第四章 血と戦争②
それから数年経った。
ようやく悲しみから立ち直り、俺が下級学校の卒業を控えていた時。
こんな田舎街にも戦争の波が広がってくる。
街中には兵士が配置され、物資の支給が始まった。
この街の魔法学校の生徒が何人か戦場に派遣されるという噂もある。
そして、ある日、家に国の兵士が訪ねてきた。
俺は怯えていた。またあの日のように悪い知らせがあるんじゃないかと…………
その予感は的中した。兵士たちは国のために有能な能力者を集めているということを言った。
祖母から聞いていたのだが、家の家系は希少な能力、
つまり〝テンプテーション〟を発動できる数少ない一族だったのだ。
父がこの能力を持っていたことは俺も知っていた。
国は俺の血を求めているのだ――
祖母はかたくなに、その命令を拒み続けていた。
最初は穏便に済まそうとしていた兵士たちだったが、
回を重ねるごとに焦りが見え始め、どなり散らして帰って行くこともあった。
その兵士の態度からは国の危機的状況が垣間見えた。
その話を学校でクライスに話す。
クライスとはリルム以上に小さいころからの仲だった。
だからリルムに言えないことも彼には言えたのだと思う。
「実は、リルの家にも通知が来たらしいよ」
彼はそう耳打ちしてくれた。神童リルム。
彼女が目をつけられない訳はなかった。
「あたしね。明日旅に行くんだ」
クライスからそのことを聞いた一週間後、リルムは突然そう言って来た。
彼女はいつもの笑顔でそう言った。
その曇りのない笑顔を見て、俺は彼女の手を取って走っていた。
今思えば子供の浅知恵でしかなかった。
森に隠れていれば、明日リルムが戦争に行くのを止められる。
家族がいなくなるのはもう嫌だ! その思いのみで俺は走った。
いつもは入らない郊外の森。
そこは夜になると不気味に静まり返っていた。
ここは魔法生物が生息しているとかで、町側からの出入りは禁止されている。
だが、俺は躊躇せずに、柵を乗り越え森へ入って行く。
しばらく歩き、森の開けた場所で俺は止まる。
「ここなら見つからないね」
「うん」
彼女はさっきから俯いていた。
そんな彼女に心配をさせないように、俺はたくさん話をした。
これからどこに進学するだとか、将来、どんな仕事をしたいとか。
だが、彼女はいつものように笑ってくれなかった。
「ロイちゃん。あたし、行くよ」
会話が途切れ、沈黙が訪れた瞬間、彼女は言った。
駄目だと言いたかった……
けれど、彼女の曇りない表情に俺の言葉は止められてしまう。
「戦争が広がったら、パパもママも……そしてロイちゃんも死んじゃうかもしれない。
だからあたしが止めるんだよ」
子供とは思えない彼女の決意に俺はただ何も言えなかった。
「だから、戻ろ?」
彼女は俺に笑いかけた。
その笑顔は、まるで俺を諭すかのように優しかった。
俺は諦め、手をつなぎ、森の道を引き返す。
彼女の後ろで俺は声を止め、泣いていた。
森は依然として静かだ。しかし、そんな森が急に動いたのだ。
いや、動いたと感じたのは正面の茂みが動いたからだ。
俺たちの前にいきなり大きな影が現れる。
教科書で見たこともあるのだが、それはマンイーターと呼ばれる生物であった。
大きなトカゲのような姿をしており、赤い鱗が特徴的だ。
性格は獰猛で名前の通り人を食べることもある。
教科書上では数センチにしか表示されないその生物も目の前で見れば何倍も大きいのだ。
その目に睨まれ、俺たちは硬直した。
トカゲは長い舌をチロチロし、俺たちのことを察知する。
「ロイちゃん……」
リルムは俺の手をぎゅっと握ってくる。
どうすればいいのか分からない。
でも俺がどうにかしなければいけない……そう思うのだが身体は動いてくれない。
「逃げて、ロイちゃん」
リルムはそう呟くと、俺の手を離した。
彼女はしゃがみ込み、石をマンイーターの方に投げる。
それはマンイーターの手前で落ちる。だが、注意を引くのには十分だった。
リルムはそれを確認すると、走る。
「ギュアァァァ!」
それを追いかけるようにトカゲも疾走する。
俺の前には道が開かれている。
彼女が命がけで作ってくれた道だ――
でも……
「リルムっ!」
次に気がついた時には、彼女を追いかけ、森の奥へと走る自分がいた。
リルムは必死で走った。だが人の二倍ほどある体長のトカゲは速い。
このままでは追いつかれる――
彼女は咄嗟に正面の木に登る。
幸い、マンイーターは気に登る習性はなかった。
しかしそんなことで獲物を諦めるほど単純ではない。
獲物を捕まえるのが無理ならば、トカゲはその大きな身体で木に体当たりをしかけたのだ。
「リルム!」
「ロイちゃん! 逃げてっ!」
その声で彼女は俺の方を見た。その瞬間、リルムは木から落ちた。
落とされたというのが正しいだろう。
マンイーターの体当たりは木を前後に揺らし、彼女は地面に叩きつけられた。
「リルム!」
地面に響く鈍い音を聞いて、俺はぞっとした。
彼女は動かない……
まさか、死んだ……
「うぉぉぉぉぉ!」
考えなんてない、俺は彼女の元に走った。ただ必死だった。
その時、身体の奥底から何かが湧き出してくるのを感じた。
それは自分の感覚を数倍まで引き上げる。
そして、この想いも――
リルムを助けたい! あのトカゲを倒したい!
