第八十九話 ダンスパーティー
ルバートは流れた涙を指でそっと拭うと、ビクニに笑いかけた。
店内ではまだ祭りのような騒ぎが続いていたせいか、誰もルバートの涙には気がついていなかったが、俺たちのいるテーブルだけにはほんの少しだけ悲愴感が漂う。
「何でもないよ。それよりも君たち、さっきから食べていないじゃないか」
それからルバートは、テーブルに置かれた料理を小さな皿へと乗せ、俺たちに差し出した。
小皿に移したルバートの問題ではないが、正直この店の料理は見栄えが悪く、盛りつけなんてあってないようなものだった。
「さあ、温かいうちに食べなよ」
いつの間にかキザな男の顔に戻ったルバート。
ビクニはさっきルバートが見せた涙のことを気にしているようで、浮かない顔をしていた。
この普段はやる気などほとんど見せない暗黒女は、食べることだけには貪欲なのだが……。
どうもルバートとラヴィの関係が気になっているようで、差し出された料理に手をつけずにいる。
そのせいなのだろうか。
ググも目の前の料理を食べようとはせずに、ただ寂しそうに鳴いていた。
それを見て、両方の眉尻を下げ、困った顔をしたルバートは、顔をにこやかなものに戻して料理の説明を始めた。
揚げた小魚を炒め、玉葱を酢で煮たものとともに漬けた料理――。
酒のつまみとして、この旧市街では人気の料理なんだそうだ。
ようは大きな魚は仕入れ値が高いから、安価の小魚を工夫して生まれた料理だろう。
次は、仔牛の肝臓を玉葱と炒め合わせたもの――。
肝臓と同し量――いやそれ以上のの玉葱を使うので、肝臓の料理というよりはほぼ玉葱の料理とも言える。
実は、肝臓の臭みをとるために大量の玉葱を使っているそうで、海の国マリン·クルーシブルの肉料理として、家庭でも非常に親しまれている料理なんだそうだ。
これもさっきの小魚と同じで、安く手に入る玉葱をなんとか美味しくしようとしたものだろう。
この国じゃ、玉葱は誰でも手に入れやすいっていうのはことが、二つの料理の説明からわかるな。
あとはピーマンと玉葱をトマトソースで煮たものや(また玉葱だ)、鶏肉、野菜、チーズを使ったミートパイなどがあった。
どの料理も形は歪だったが、とても食欲をそそる匂いだ。
だが、そんなルバートの丁寧な説明も料理の匂いも、今のビクニには届いていないようだ。
ずっと上の空で、ルバートが読み終わった手紙をチラチラと見ている。
そこにイルソーレとラルーナがやって来る。
すっかり酒が入っているようで、顔を赤くしてご機嫌な様子だ。
そして、イルソーレはいきなりビクニの背中をバーンと叩き、ニコッとギザギザの歯を見せた。
突然ことに驚いているのを見て、イルソーレをフォローするようにラルーナが慌ててビクニに耳打ちをする。
「イルソーレがごめんね。悪気はないんだ。それとね。あとでルバートの兄貴とラヴィ姉さんことは話してあげるから、今は気にしないで料理を食べちゃいな」
小声で内緒話のように話してはいるが、俺は吸血鬼族――。
集中すればコウモリ並みの聴覚になるため、こんな近い距離なら内容が聞こえる。
それにしてもこのラルーナも人狼だけあって、俺たちが泊まる予定の宿の猫女と同じだ。
穏やかな顔で頭にある耳はペタンと垂れ、尻尾を小刻みに揺らしている。
本当に獣人殺しだな……ビクニの奴……。
「うん、わかった。ありがとうね、ラルーナ」
そして、ビクニは笑顔を返した。
それからが凄まじかった。
ずっと我慢していたのかわからないが、ビクニはまるで獰猛な獣のようにテーブルにある料理を食べていく。
「このパイ、ピザみたいで美味しいッ! 私ピザなんてリンリの家のお誕生会以来食べてないよ!」
口いっぱいに食べ物を詰めながら言うビクニ。
またピザとかよくわからない造語を叫んでいる。
やれやれ、相変わらず下品な女だな。
他人に気を使うくらいなら食べ方にも気を使えよ。
だが、何故かそんなビクニを見た店内にいる亜人たちは大盛り上がり。
それからルバートは立ち上がって、店内にあったボロボロのバイオリンを手に取る。
そして、ほとんどゴミにしか見えないバイオリンを弓で弾き、跳ねるようなリズムとメロディの陽気な旋律を奏でた。
亜人たちはそれに合わせて、実に楽しそうに踊り始めている。
俺はずっと音楽というものを、貴族や旅の詩人が気取ってやるような形式ばったものだと思っていた。
だが、この光景を見たことで、そんな価値観は変えられてしまった。
音楽は庶民にも種族にも関係なく、同等に楽しめるものだと。
「ソニック、私たちも踊ろう!」
顔を真っ赤にしたビクニが、フラフラの状態で俺をダンスに誘ってきた。
その様子をイルソーレとラルーナが、遠くから見て笑っている。
あいつら……まさかビクニに酒を飲ませたのか?
「ほら、早く早くぅ～」
「わぁっ!? ちょっと待てよビクニッ!?」
強引に手を取られた俺は、そのままビクニと向き合ってダンスをした。
ググも酔っているのか、音楽に合わせてビクニの頭の上で鳴いてる。
俺もビクニも、およそダンスと呼べないような無様な動きをしていた。
だが俺は、こういうのも悪くない、と思った。
