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31. 薬師の本分~灯火~

 

 闇に染まりそうになった時に私の手に小さくも暖かな光を(とも)したもの――



「そんなにトーナ殿が嫌なら他の治癒師を頼れば良いだろう」



 ――それはあまりに強く握り締めたせいで小刻みに震えた私の拳を優しく包み込むハル様の大きな手でした。



 それはとても小さい光で……

 闇夜の森に灯したランタンの如く小さくて……

 世界を覆う闇を祓えるとはとても思えないほどに小さくて……



 だけど、(ほの)かに感じられる温もりと共に、その矮小な光と微かな温度の灯火(ともしび)が私の全身(すべて)に染みてきたのです。


 明ける事など想像もできなかった私の闇夜が、そのたった一つの心許(こころもと)ない小さな灯火(ともしび)の光で満たされていきました。



「トーナ殿、帰りましょう」

「そ、そんな!」



 真っ青になったソアラさんには目もくれず、どうしてハル様は特上の甘い微笑みを私なんかに向けてくれるのでしょう?



 この方の無条件に私を信じてくれる心と行動が――

 私が闇に堕ちるのを止めてくれたのです。

 私を闇の中から掬い上げてくれたのです。



「お願いですから娘を見捨てないでください!」

「そう思うのなら、どうしてトーナ殿を魔女と呼ぶ」



 縋り付くソアラさんに投げられたハル様の冷たい声に私は冷静さを取り戻しました。



「ハル様……ありがとうございます」

「トーナ殿?」



 私は空いている手を私の手を握るハル様の手にそっと添えました。



「でも、私は薬師(くすし)です。魔女ではないのです――」



 ハル様がくださる優しさと信頼が、私の心を支えてくれる。


 だから私はまだ薬師として立ち上がれるのです。

 だから私は薬師の本分をまっとうできるのです。



「――だから目の前の患者を見捨てるわけにはいかないのです」

「……」



 にこりと笑う私を黙って見詰めるハル様の眼差しは私を心配するものでした。

 ですが、こうして私が立ち直れたのはあなたのお陰なのです。



 ハル様がいてくれて本当に良かった。



 この方がいなければ、きっと私は闇に堕ち、その心は本物の魔女になっていたかもしれません。



 私はやっと理解したのです。

 確かにソアラさんは私を信用していませんでした。

 ですが、理解されないと諦めている私もソアラさんを信じていないのと同じなのです。


 ソアラさんを責めるのは、もうやめましょう。

 私の中にある闇こそ戦うべき相手なのだから。



「ソアラさん……」

「あの……わ、私は……」



 私は今度こそソアラさんと真正面から向き合いました。

 彼女の顏は不安に歪み、今にも泣き出してしまいそう。


 ああ、思えば私はこの方をきちんと見ていたでしょうか?


 娘が魔獣に襲われ、毒に侵され危篤となり、頼るべき主人から見放され、誰の助けも得られず、治療してくれる治癒師が見つかれば、それは魔女と恐れていた者……



 この方も不安でいっぱいだったのです。

 娘を喪うかも知れず怯えていたのです。


 どうしてこんな簡単な事にも思いが至らなかったのでしょう。

 私は何か大事なものを見失っていなかったでしょうか……



「これは確かに塩水です」

「え?」

「ですが、傷の洗浄には多少の塩が必要なのです」



 今は危急の時ではあります。

 それでも私は協力を得るべきソアラさんへの説明を怠ってはいけなかった。



「汗は塩の味がしますよね」

「は?……え、ええ……はい」



 私の問いの意味を計りかねのでしょう。

 ソアラさんは目を(しばたた)かせましたが、それでも返事をしながら頷きました。



「つまり体液には塩分が含まれているのです」

「私達の体の中に?」

「そうです。そして、私達の血管を流れる血液もそれは同じなのです」



 私は頷きながら並べた医療器具から一つの道具を手に取る。

 それは持参していた切開用の細く鋭い刃物。



「ひっ!」



 不意に私が刃物を手にすると、ソアラさんが動揺しました。


 この険悪な状況で刃物を持ち出されれば、何をされるのかと恐れるのも無理ありません。


 ですが、それに構わず私は自分の腕に、その鋭利な刃を立てたのです。



「トーナ殿!?」

「な、何を!」




 そして、いささかの躊躇(ためら)いも見せずに、すっと刃を引いたのでした……


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