第百八十七話 自己嫌悪
「あいつから見れば俺なんてわざわざ殺す価値もないってことか……」
地上へと向かった女神を前にして、何もできずにいたソニック。
彼はしばらくその場から動けないでいた。
ただ目の前にいただけで恐怖を感じるなど、生まれて初めて味わう経験だった。
相手はこの世界の女神だ。
もちろん力の差があることはわかっていた。
だがソニックは、どこかでそんな相手でも負けはしない――いや、勝てるつもりでさえいたのだ。
彼の亡き父ラヴブラッド王が言っていた。
夜の吸血鬼族は、たとえ神が相手だろうと後れをとることはない。
だがしかし、実際に女神を前にした自分はどうだ。
あまりの力の差の前に、情けなくも恐怖で震えてしまっているではないか。
ソニックは、そんな自分を情けなさを恥じていると、大事なことに気が付く。
「そうだ! ビクニとググをッ!」
それから倒れているビクニとググの元へ走るソニック。
今は女神よりも自分の情けなさよりも彼女たちのほうが重要だ。
「おいビクニ! ググ! しっかりしろ! 俺だ! ソニックだ!」
ソニックは、倒れているビクニの体に触れ、その上で横になっているググへ呼び掛けた。
その声にググが目覚め、キュウと鳴き返してくる。
だが、ビクニのほうは目覚めない。
まるで屍のように何の反応もなく、静かに目を閉じているだけだった。
それでもソニックにはわかる。
彼女はまだ死んではいない。
心臓は止まり、呼吸すらしていないが、たしかに彼女は生きている。
それはビクニの血を吸い――。
彼女を吸血鬼化――契約をして眷属としたことで繋がった――“血の絆”から感じることだった。
「クソッたれ、起きろよビクニッ!」
ソニックは呼び掛け続け、目覚めたググも一緒に鳴いていると、二人の後ろから人影が現れる。
気が付いたソニックとググは慌てて振り返ると――。
「大丈夫だよ。あたしあたし」
そこには聖騎士リンリが立っていた。
どうやら彼女の様子を見るに、ソニックの魔法によって女神からの呪縛は解けたようだ。
ソニックが女神が復活したことをリンリへ伝えると、彼女は今までのことはすべて見ていたと話す。
「ずっと誰かが自分の体を勝手に使ってたって感じで……。ごめんね……あなたの国のこと……」
ソニックは別に気にするなと返事をすると、リンリはニッコリと笑みを浮かべて彼の腕を掴み、乱暴にブンブン振る。
ソニックはそんな彼女の態度に、ビクニの話を思い出していた。
感情表現が豊かで、いつだって明るく前向きな娘――。
なるほど。
たしかにその通りだ。
ソニックの知るリンリは、まるで人形のような人間であった。
こうして実際の彼女と会ってみるとわかる。
リンリは女神に操られていたのだと。
「よし! じゃあいっちょ女神を倒しに行きますかな」
「お前……あいつに勝てるつもりか?」
ソニックは思わずそんなことを訊いてしまった。
リンリに操られていたときの記憶があるのなら、女神の力は誰よりも知っているはずなのだ。
それなのに、この聖騎士の少女は、まるで近所の野良犬でも大人しくさせに行くかのような言い草だ。
「ダイジョブダイジョブ。女神くらいワンパンだよ、ワンパン」
そう言いながら、何もない空中に向かってシュシュっとジャブを連打するリンリ。
こいつはある意味ビクニ以上におかしな娘だとソニックが思っていると――。
「それにあたし……。なんか悪いこといっぱいしちゃったみたいだし……。ここで女神くらい止めないとみんなに顔を合わせられないよ……」
そう言いながらリンリは、ソニックとググに背を向けた。
それは、無理をしているのがわかるただの強がりだった。
いや、たしかに本音ではあるのだろう。
だが、たとえリンリが強くとも、彼女に力を与えた女神を相手に勝てるはずがないのだ。
「これで帳消しッ! なんてことは言わないけど……。少しは罪滅ぼししないとね……」
「いくらお前でも女神を相手にしたら……」
「わかってるよ。でも、あたし……騎士だもん。大事な人を守らなきゃ!」
リンリはそういうと、魔力を全身に纏って、女神の開けた穴から地上へと飛んでいった。
残されたソニックは、苦悶の表情を浮かべながら、目覚めないビクニの体を抱きしめる。
「ちくしょう……ちくしょう……。俺は……俺は……ッ!」
再び自分の情けなさを恥じたソニックを――。
ググが慰めるように鳴きかけるのであった。
