第百十九話 愛する者への行為
そんなルバートの姿を見たセイレーンは高笑う。
「さあルバート。あなたはもう何も我慢することはないのよ。好きなだけ己の鬱憤を晴らしなさい」
その声を聞いたルバートの目は、先ほどと同じ――。
あれだけ情熱的な眼差しをしていた男とは思えない、まるで強姦でもされた後のような目のままだった。
そして、さらにその全身を纏っている瘴気が濃くなっていく。
前に立ち寄った武道家の里――。
ストロンゲスト·ロードで精霊に魅入られたリム·チャイグリッシュのときと同じだ。
本人が精霊の呪縛を解かない限り、俺たちにはどうすることもできない。
「兄貴ッ!?」
「ダメだよッ!?」
イルソーレとラルーナは持っていた武器を捨て、腰にある剣に手をかけたルバートを取り押さえようとした。
だが、そこには二人が慕うルバートはいない。
体を掴んでくるイルソーレとラルーナを、無表情のまま振り払おうとしていた。
イルソーレとラルーナはすぐにルバートが正気ではないことに気がついたのだろう。
それでも、必死なって呼び掛ける二人に、何の感情もなく、人形のように黙ったままだった。
セイレーンは空中からその様子を見て、さらに高らかに笑った。
「てめえだなッ! てめえが兄貴をッ!」
「兄貴の剣はラヴィ姉さんのための剣なんだよぉ。お前なんかのために絶対に使わせないッ!」
ルバートを操っているのがセイレーンだと理解したイルソーレとラルーナは、空を見上げて叫んだ。
だがその行為は、ただセイレーンを喜ばすだけだった。
ルバートは、獣人二人掛かりでも、いとも簡単にイルソーレとラルーナを吹き飛ばした。
愚者の大陸を抜けば、世界最強と言われるほどの剣の使い手と呼ばれるだけあって、細身ながら腕力のほうも相当なものだった。
そして、ルバートはついに剣を鞘から抜き、先ほど払い飛ばして建物の壁に叩きつけたイルソーレとラルーナの元へ歩き始める。
壁に叩きつけられた二人は気を失っているようだった。
このままじゃ確実にルバートに斬り殺される。
「ソニック、お願いがあるの」
その様子を屋根から見ていたビクニは、倒れている俺に声をかけてきた。
俺はビクニの奴が何を言ってくるのかわかっていた。
ググの奴も弱々しく鳴いているが、ビクニと同じことを言っているように感じた。
「私の血を吸って。そうすれば本来の力が戻ってルバートを止められるでしょ」
ビクニの言葉は俺の想像していた通りのものだった。
この馬鹿女はもう俺の言ったことを忘れたのか。
次に俺がお前と交われば、ハーフヴァンパイアになっちまんだぞ。
俺はビクニにそのことをもう一度説明した。
だが、ビクニの奴は――。
「このままじゃルバートがイルソーレとラルーナ……ううん、この国の人たちをみんな殺しちゃうよ」
「だからってビクニがリスクを負う必要はないだろ。これ以上血を吸ったらお前は人間じゃなくなるんだぞッ!」
「そんなことよりも今はルバートの剣を……ラヴィ姉に捧げた剣を……ルバートが大事にしている人たちを斬るために使わせたくないよッ!」
“そんなこと”だと。
やはりこいつは俺の説明をろくに理解していない。
だがしかし……。
たとえわかっていても同じことを言うのがこの暗黒女だ。
会ったときから変わらない馬鹿女だ。
だが……だから俺は……こいつを……。
「よし、やってやる。血を吸ってやるよ。後でせいぜい後悔しやがれ」
俺は体を起こして、そのままビクニの首筋に噛みついた。
歯を突き立て、奴の白い首から赤い血が垂れ始める。
そこから血液を吸いあげ、喉から体内へ流れる血が俺の魔力を上昇させる。
「あぁ……ソニック……」
俺の腕の中でビクニが、普段からは考えられないような艶かしい声をあげていた。
本来吸血鬼族にとって血を吸うという行為は、同族相手になら、愛する者へする口づけや性行為に近いものだ。
体の三分の一がすでに吸血鬼化している今のビクニにとって、この吸血行為はかなりの快楽を感じさせるだろうと思う。
「ソニック……ルバートを……元に戻してね……」
そんな状態だろうと、この女は他人の心配だ。
こいつのお人好しもここまで来ると尊敬するレベルになるな。
そして、完全に気を失ったビクニを抱いた俺は、そのまま屋根の上に寝かせた。
それから、口の周りについた血を服の袖で拭き、そのまま立ち上がる。
「ググ、ビクニは任せるぞ」
その言葉に力強く鳴き返したググを置いて、俺は地上へと向かう。
「ファストドライブ」
速度上げる魔法を唱え、一瞬でルバートの目の前へ。
だが、ルバートは特に驚きもせずに、死んだ目のまま、剣を俺へと振りかざした。
