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そして棺の中のわたし

作者: おさひさし

いつか、どこかで紡いだ物語。

そのなな。

 冬の日の夕方、降りしきる冷雨の中で、私はある家の前に立っていた。

 何の変哲もない、ごく普通の二階建ての一軒家だ。


 ――また、こんなところに来てる。懲りないなあ。

 傘を持つ私の左手には不自然に力が入っていて、指先は白くなっていた。一方で私の右手は、門に備え付けられたベルの前で硬直している。

 人差し指はベルのボタンに伸びているものの、それを押すことはできずに、ただ小刻みに震えている。

 傘の端から落ちてくる雨粒が、コツ、コツ、と右手の甲を冷たく、打ち続ける。

 痛い。

 まるで私を責めているみたいだ。

 このベルのボタンを押すか、押さないかで、もう五分、いや十分くらい迷っている。傍から見たら怪しいことこの上ないだろう。そして私がこの家に何の用があるのか、なぜベルを押さずにいるのか、疑問に思われるだろう。


 ――何やってるんだろうなあ、ほんと。

 目の前の家の中には、私のかつての親友がいる。

 とても仲が良くて、小学一年生から中学一年生まで、ずっと一緒に遊んでいた。休日はもちろん、学校の休み時間や放課後でさえも、私たちは二人一緒だった。時々そこに何人か混じることもあったけれど、私たち二人ほど親密な関係になることはなかった。

 私たちはただ遊ぶだけでなく、時にはお互いの秘密を打ち明け合ったり、個人的な悩みや困りごとを相談し合ったりもした。残念ながら同じクラスになったことは一度しかないけれど、それでもお互いの親や教師、同級生からは「繋がっているみたいに仲がいい」とまで言われていた。

 そう、私たちはそれくらい仲が良かったのだ。


 でも中学校に入ると、少しずつ、お互いの間にすれ違いが生じてきた。

 ほんの些細なことでお互い妙に不機嫌になったり、ちょっとしたくだらないことで口喧嘩をしたりといった具合に。

 そして中学二年生にもなると、私には新しい友達ができて、親友にもまた同じように別の新しい友達ができた。どちらが先に、というわけではない。たまたま時を同じくして、そうなったのだ。お互いに新しい友達ができてからは、そちらの方に入れ込むようになり、私たち二人は疎遠になっていった。学校の廊下で会った時に交わす会話も、だんだん素っ気なくなって、そのうち目配せさえしないようになった。

 高校はそれぞれ違う学校に通うことになったから、中学校の卒業式で、そのまま別れることになった。それまでお互い携帯電話はおろか自分用のパソコンすら持っていなかったから――少なくとも私はそうだったから、お互いのメールアドレスもわからない。家の電話番号は知っているけれど、わざわざ電話をかけるのはおっくうだ。

 だから連絡は全く途絶えていて、お互いがどう過ごしているのかわからない。毎年欠かさずにいた年賀状のやり取りさえ、もうしなくなった。


 小学生の頃はとても近くに親友の存在を感じていたのに、高校生の今ではそこはかとなく遠い存在に感じる。

 別に喧嘩別れをしたわけでもないのに、どうしてかとても会うのが気まずい。しばらく会っていないだけなのに、かつての親友が全くの赤の他人みたいに感じる。まるで私たちの間に、いつの間にかとても深い溝ができてしまったみたいだ。


 ――だって仕方ないじゃん。仕方ないことなんだよ。

 ここでこうして、この家の前でベルを押すか、押さないかで迷うのは、何も今日に始まったことではない。

 学校からの帰り道、ふと気が向いた時に、時々この家に立ち寄ってはベルを押すかどうか迷っている。

 なぜか、ふと会いたくなるのだ。

 でも、どんな顔をして会えばいいのか、わからない。

 会ったとして、拒絶されるかもしれない。もし「何しに来たの」とでも訊かれたら、うまく答えられる自信がない。「ただ会いたくなっただけ」とでも答えたら「あ、そう」で終わるかもしれない。「それで」と訊かれたら何も答えられない。そこまで行かなくても、お互いぎくしゃくして、そのまま終わってしまうかもしれない。自分で自分のしていることに対して意味を見出せない。

