第八十六話 笛の音
店主である中年のエルフが凄むと、店内で食事をしていた他の亜人たちも俺たちのことを睨みつけてくる。
騒がしかった狭い店内が、一瞬で静かな修羅場へと変わった。
言わんこっちゃない。
だから俺は出掛けるのは嫌だったんだよ。
だが、幸いなことに今は夜だ。
こんな連中なんて俺の速度を上げる魔法ファストドライブでさっさと振り切ってやる。
「ど、どどどうしようソニック! 私たち何もしてないのにッ!?」
「慌てるなビクニ。いいか、俺が合図したら……」
俺は店の出入り口を見た。
だが、そこはすでに亜人たちが集まっていて、猫の子一匹通れないくらい塞がれてしまっていた。
これではいくら早く動けても、ここから逃げ出すことはできない。
「まずい……作戦がおじゃんになった」
「えっ!? おじゃんってなに? それってどういう意味なのソニックッ!?」
ビクニはおじゃんという言葉の意味は理解できなかったみたいだが、その言葉の前後から最悪の状況であることはわかったみたいで激しく喚き出していた。
よく考えたらこいつの持つ魔道具は暗黒剣へと変わって、他者の悪い感情を吸収するのだから、この亜人たちを斬り裂けばそれで済む話だと思うのだが。
どうもビクニの奴は、自分が敵だと判断した相手にしか暗黒剣を使うことがないので、正直期待はできないな。
俺が使えって言っても無理だろうし。
さて、どうするか……。
そのとき――。
店の外から笛の音が聞こえ始めた。
こんな緊迫した状況には合わない、とても穏やかな旋律だ。
その笛の音がが聞こえてから、亜人たちの様子が変わる。
皆、何故か嬉しそうにして微笑み始めていた。
そして笛の音が止み、店の戸が開くと――。
「これはこれは。こんなむさ苦しいところへあなたが来るなんて、どうかしたんですか?」
店主である中年のエルフが別人のような声で、店に入ってきた人物に声をかけていた。
周りで殺気立っていた亜人たちも中年のエルフと同じように、その人物のほうをにこやかに見ている。
俺もビクニもググも入ってきた人物のほうを見た。
「いや、そこの宿に少年少女の旅人が泊まりに来たと聞いたものでね。ちょっと気になってさ」
そこには、金属製のフルートを持った男が立っていた。
金色の長髪を後ろに束ねていて、その顔は誰が見ても整っていると思うほどの美貌。
青い燕尾服にマント姿。
甲冑こそ身に付けていないが、腰に差した剣を見る限り、一見騎士のようにも見える。
その物腰や身に付けているものからして、とてもじゃないがこの旧市街の住民には見えない。
何よりもこのキザな男は人間族だ。
それなのにどうして、店主や亜人たちはこいつを見ても喧嘩腰にならないんだ?
こいつらはビクニを見た途端に凄んできたのに。
その後、このキザな男の一声で、俺たちはこの店で食事をすることを許可された。
「ここでのオススメをこの子らに頼むよ。あと私にはラム酒を」
テーブルに着くと、キザな男が勝手に注文した。
ビクニはどもりながらも礼を言い、なんとか世間話を始めようとする。
「あ、ありがとうございました。わ、私の名前はビクニです。それとこっちの男の子がソニックで、この子がググって言います」
ビクニは、相変わらずの人見知り具合で、なんとか自己紹介するも明らかに緊張しているのが伝わってしまう話し方だった。
そんなビクニを見てキザな男はクスッと上品に笑う。
ビクニも男にぎこちない笑みを返していた。
「あ、あなたのお名前は?」
そして、男に名前を訊ねると――。
「名乗るほどの者ではないよ」
と、穏やかに言った。
それを聞いてビクニの奴は両目を見開いていた。
「わぁ……ホントにいたんだ。そんな歯の浮くような台詞いう人……」
そんなビクニに同意するようにググもキュウと鳴いた。
俺はこの男を見て思う。
絶対に仲良くなれない部類の奴だと。
それにこいつ……人間族のくせに妙な瘴気を臭わせていやがる。
「兄貴ッ! ルバートの兄貴ッ!」
俺たちが話していると、店の外から褐色の肌をしたエルフの男と、犬の耳と尾を持った獣人の女が駆け込んできた。
そしてその二人の亜人は、俺たちの目の前にいる男の前で立ち止まる。
ちょっと待てよ……。
今ルバートって言ったか?
「やあ、イルソーレにラルーナ。遅かったね」
