第九十五話 ただ一人
俺は二人の顔を見て瞬時に理解した。
だが、ビクニはその顔の意味がよくわからないようで、両方の眉尻を下げて小首を傾げている。
ググも同じようにわからないみたいで、ビクニのマネをしていた。
「ギョォォォッ!」
クラーケンの咆哮。
それは、獲物を食い損ねた怒りが感じられる叫びだった。
その叫び声を聞き、イルソーレがバルディッシュを構え、ラルーナは持っていた金属の輪――チャクラムを半分に分離し、両手にそれを握る。
そして、「来るぞ」とイルソーレが言うと、クラーケンの触手が再び俺たちに向かって襲い掛かって来た。
イルソーレは構えていたバルディッシュを振り落とし、ラルーナも両手に握ったチャクラムで応戦。
二人は向かってきた触手を切り落とし、けしてこちらへは寄せ付けない。
「すごいよ二人ともッ!」
ビクニがその場で歓喜の声をあげ、ググも同じように嬉しそうに鳴いている。
たしかに、イルソーレとラルーナ二人の実力は凄かった。
俺もビクニほどではないが、二人のことを過小評価していたと思うしかないだろう。
まるで雨のように降り注ぐ触手を、素早い斬撃ですべて切り落としている。
だがしかし、これでも――。
「へっ、気がついたかよソニック」
イルソーレが俺の顔を見て苦笑いをした。
そして、ラルーナは目の前の触手を切りながら言う。
「そうなんだよぉ。いくら切ってもクラーケンの触手は再生するから、意味がないんだよねぇ」
二人は表情を歪めながら、ただひたすら向かってくる触手を切るだけだ。
このままではジリ貧。
いずれ体力が尽きて、クラーケンに飲み込まれる。
「ねえッ! 宮殿には兵士たちもいるんでしょ? その人はいつ助けに来るのッ!?」
ビクニが叫ぶように訊ねたが、イルソーレは「へッ」と鼻で笑い、ラルーナは黙ったまま困った顔をしていた。
「宮殿の連中がここへ来るわけねえだろ」
そう言ったイルソーレは、その荒っぽい口調のまま簡単な説明を俺たちにした。
宮殿にいる人間たちは今頃――。
中心街にクラーケンが入って来ないように守りを固めている。
だから港へは来ないし、旧市街の亜人たちを助けにも来ない。
昔からそういうものなのだと、皮肉っぽく話してくれた。
「そ、そんなって……酷い……」
そのプルプルと震える体の理由は、怒りか悲しみか。
ビクニはイルソーレの話を聞いて、拳を強く握っていた。
そして、いきなり俺の左右の肩をガシッと両手で掴む。
「このままじゃイルソーレとラルーナまで食べられちゃうッ! だからソニック……私の血を吸ってあいつをやっつけてッ!」
この女は俺が理由を話してやったというのに、また血を吸えと言ってきた。
また怒鳴りつけてやろうかと思ったが、そのビクニの目を見ると何も言えなくなった。
何故ならばそのビクニの目は、失うことを覚悟した目をしていたからだ。
「ソニック早くッ!」
「ダメだ……」
俺はビクニから目を背け、ただ拒否することしかできなかった。
ビクニが俯く。
そして、呟くように血を吸うように言い続けている。
わかってんのかビクニ……。
吸血鬼になったらお前も俺と同じになっちまうんだぞ……。
「でもねぇ。昔からそうなんだけどぉ」
ラルーナがイルソーレの説明に続きがあるかのように話し始めた。
こんな状況だというのにその声はどこか嬉しそうだし、そして顔もウットリとしているように見える。
「中心街でたった一人だけ。あたしたちのことをいつも助けに来てくれる人がいたんだよぉ」
ラルーナがそう言った後――。
遠くから笛の音が聞こえてきた。
そのメロディーは次第に俺たちのほうへと近づいて来る。
これは……あの店で聞いた音……?
すると、突然イルソーレが俺たちを担いで走って後退。
そして、ガハハと大笑いを始めた。
「真夜中でのフルートも素晴らしいッ! さすがです兄貴ッ!」
そう言って後退し続けるイルソーレにラルーナが並ぶと、走りながらも小さく拍手をしていた。
その後、すぐに笛の音が止むと――。
「私の友人たちを傷つけることは許さんぞ」
手には金属製のフルートを持った青い燕尾服にマント姿の男――。
ルバート·フォルッテシがそこにいた。