 ただ、ただ、本当に、ふと会いたくなっただけなのに。

 会えばそれで満足なのに――いや、違う。

 私はそれ以上を求めている。また昔みたいに仲良くしたいなんて今更虫が良すぎることを考えている。そしてそれが、私の一方的な願いでないことを望んでいる。かつての親友にも、私と昔みたいに仲良くしたいと思っていてほしい。そして私たちが再び出会った時に、それが見事にかち合って、何もかもが杞憂に終わるような、そんな展開を期待している。

 でも私は、そうそう現実がうまく行かないことを嫌というほど知っている。

 会ってしまうことで、お互いが傷ついてしまうことだってあるのだ。ただでさえ深い溝がもっと深くなって、埋められなくなるかもしれない。

 それが怖くて、だからボタンを押せない。


 ――あなたって本当に、面倒な人だね。

 こうして迷っているうちに、誰か家の人がひょいと顔を出して「ああ、○○ちゃん、久しぶり」とでも声を掛けてくれれば楽なのだけれど、世の中そう都合よくも行かない。

 今、目の前にあるかつての親友の家は、明かりが点いているのに、まるで誰もいないかのように静まり返っている。何だか辛気臭い空気を感じる。それが余計に、私の指を留まらせる。


 ――きっとあなたはもう、歓迎されてないんだよ。

 私はため息を吐いた。白い煙が、もわぁ、と口から立ち上り、瞬く間に消えていく。

 たった一度。そう、たった一度、ボタンを押せばいいだけなのに。

 ほんのちょっと、指先に力を入れれば済むことなのに。

 あとはもう、きっとどうにでもなるのに。

 どう転んだって、こんな面倒な気持ちはもう終わるのに。

 もう一歩踏み込むためのわずかな勇気が、ほんのわずかな力が、私には出せない。


 ――もう、やめよう。ねえ、やめようよ。

 私は右手を力なく下ろし、くるりと後ろに振り返って、とぼとぼと歩き出した。

 結局今日も踵を返してしまった。傘を持つ手から力が抜けていく。肩に掛けていた鞄がずるりと肘まで滑り落ちる。その反動で体が傾き、傘がふらついて、溜まっていた大きな雨粒が頭にこぼれてくる。つつう、と雨粒が頭から頬に垂れてくる。知らず知らずのうちに水溜りを踏んでいて、跳ね返った泥水が白い靴下と黒い靴を汚していった。

 手と足の先がひどく冷たくなる。

 鼻と耳の先がじんじんする。

 まるでぬかるみの中を彷徨っているように、足取りが重い。

 雨のざあざあというノイズのような音が耳をつんざく。

 さっきから嫌な声が聞こえてくる。


 ――あなたは、このままでいいの。こうしてこれからもずっと、中途半端に何もしないまま、何もできないまま、生きていくの。そんな人生で、本当にいいの。

 どこかで耳にしたアニメやドラマの台詞が、特に関係もないはずの言葉が、もうずっと頭の中でこだましている。耳障りで仕方がない。


 ようやく自宅に辿り着いた頃には、制服も鞄も乾かすのが面倒なほどに濡れていた。私の頬も、雨粒で濡れていた。何度目かのため息を吐く。

 きっとこれからもこうなのだろう。

 あと少しというところで、ぐずぐずして、結局踏ん張れない。


 ――あなたは頑ななんだね。それってあなたの一番嫌いな人じゃない。あなたは何が許せないの。あなたはどうしてそんなにこだわるの。その先に、何があるの。


 また誰かのそんな声が聞こえてくる。うるさい。とても、うるさい。静かにしてほしい。

 そもそも――私たちは、本当に親友だったのだろうか。

 ふとそんな思いがよぎると、言いようのない苦しさが込み上げてきた。

 胸がぎゅうと締め付けられる。

 もしかして、私だけが相手を親友だと思っていたりして。

 もしかして、親友はずっと一緒にいた私のことを、実は疎んでいたりして。

 もしかして、私はずっと親友に負担をかけていただけだったりして。

 もしかして――ああもう、きりがない。

 私は、あれこれ色々勝手に悩んで考えて、本当のことは何もわからないのに、一人で結論を出してしまっているのだろうか。

 それなら私はいったい、中学一年生の時からいったい、何をしていたんだろう。


 ――あなたって本当に惨め。見ていられない。もうどうしようもないね。

 やめよう、やめよう。もうやめよう。

 今日で、もうやめよう。

 今更いくら何を考えたって、もうどうにもならない、あの頃にはもう戻れない。何も取り返せない。ただ苦しいだけだ。自分のことが嫌で嫌でたまらなくなるだけだ。生産性のない無駄なことなんだ。だから、もうやめよう。もう会いたいなんて考えないようにしよう。忘れてしまおう。こんな気持ちは葬り去ってしまおう。

