第六章 涙とご褒美①
暖かい――
俺はどうなったんだっけ……?
そうだ、学校が占拠されて……
俺は、守れたのか……
何を守るんだっけ……
ああ、そうか、俺は……彼女を……
頭がボーっとしている……誰なんだ俺を呼ぶのは……
「――きろ……」
まだ眠いんだ……寝かせてくれ……
「ロ――起きろ――」
誰なんだ……?
「よし分かった。起きないのならば、実力で起こすぞ」
この声――
俺の頭はその声で急回転した。
俺の本能が警鐘を鳴らしている。
このままじゃ、やばいと。
俺は急いで夢の中から抜け出そうとする。
しかし、それも遅かったようだ。
目を覚ました俺が最初に見たのは病院の天井だった。
しかし、それを見たのはベッドの上ではない。俺の身体は間違いなく空中に浮いていた。
このシチュエーション、何度も経験したことがある……
これは間違いなく師匠の背負い投げだ……
俺はそのまま背中から床に叩きつけられる。
「ぐはぁ……」
背中を強打し、言葉が出ない。
そんな俺を横目に師匠は満足そうな顔をして、
「おはよう、ロイ。いい朝だな」
とか言ってきた。こんな覚醒の仕方は嫌だ……
以前はこうやって何度も起こされたことがあったのだが……
俺は師匠を睨み付けて、身体を起こす。
受身を取れたので、怪我はない。しかしこの痛みは中々のものだ。
「もっと優しく起こしてくれませんか?」
俺の言葉に師匠は首をかしげて
「手加減はしてやったはずだが……?」
と言う。
確かに彼女は本気ではなかった、
なるほど確かにやさしい――
「って、威力の問題じゃなくて――」
「それだけの元気があれば身体は大丈夫なようだな」
最初の疑問にたどり着く、俺はなぜここに居るのかという。
ベッドや壁や、設備からすれば、ここは病院の一室らしい。
記憶を辿る。スレグスと対峙したところまでは覚えている。
しかしその後は……
考えるよりもこれは聞いたほうが早い。
なので俺は素直に師匠に聞くことにした。
師匠はあれからの事件の結末を話してくれた。
事件での死者は奇跡的に0で、俺を含めた重軽傷者は十七人。
幾人も命に別状はないらしい。
それを聞いてホッとした。
「お前の彼女もたいした怪我ではなかったぞ。よかったな」
師匠はニヤニヤしながら俺に言う。
「べ、別に彼女じゃないですよ。リルムは」
「フフフ、どうだか。ムキになって否定するところが怪しいな」
「くっ……」
この人とこれ以上しゃべっていれば、ぼろが出そうで怖い。
俺はさっさと話題を変えることにした。
「スレグスはどうなったんですか?」
この事件の主犯、サージ・スレグス。
吸血鬼と呼ばれる男がどうなったかを知りたかった。
「ヤツは…………隣国の特派員が身柄を確保した」
重犯罪者なら、その場で処刑されてもおかしくはない。
しかし脱国者ということでそれができなかったらしい。
「じゃあ、隣国で処刑されるんですか……」
「ああ、普通ならばな」
師匠は淡々とそう言った。しかしその言葉に何か引っかかりを感じた。
長年一緒に居る勘というか、この言葉の裏には何かがあると感じた。
しかしたぶん裏があっても、俺が関与することではないのだろう。
「では、私はそろそろ行くぞ。事件の始末があるのでな」
「はい。ありがとうございました」
俺は一礼をして、師匠の背中を見送った。
「そうだ。身だしなみを整えておけよ」
「はぁ? なんで……」
師匠はその理由も告げずに静かに部屋を出て行った。
誰も居なくなった部屋を見渡す。
机の上にはお見舞い用のフルーツの盛り合わせや、花が置いてあった。
何日眠っていたかは分からないが、この感じだと毎日お見舞いに来てくれた人が居るらしい。
「愛されてるな。俺」
そんな言葉をつぶやく。恥ずかしくなったが、悪い気分ではない。
俺を支えてくれる人が居ると思うと、胸の奥が熱くなった。
