第百五十六話 吸血鬼の騎士道
灰色の甲冑が辺りを埋めつくしながらこちらへと向かってくる。
どうやら狙いはぼくらみたいだ。
きっとそこらにある鏡でぼくらの位置を調べたんだ。
ぼくは今すぐソニックに飛ぶように鳴きかけた。
そうだよ。
コウモリの翼を広げて空へと飛んじゃえば、いくら相手の数が多いからって関係ない。
あっという間に逃げれるよ。
だけどソニックは、鳴いているぼくに向かって首を左右に振った。
「ダメだ。今から飛んだらいつ体が戻るかわからねぇ」
それからソニックは苦虫を噛み潰した顔で説明を始めた。
ソニックの体は今、ビクニの血の力によって、本来の姿へと戻ることができている。
だけど、女神にかけられた呪いのせいで時間制限があって、長い間は凛々しい青年の姿ではいられない。
そのうえ、激しい動きや魔力を消費すると、幼い少年の姿に戻るのが早くなっちゃうみたいだ。
あとコウモリの翼で空を飛ぶのは、地面で全力で走るよりも疲れるんだって。
ようは少年の姿に戻っちゃうとビクニを抱えたまま向こうの大陸までいけないってことらしい。
「だから、無駄に体力や魔力を使えねぇんだ」
そんなこといってもあんな大軍から逃げられるのッ?
もう目の前に来てるよッ!?
「ともかく走るしかねえッ! 海のほうまで出たらあとは飛んで向こうまで行く。それまでなんとか連中を振りきらねぇと!」
そしてソニックは走り出した。
頭にぼくを乗せ、ビクニを抱えたままだけど。
本来の姿になっているせいか、全然負担にならずに駆けている。
後ろからは灰色の兵隊たちが追ってきているけど。
これなら追い付かれることもなさそうだ。
と、ぼくがホッと安心していたら――。
「くそったれッ!? 前からも来てやがる!」
ソニックが慌てて立ち止まる。
目の前には後ろからは来ている灰色の兵隊と同じやつらが向かってきていた。
どうしよッ!? 囲まれちゃったよッ!
ここはやっぱり飛んで逃げるしか……。
でも、向こう大陸に渡る前にソニックが戻っちゃったら……。
ああぁぁぁッ! 一体どうすればいいんだよッ!
そのときだった。
目の前に見えていた灰色の兵隊たちが次々に倒れていったのは。
「あ、あれはッ!?」
ソニックが何かに気がついたみたい。
ぼくも目を凝らして見てみると、そこには燕尾服姿の老人――ヴァイブレが剣を持って立っていた。
「ヴァイブレッ!? お前、どうしてッ!?」
まだ兵隊たちを片付けているヴァイブレに向かって、ソニックが大声で訊ねた。
ヴァイブレは、鬼神のごと強さで兵隊たちを一掃すると、ぼくらのほうへと近寄って来る。
そして、ソニックの前で片膝をつくと丁寧に頭を下げた。
「ここは私めにお任せください。ソニック王子は婚約者様、いやビクニ様を連れて早くお逃げを」
「お、お前……」
ソニックは驚きのあまり、言葉を詰まらせていた。
ぼくだってそうだ。
だってヴァイブレは、ビクニが人間だったことを知って、ソニックに愛想を尽かしたと思っていたのに。
唖然とするぼくらの前で、ゆっくりと立ち上がったヴァイブレは笑顔を見せた。
それは、とても清々しいさわやかな笑みだった。
「長い地下での生活で忘れておりました。私はラヴブラッド家の騎士であることを。本当に恥ずかしい限りです」
そう言ったヴァイブレはぼくらの横を通って、剣を再び鞘か抜いた。
そして、ぼくらを追いかけてくる兵隊のほうへと歩き出す。
ソニックはそれを見てハッと我に返り、兵隊へと向かって行くヴァイブレのほうを振り返った。
「待てヴァイブレッ! ダメだ! お前も一緒に――」
「ソニック王子ッ!」
ヴァイブレはソニックの言葉を大声で遮って名を呼んだ。
それから背を向けたまま、ぼくらの知っている穏やかな彼の声で話を始める。
「これまで……お世話になりました。私はラヴブラッド家……いや、ソニック王子にお仕えできて幸せでした」
ヴァイブレはその穏やかな声のまま、ソニックが生まれたばかりの頃や、彼に剣や魔力の扱い方を教えた思い出を語り始めた。
幼いソニックはいつも自分を頼ってくれて、そのことでどれだけ自分が救われたのかを。
家族を失った自分に気を遣ってくれていたことが、どれほど嬉しかったのかを。
静かにソニックへと伝えた。
「本当に……立派になられました……。呪いをかけられてもけして屈せずに、こうして再び会えたのですから……」
だけど、ソニックは剣にも魔法にも才能に溢れ、自分ないなくてもよかったのではないかとも言う。
「そんなことねぇッ! 俺は……俺は……お前がいたから……」
ぼくの位置からじゃソニックの顔は見えないけど。
声が涙を流している声だよ。
「ソニック王子……感謝いたします。このヴァイブレ·リスペクタル、己の魂が体から剥ぎ取られても戦います」
そう丁寧に言ったヴァイブレは、たった一人で灰色の兵隊たちへと突進していった。
それを見届けたソニックは、けして振り返ることなく走り出すのだった。




