろうか。
自身の体を枝や葉に似せて環境に擬態する、そうすることで鳥などの天敵から身を守る。
それこそ彼らの最大の武器だ。生き残る手段として求められるのはスズメバチのような毒針や、カマキリの強靭な前腕だけではない。
逃げのびる、逃げて子孫を残すこともまた戦略なのだ。
ナナフシなどの生物からして逃げの戦略として、隠蔽擬態は最大の武器になるのだ。
特にコノハムシ類の擬態は、葉脈や枯れ具合が模様として再現されており。一番の驚きは個体や地域によってその模様の具合が全く違ったりすることだ。
これは人の目でも見極めるのが難しい。
昆虫館などの展示でコノハムシや、ナナフシのを見たことがある人にならわかってもらえると思うが、展示という空間で仕切られているのにも気付くのは難しい。
自然界なら尚、見つけるのは難しいだろう。
興味を持ってくれた方は是非ネットの画像からでも見てほしい。
私は動物園にある昆虫館の展示が好きで、たまに行く。
そこにナナフシがいた、初めて見た生のナナフシへの感想は……ここまで擬態に全振りした生き物も珍しいと思った。
ナナフシは枝に擬態するがために、体は細長く……そしてその脚も細い。種類にもよるが翅も持たないナナフシもいる。ゆったりと動き、葉を食べながら外敵に見つからないように過ごす。
むしろそれしかない。
バッタのように遠くへ跳躍できるような太い後ろ足も、蝉のように逃げ飛び立てる大きな翅も、敵から逃げるゴキブリのような素早い脚も彼らは持っていない。
ただ『私は枝です』となりきって、ゆったりと動き。敵に気が付かれないように過ごすことが全てなのだ。
それ以外は全て捨ててきたのか……それとも元から持っていなかったのか。それはわからないが、体も生活も全てを擬態に全振りした生き物はかなり興味深い。
完全に枝になりきり生き残るために進化をしたのか。それともナナフシのような個体が偶然に生まれて、その個体だけが生き残れて数が増えただけなのか。
何にせよ、絶滅せずに残っている種族なのだから擬態作戦は大成功なのだろう。
それにしても昆虫の展示は素晴らしい、写真で見る以上に気付かされることが多い。姿を見たことがあるし、展示のスペースで区切られていたら見つかるだろうと思いきや。意外に見つからないものだ……あれだけ静かでゆっくりなら少し飼ってみたいと思うのだが、いやあれはあれで飼育する苦労があるのだろう。
やはり生き物を飼うならそれなりの知識と、それ以上の覚悟が必要になる。
私のような素人が何かと一緒に暮らすことは、まだまだ先だろう。いやしかし、コノハムシの葉の揺れを真似る動きも愛おしく感じる。
広い机を買って私はこうして執筆をしながら……ふと目を横にずらしたら人工的な自然の中で、自然に振る舞う彼らを見てみたい。
***
ふと、スマートフォンが震えたことに気がついた。
ちょうどブログに記事を投稿したところで、特に何も考えずに画面を見た。そしてそこに表示されている相手の名前に、少しだけため息を吐いた。
仕方なく電話に出るのは身内だからだ。
「もしもし」
『もしもし、ちょっと聞きたいことがあるんだけど』
自分の母親と電話が苦手な人はどれくらいいるのだろうと、葵はスマートフォンを片手に思う。
これもある意味カモフラージュなのかもしれない、ナナフシが敵から逃げるために。
そこそこに仲が良いように振る舞う娘、それで母親が満足するなら良いものだ。
『桜の結婚式の日程、大丈夫よね?』
「うん、平気」
『そうよかった、妹が姉より先に結婚するとかいう見栄なんてないわよね?』
葵はため息を吐きそうになったが、グッと堪えて返した。
「ないよ、そんな見栄」
『そう、よかった。じゃあまた後で連絡を送るから』
「はーい、よろしく」
そう穏やか、努めて穏やかに返事をして通話を切った。それからやっと大きなため息を出す、深く大きなため息と共に葵は静かにスマートフォンを机に戻す。
自分がナナフシで天敵の鳥は親族かもしれない。
波風を立たず、ぐっと我慢すれば敵はこちらの本意を見つけられないわけで。良い顔していればこういう微妙な距離で過ごせるのだから。
ある意味、気持ちのカモフラージュという意味では人間は誰しもがそうしているだろうと葵は思う。本意が爆弾級なら余計に隠さなければならないのだ。
葵にとっては『妹と比べられることが苦手』という本意だが、母だって本当は『妹が先に結婚して、あんたは?』と言いたかったのかもしれないし。
そうだとしても。
「あの人って本当にボロッとそういう事を言っちゃうよね、カモフラージュ下手くそ」
思わず一人で話すように呟いた。
あんな事を言っておいて『妹と比べてないっ』と返すのだから嫌になる。どう考えても妹と比べているくせに、と隠しきれていない本音に葵はため息を吐いた。
普通の人に似せて、本音を隠し生きている。
そういう意味ではナナフシやコノハムシのような涙ぐましい努力を、人間は笑ってはいられないのだろうと葵は思いながら。静かに別の記事を書き溜めようとディスプレイへ視線を向ける。