そう思い、部屋に飾られた花を見ていると、部屋の扉がノックされた。
少し迷ったが、俺は寝た振りをしてみることにした。
ほんの興味本位だった。俺を心配してくれる人がどんな行動をしてくれるのかと。
俺は目を瞑り、気配を感じ取る。
俺の返事がないと知ると、その人物は静かに扉を開けてこちらに向かってきた。
足音からして女性……となるとクライスではない。
リルムかクーナかな? 俺はワクワクしていた。
その人物はベットの横の椅子に静かに座ったらしい。
しばしの沈黙が流れる。その間、部屋はとても静かだった。
その静寂を破るように、その人物は口を開いた。
「ロイちゃん…………」
声の主はリルムだった。リルムはいつもとは違う、しおらしい声で囁く。
その声はこの場に第三者が居たとしても、
俺にしか聞こえないほど小さいものだった。
しかしとてもはっきりしたものだった。
「ロイちゃん……目を覚ましてよ……私、ロイちゃんが居ないと……」
俺は寝た振りをしているのに罪悪感を感じたが、
タイミングを逃しそのままで居るしかなかった。
リルムが立ち上がる。彼女は俺の顔を覗き込んでいるらしい。
彼女の体温を顔の表皮で感じているようだ。
その体温が徐々に近づいてきている。
(リルム……何を……)
それは一瞬のことだった。俺の唇に柔らかいものが当たった。
そこで頭が真っ白になる。何が起こったのかは分かる……
でもそれが信じられない……あのリルムが……
落ち着け俺……
唇が触れ合っていたのは1秒、いや、
もっと短い時間だったのかもしれない。
しかし俺の頭の中で膨大の量の思考が巡っていた。
「ロイ……ちゃん……うううう……」
彼女の声で俺は一気に沈静した。
リルムがこんなに悲しんでいるなんて……
俺が眠っていた数日間、彼女はどれだけ苦しんだのだろう……
そう思うと気が気ではなかった。俺は咄嗟に身を起こして。
リルムの身体を抱きしめた。
「ロイちゃん?」
リルムは俺の急な対処に目を丸くして身体を硬直させる。
「ごめん。リルム。心配かけたな……」
「うん」
リルムは俺の背中に腕を回し、力いっぱい抱き寄せた。その体温が暖かかった。
そうやって数秒……俺はさすがに恥ずかしくなって身体を離した。
リルムはいつもどおりの笑顔を見せる。
その顔を見て、俺は先ほどの行為を思い出す。
一瞬だけだったが、あれはキスだった。しかもリルムからの……
俺は彼女の顔を見れなく、下を向いてしまった。
「どうしたの? ロイちゃん? 具合でも悪いの――」
「だ、大丈夫」
彼女が顔を寄せてくる。しかし俺は反射的に顔を背けてしまった。
誤解するな俺。リルムのことだから軽い気持ちでしたに違いない。
俺を好きとかそんなんじゃなくて…………
俺の気持ちはモヤモヤしていた。だからこそ俺は確認をしたのだ。
「えっと、リルム。さっきの――こと……なんだけど」
自分でも顔が赤くなっているのが分かる。何でキスしたの?
とか軽く言えればいいんだけど……そんな度胸俺にはなかった。
「さっき?」
リルムは頭にクエスチョンマークを浮かべて顔を傾ける。
「だから……俺が寝てるときの……」
本当に恥ずかしい……こういう時の天然は強敵だぜ……
「ああ!」
リルムは気づいたのか手を叩き、こう言った。
「ほら、王子様のキスでお姫様の目が覚めるって、よく言うじゃない」
その言葉を聞いて愕然とする。いやガッカリとかじゃないんだけど……
「王子様って、リルム。女だろ…………」
「いいじゃん。細かいことは気にしな~い」
やっぱりいつものリルムだ…………
だけど俺はなぜか少しホッとした。
「あっ、クライスちゃんとクーちゃんも、呼んでくるよ!」
リルムは急に椅子から立ち上がり、病室から出て行こうとする。
「病院では走るなよ!」
「は~い」
そう返事をして、彼女は出て行った。