過去5
「くっ・・・。」
気持が萎えたのか、少年エンサイは膝をついた。
それは稽古とはいえ、彼の敗北を示していた。
何故、自分の実力が叶わないのか、本当は自分自身でも分かっていた。
そう、サワラもエンサイと同じく、薬品を投与されていたのだから。
今までの人生において最大の屈辱を、この少年エンサイは感じていた。
そして今日の稽古相手のサワラは、エンサイに背中を向けて去り始めた。
それもゆっくりとした歩みである。
もしも少年が彼女の背後から、襲い掛かれば形成が逆転する可能性はあるのではなかろうか。
それともサワラは、エンサイの反撃を誘っているのではないのだろうか・・・。
しかし彼女がみせた意図的とも思える行動に対して、少年は何の反応も示さなかった。
これ以上の屈辱を重ねる事は、エンサイの誇りが許さなかった。
その夜、少年エンサイは眠れない。
その理由は明白であった。
自身が姉と慕う、くノ一サワラに立ち合い稽古で敗北したからである。
そのことが、最近のエンサイの自信を打ち砕いた。
サワラからしたら、まだ成長過程の少年が薬品により、不自然な強さを手に入れることに不安を持っていた。
だから、その戒めの為に、エンサイに敗北を教えたのだ。
しかし、まだ精神的に幼いエンサイには、サワラの自分に対する心配は理解ができていなかった。
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音はしない。
無音である。
だが少年にとっては、それが耳障りであった。
かといってエンサイは、意識を持ったまま寝ていたのだった。
目をつむったまま、少年は思った。
====== おまえは誰だ ======
自分の前に、人影が立って見下ろしている。
それは恐らく、男性であろうか。
何も言わずに、彼は立っているままだ。
まだエンサイは目を閉じていたが、それでも状況は把握している。
少年は目視したいし、今すぐ飛び起きたいのである。
しかし、それはしなかった。
というよりも、できなかったのであった。
「だ、誰だ・・・・。」
いつもの威勢のよさは、どこに行ったのか・・・。
少年エンサイには、警戒心と不安を隠そうという余裕はない。
この世のモノとは思えない存在感に、彼はたじろぎ、身動きが取れなかったのだ。
その様は、やはりエンサイは、まだ子供なのだと伺うには十分な事実なのであった。
「うっ・・・。」
その黒い影は、その場にしゃがみこんだ。
それは影が、少年の至近距離に顔を持ってきたこと意味する。
黒い影の吐息が、エンサイの頬にかかってきた。
それが少年の感情が、恐れから怒りに変わった瞬間であった。
エンサイは黒い影の顔を、グッと睨みつけたのである。
「・・・・・っ・・。」
蛇に睨まれた蛙、とは正に、この事なのだろうか。
少年エンサイは、まるで何者かにガッチリと体を固められたかの如く、微動だにできなかったのである。
実際は彼の身体ではなく、精神を束縛されている、と言った方が適切であろうか。
「はっ・・・・・。」
お互いの鼻と鼻が、接触する寸前であった。
お互いの目と目が、あった・・・。
そこには何もなかった。
無であった・・・・。
黒い人影の顔は、無い・・・。
エンサイの緊張感が頂点に達するかという、その時であった。
====== 俺が欲しいのか ======
その言葉は、黒い人影から発せられたのであろうか。
しかし、少年にとっては、それはどうでもよかった事なのである。
何故なら、その言葉は少年が臨んだことなのだから・・・。
そしてエンサイは軽く顎を上下させた。
それは強さを求める少年の、その黒い人影の問いに対する肯定を意味していたのであった。
エンサイの意志が通じたのか、黒い人影の顔がさらに接近してきた。
それはもはや接近ではない。
・・・・融合であった・・・。
それから・・・・。
エンサイは、さらに飛躍的な強さを手に入れた。
しかしその力を以て、サワラに再戦を挑むことは無かった。
それは己の鍛錬によって得た力ではないという、自覚からきているのかも知れない。
もしサワラに自分の実力を見せつけても、それは非常に空しいものであるという事が、少年には分かっていたのであろう。
再びエンサイはサワラと組み、次々と任務をこなしていく。
それは少年が、最近の彼女との確執を忘れようとしている為のようであった。
そして彼らの前では、強敵も強敵とは呼べなかった。
その間、少年が気が付いていたのだった。
自分自身の身体に異常が起こっている事を・・・。
しかしエンサイは、気が付かなかった。
気が付かないふりをしたのだ・・・。
そして、その異変の結末を迎えるには、それほどの時間は要さなかった。
・・・・エンサイは視力を失った。
超人的な体術も、失った。
だが、命は残った・・・。
それは、このまま、この状態を続けると命を失うという危険を、少年の身体が本能的に回避したという事なのかも知れない。
そんな少年を、変わらずサワラは見守っていた。
しかし彼女には、それ以上に残酷な運命が待っていたのだった。




