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68. 魔女の去った地~強欲の顛末~

 

「何をしに来たモスカル!」



 突然なんの先触れもなく来訪したモスカルをオーロソは憎々しげに睨み付けた。


 悪感情を隠しもしない。

 オーロソは善人面したこの男を毛嫌いしていたのだ。


 ファマスほどの金の卵を前にして教会の財政に何の寄与もしないモスカルを害悪だとさえ思っていた。


 だと言うのに、信者や教会の下賎な下働き、取るに足りない助祭のみならず、多くの司祭達はそんな道理さえ分からず目の前の男を聖人だとか持て囃す。


 オーロソには全くもって気に入らない。



「無礼者!」

「貴様如き破戒僧が司教様を呼び捨てにするな!」



 だが、オーロソの悪態に反応したのはモスカル本人ではなく、彼に付き従う聖職者達であった。



「なっ、モスカルが……司教……だと?」

「そうだ!」

「モスカル様は近々に大司教として皆を教導してくださるようになるのだ」



 大司教は司教と位階が変わるわけではない。

 だが、その教会内部での発言力は絶大なものとなる。



「ば、馬鹿な、貴族派でもないモスカルが大司教などありえん!」

「大司教だとか司教だとか……いえ、それが司祭でも助祭でも関係ありません」



 予想外の事に驚愕するオーロソと対照に、モスカルは静かな怒りの声を投げ掛けた。



「あなたは神に仕える身でありながら、人々を教え導く司祭でありながら、何の咎もない娘を虐げ、あまつさえ、逆恨みして殺意を向けるとは」



 滅多に怒りを(あらわ)にしない温厚なモスカルであったが、オーロソのトーナへの暴挙は目に余ったのか、眉を(ひそ)めて顔を険しくした。



「黙れ!」



 オーロソは目を血走らせ、(つばき)を撒き散らして叫ぶ。



「あの女は魔女だ……そうだ魔女なんだ!」

「トーナは魔女ではない……薬師(くすし)だ、一人のただの薬師だ」

「いや、あいつは魔女だ。その存在だけで罪深く、討ち滅ぼさねばならない悪だ!」

「罪深いのはあなただ!」



 まるで狂人の様相でトーナを魔女と糾弾するオーロソの暴言にモスカルの叱責が飛んだ。



「あなたが私欲で聖水を売り捌き、贖宥状を濫発した結果はどうです」

「私は何も悪い事はしておらん!」



 自分の行いに全く罪の意識がないオーロソの言動にモスカルは呆れを含んだため息を漏らした。



「贖宥状の件では教会の信用は失墜し、ただの水を聖水と偽ったせいで魔獣に襲われた人々がどれほどいると思っているのです」

「だ、黙れ、私の蓄財が教会の財政を支えているのだ」

「それで信者の心が離れれば何の意味もないと分からないのですか?」

「魔女だ……全てはあの魔女が悪いのだ!」



 オーロソの反省を促したかったが、何処までも平行線。

 モスカルはもはや無理を悟った。



「何を言っても無駄ですね……あなたを破門します」

「貴様にそんな権限が……」



 しかし、モスカルが(たもと)から取り出した一本の書簡(ロール)にオーロソは目を見開いて驚いた。



「そ、その印は教皇猊下の……ま、まさか……」

「あなた宛の破門状です……表にこの国の騎士達が待っています。あなたは更迭され、その罪が国によって裁かれる事になるでしょう」



 その宣告にオーロソは真っ青になった。


 本来、聖職者は教会内部で教会法に基づき裁かれる。


 つまり、教会に属する聖職者は教会法の中で守られ滅多なことでは国法で裁かれたりはしないのである。


 それは、教会裁判であれば、その裁定は神のものと見做されるのに対し、神の僕たる聖職者にとって人に裁かれるのは、俗世の者として扱われる最大の不名誉であるからだ。



「そのような非道を神がお許しになる筈がない……後悔するぞ……私の後ろには貴族派の……」



 ぎりっ、と歯噛みしたオーロソは最後の抵抗を試みた。



「その助けは当てになりませんよ。本山の貴族派はほぼ一掃しましたから……あなたのお陰でね」



 しかし、返ってきたのは非情な現実。


 オーロソがせっせと教会の信用を落とした事で問題が大きくなり、彼と繋がっていた貴族派の司教達を芋蔓式に失墜させたのである。



「彼を外で待つ騎士の方々に……」

「はっ!」



