第九十二話 それは矜持なのか
宿屋の猫女店主がそういうと、部屋の空気が緊迫感があるものへと変わった。
イルソーレとラルーナはすぐに立ち上がって部屋を出て行く。
その背中にビクニが声をかけて止めた。
もうそれだけで嫌な予感しかしない。
二人はこれから旧市街の亜人たちを避難させると言う。
だから俺たちも避難場所へ行くようにと言って、飛び出していった。
猫女はもう避難場所の地図を持ってきていたようで、ビクニにそれを渡すと、他の宿泊客の部屋へと行ってしまった。
部屋に残された俺たち。
何故かプルプルと震えているビクニの背中に俺が早くその場所へ行こうと声をかけると――。
「ダメだよソニック。ここは私たちの出番じゃないのッ!」
……やはりというべきか。
俺の嫌な予感は当たってしまった。
この暗黒女はクラーケンのことを知っているのか?
あの巨大な海の怪物を相手に、俺たちが歯が立つはずがないだろう。
まあ、本来の魔力を取り戻した俺なら容易く仕留められるがな。
しかし残念だが、今の俺はろくな魔法が使えない。
俺はビクニに言った。
そんなことはこの国の騎士やら兵士に任せておけばいい。
わざわざ自分の命を危険にさらすマネなんてしなくていいんだと。
だが、ビクニの奴は――。
「誰が戦うって言った? 私たちはみんなが逃げる時間を稼げればいいの」
武道家の里ストロンゲスト·ロードで出会ったリム·チャイグリッシュの影響か。
この暗黒騎士と呼ぶにはあまりに非力なこいつも、一端の英雄を気取っているようだ。
ただ、真っ向勝負するつもりがないところをみると、自分の実力はわきまえているようだな
だったら最初から逃げればいいものを。
どうもこの女は変に肝が据わっているところがあるんだよな。
俺が渋っているとググが頭に飛び乗ってきた。
頭上で俺を鼓舞するように鳴いている。
どうやらこいつもビクニに賛成らしい。
全く、何で俺が旧市街の亜人たちのために動かなければいけないんだか。
「ほら、早くだよソニック。あなたがいないと空を飛んで引きつけられないでしょ」
「結局俺頼りかよ……」
俺はそう言ってため息をつくと、その場から立ち上がった。
それを見たビクニはニッコリと微笑み、ググは嬉しそうに鳴き始める。
まあ、幸いなことに今は夜だ。
ビクニを担いで飛び回っていれば、クラーケンくらい引きつけられるだろう。
そして俺たちは宿屋を出て走り出した。
外では亜人たちが固まって、慌てて避難場所へと急いでいた。
夜だというのもあって、眠っている子供を抱いた者が多い。
俺たちはそれとは逆の方向へと向かう。
「はあ、なんで俺がこんなことを……」
「いいじゃんいいじゃん。ここで恩を売っておけば船だって出してくれるかもだし。ククク」
「お前……やっぱり暗黒女だな」
悪い笑顔のままで走るビクニ。
俺の頭に乗るググも一緒になって、腹に一物ありそうな鳴き声を出していた。
リム·チャイグリッシュが何故こいつを英雄視していたのがわからん。
俺から見れば、文句ばかりで打算的で、それでいて他人を助けたがるどうしようもない女だ。
まあ、そういうところがこの女の長所ともいえるが……。
「港が見えてきたよッ!」
中心街とは違い、旧市街は港から近く、あっという間に辿り着いてしまった。
こんな近い距離なら、イルソーレやラルーナが慌てて部屋を出て行ったのもわかる。
港がモンスターに襲われたら真っ先にやられるのは旧市街の連中だからな。
「ソニックお願いッ!」
そう言われ、俺は背中からコウモリの翼を出してビクニを後ろから抱える。
そして、そのまま飛翔。
すると、そこからはクラーケンの姿が見えた。