その想いだけを向けて走る。トカゲと彼女との距離はもう少ない。
俺は手を伸ばす。
そこからは真紅の剣が数本生成された。
どうやったのかなんて分からない。ただその使い方はすぐに分かった。
「届けぇぇぇ!」
真紅の剣は俺の意思に同調し、トカゲに向かって飛び、その鱗を紙のように引き裂いた。
「ギュアアアアア!」
耳の痛くなるような断末魔の様な叫び声が響く。
マンイーターの生死を確認することもなく、俺はリルムの身体を抱き寄せた。
「リルム! リルム!」
揺すっても彼女は起きない。
俺はまた大事なものを失ったのか…………
「ロイ、ちゃん……?」
彼女はゆっくりと目を開け、俺を見た。
何か言えばよかったと思うのだが、俺はただ、彼女を抱き寄せた。
「ロイちゃん、髪の毛、真っ赤だよ……」
そこで初めて自分の髪が変色していることに気がついた。
彼女は俺の髪を撫でると、また目を閉じた。息はしている。
どうやら気絶したようだ。
「あれっ?」
そこで彼女を抱いたまま、俺の脚はガクッと折れる。
身体全身に力が入らないのだ…………
まるで先ほどの一撃に自分の中の物をすべて放出してしまったかの様に……
どうすることもできなく、俺は感覚だけで辺りの様子を窺っていた。
また、森が動いた――悪い予感しか、しない。
森の鼓動は段々と近付いてくる……
そして動けない俺が見たもの、それは数体のマンイーターだった。
一匹だけだと思ったのが間違いだったらしい。
先ほどまでの大きさではないが、俺たちをひとの飲みするのには十分な大きさだ。
俺は立ち上がろうとした。逃げなくては……
だが、体は泥のように重く、言うことを聞いてくれなかった。
マンイーターは味方同士狩りのタイミングを計るように舌を出し、コミュニケーションをとる。
その舌の動きはまさに地獄へのカウントダウンだった。
舌の動きが緩慢になり……止まる。
そして一体の後に続き、大トカゲは俺たちへ猛進してきた。
目を瞑り、彼女をかばうように、抱き寄せる。
この子だけは、守らなくてはいけない……そう思ったから。
その時だった、耳に聞こえたのは女の人の声だ。
その声は魔法詠唱、それに応え魔法壁が生成され、
見えない壁によってトカゲたちは弾かれる。
そして詠唱をした本人が姿を現す。
王国の勲章が付いた黒い礼服、黄金色の長い髪そして手には漆黒のレイピア。
彼女は間髪入れずに詠唱をし、トカゲに向かってレイピアを振る。
そこから出た魔力の刃はマンイーターの身体を簡単に切り裂く。
一振り、二振り、おそらくマンイーターは自分がどうやって死んだのか分からなかっただろう。
それほどあっという間の出来事だった。
彼女は剣を腰に収めると、俺らの方に来て、屈み、リルムの様子を確認する。
「どけ!」
俺は彼女に突き飛ばされ、尻餅をつく。
「なにを……」
「いいから黙ってろ」
彼女は威圧感のある声で俺の会話を遮った後、リルムに向かって掌を広げ、詠唱を始めた。
それが治癒魔法だということに気が付き、指示通り、黙ってその様子を見守った。
それが終わると、彼女はそっと手を離し、俺の方を向く。
「怪我は?」
「大丈夫です……」
身体は重いが怪我はしていない。その言葉を聞き、彼女はリルムを抱えると
「ここは危険だ。街に戻るぞ」
そう言い歩き出した。
街に戻るのは正直怖かった。でもここでリルムを危険に合わせてしまったのだ。
俺にそんなことを拒む権利なんてない。
無言のまま、俺は歩き続ける。
いろいろと聞きたいことはある、しかしこの人が軍の人間だと思うと、
どうしようもない気持ちがこみ上げてきていた。