 モスカルの従者達に逃げられないよう両脇を固められ、そのまま連れ出されてしまった。


 残されたのはモスカルと一人の若い司祭だけ。



「皮肉なものです」



 そう呟きながら礼拝堂を後にするモスカル。



「皮肉……ですか?」



 若い司祭は慌ててモスカルの後を追い、その呟きを拾った。



「私は虐げられていたトーナを助けるつもりでいましたが、その彼女のお陰で教会の大掃除が出来たのです」

「その娘はファマスにとっても大いな(たす)けとなっていたようですが、ここの領主も愚かな事をしたものです」



 司祭はまだ若い。


 モスカルにとって怜悧で優秀な教え子ではあるのだが、他者を愚か者と笑う驕りが微かに見える。


 が、それは時間をかけて自らで悟るものである。

 モスカルは特に注意をするでもなく話を続けた。



「彼女の薬師(くすし)としての才は惜しむべきものでした」

「ラシアの効能も惜しいものではありませんか?」

「それは彼女の亡き祖母に口止めされている事柄です」



 とても聡明な方だった……


 差別を受ける黒髪の少女の将来を憂い、たくさんの知識を授けて独り立ち出来る力を与えただけではなく、ラシアの秘密も慎重に扱った。


 魔獣を遠ざけるラシアの育成方法は、この国にとって莫大な利益を(もたら)す知識である。


 もし、ラシアの秘密が露見していたら、トーナは無事ではいられなかっただろう。



「どうにかラシアの件も含めて、教会でトーナを庇護できればと考えていたのですが……」



 トーナの祖母もそれを見込んでモスカルにラシアの秘密を打ち明けたのだ。



「彼女の件以前に貴族派と改革派の争いを止められず、私は教会の惨状をどうする事も出来ませんでした」



 己の非才不徳が何とも恨めしいと嘆くモスカルの様子に彼の教え子である若い司祭が撫然とした。



「モスカル様は穏健派を纏め上げ、改革派を懐柔し貴族派の横暴を牽制されていたではありませんか」

「それが私の精一杯……結局のところトーナが追放されたのを端にファマスが荒れ、それがオーロソの不正を明るみにしました」



 元々、各国の王族は貴族の子弟で牛耳られている教会に辟易していた。


 この件を利用してモスカルは周辺諸国の助力を得て、オーロソと繋がる貴族派を糾弾して失脚させたのである。



「腐敗していた教会は本来の精神を取り戻しつつあります……トーナの犠牲の上に」



 助けるつもりの娘に助けられた……これほど皮肉な事もない。



「せめてあの娘が幸せに暮らせていればいいのですが……」



 女が一人で国を追われて無事でいられる可能性はとても低い。


 その流浪の途上で行き倒れるか、野盗に襲われるか……それが分かるだけにモスカルにはその願いは絶望的であると思えた。



「元気にしているようですよ」



 ところが、モスカルから後ろから付き従って歩いていた若い教え子の突然の報告に、驚いてモスカルが振り向けば彼は澄ました顔で事もなげに続けた。



「国を東に二つ挟んだ所で彼女を救った騎士と仲良く暮らしているそうです」

「あなたはいつの間にそれを……」

「モスカル様がいつも気に掛けておいででしたので……」



 聞けばモスカルの心痛を知った者達が教会の情報網を使ってトーナの動向を前から探っていたらしい。



「モスカル様がお知りになりたいかと思いまして」

「負うた子に助けられ教えられる……私もまだまだのようです」



 トーナには助けられ、目の前の教え子は自分の意を汲んでくれる。



「私は他者を救おうなどと驕り昂っていたみたいですね……あの娘は幸せにやっていますか?」

「幸せかどうかは本人の心のあり様ですので分かりかねますが……」



 いちいち理屈っぽい教え子にモスカルは苦笑いした。



「……ですが、金銭や名誉よりも、本当に欲しかったものをあの娘は手に入れたと思います」



 トーナが真に欲していたもの……モスカルにはそれを改めて何かと問う必要はなかった。



「そうですか……」



 モスカルは窓から東の空を見上げた。



「それなら何の問題もありませんね」




 あの娘は東へ広がるこの大空の下で、きっと今も患者を治療している筈だから……


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