 もう死んだんだ。私の中にいる親友はもう死んだ。あの頃の私ももう死んだ。だからもう会えないんだ、二度と。

 だから棺の中に閉じ込めてしまおう。ゾンビになって出て来ないように、きつくきつく封をしよう。


 何度目かの決意を胸に、その夜、私は眠りに就いた。

 できることなら、もう目覚めたくないとさえ――思いながら。

 そして夢を見た。

 懐かしい、幼い日の夢。

 でも感傷には浸れない。ここ最近、もう何度も、似たような夢を見ている。

 私と親友が初めて出会った場面――それを、夢に見る。まるで呪いのように。

 私たちは小学一年生の頃、あの日あの時あの場所で出会った。

 今思うと、物語めいた展開だった。

 私たちはいつの間にか、お互いに強い何かで繋がっていた。


 ――わたしたち、ずっとともだちでいようね。

 親友は最後にそう言う。

 儚い言葉だ。

 ずっととは言ったけれど、たった六年とちょっとしか友達関係は続かなかった。

 ああ、もうそろそろ夢が終わる頃だろうか。

 いつになったらこんな夢も見なくなるんだろう――夢の中で私は、夢の終わりを待った。

 いつもならこの辺りで夢が終わり、目が覚めるはずだ。


 しかし、今回は違った。

「――わたしたちきっとね、いつかは考えが合わなくなったりとか、お互いが嫌いになったり、傷つけ合ったり、するかもしれない」

 夢の中の親友は、突然そんなことを言った。

 しかも、いつの間にか小学校の卒業式に夢の舞台が移っている。

「そう、ずっと仲良くなんていられないと思う。できればずっと仲良しでいたいけど、きっとそういうわけにはいかなくなる。だってわたしたち、これから何十年と生きてく中で、いろんな選択をすると思うし、いろんな人やいろんなことに出会っていくと思うし。だから、ずっと一緒、ずっと繋がったままでなんていられない、たぶん……」

 親友の顔は、寂しそうで、哀しそうで、不安そうで、でもどこか期待に満ちた、明るい色を含んでいた。

「――でもわたしたち、ずっとともだちでいようね」

 親友が最後にそう言った時、その夢は終わり、私の目は覚めた。

 頭がぼうっとする。

 とても静かだ。雨はもう止んでいるようだ。

 私は寝転んだままカーテンに手を伸ばし、そっと開けた。

 ちょうど、夜明けだった。濡れそぼった道路が、家々が、木々が、薄く光る太陽に照らされ、やわらかに輝いていく。その光景に私は思わず息を呑んだ。

 私は起き上がり、洗面台に行って顔を洗った。そして鏡の向こうの濡れそぼった顔の私に向かって、私は誓った。


 ――次は。

 次は絶対に、ベルを鳴らすんだ。

 うだうだ考えるのは、その後でいい。

 まずは、それをしよう。

 そこからまた、やり直そう。


 私はきつくきつく封をした棺を、がむしゃらにこじ開けた。


かわいい。

すごくかわいい。

こういう子好き。

もう一人の辛辣な自分と脳内会話しちゃう系。

例えて言うなら、冬の指先にできるささくれみたいな、あるいはたまに飲みたくなる黒酢ドリンクみたいな。

見えないところでそっと見守っていてあげたい。

たまによしよししてあげたくなる、そんな気持ちを抱きつつ。


新しい物語のために、過去の小説を晒していこうのコーナー第七弾。

テーマは「棺」だった記憶。

いまいちネタが思い浮かばず、それでも雨に濡れた制服の女の子を書きたかった、ただそれだけで強引にこじつけた作品。

オチに困ると夢に頼る傾向がある。

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