第百十六話 海の精霊
「話があるからと聞いてついて来てみれば、一体何を言っているんだか」
「じゃあ、お前は昨日の夜どこで何をしていたんだ? たしかやることがあるとか言っていたよな?」
俺が訊ねるとルバートは、クラーケンの件の後始末をしていたと返事をし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
「待てよ。まだ話は終わってねえ。前から訊きたかったんだが、お前……どうしてそんな妙な瘴気を纏っているんだ?」
俺がそう訊くとルバートは立ち止まった。
そして、ゆっくりとこちらを振り向く。
そのときのルバートの顔は俺の知っている穏やかなものではなかった。
その覇気のない顔から見える瞳は光を失っており、焦点が合っておらず、とても虚ろなものだった。
それは、あれだけ情熱的な眼差しをしていた男とは思えない、まるで強姦でもされた後のようだ。
そして、さらにその全身を纏っている瘴気が濃くなっていく。
「ずいぶんと鼻が利く吸血鬼ね……」
そして、振り向いたルバートから女の声が聞こえ始めた。
「どうやら当たりだな」
そう――。
俺はこの臭いを知っていた。
ルバートが纏っていた瘴気は、これまでの旅で戦ってきた精霊と同じものだ。
昨夜に現場に残っていた瘴気を嗅いで思い出したんだ。
「お前の目的はなんだよ? ルバートに取り憑いて一体何をするつもりだ?」
「私はただこの子がやりたいことをやらしてあげているだけよ」
その返事と共に、ルバートの体から精霊が姿を現した。
その姿は、鳥の翼を持った人魚――。
繊細な顔立ちに真っ白な肌していて、青い髪と瞳を持ち、その髪はまるで流れる水のようだった。
外見も物腰も大変魅力的な女性――。
こいつ……セイレーンか。
もし俺が普通の男だったら、セイレーンの姿を見ただけで虜にされてしまっていただろう。
目の前に現れた精霊は恐ろしいほどの美しさだった。
「ルバートがやりたいことだと?」
「ええ。この子はねえ、この国が大っ嫌いなの」
それからセイレーンは喜劇の内容でも話すように、微笑みながら説明し始めた。
ルバートはずっとこの海の国――マリン·クルーシブルのために生きていた。
周りからは好き勝手やっていると思われていたが、彼は誰よりも国のことを考え、宮殿や中心街の住民と旧市街の亜人たちが手を取り合えるように努力してきた。
それもあり、亜人たちはルバートを受け入れ、考え方を変えて人間族がいる中心街で働きに出る者も増えていった。
中心街の住民の中でも、少しずつだが亜人たちへの偏見がなくなっていったようなのだが――。
「それでも貴族たちは変わらなかったわ。この子がどれだけ頑張ってもね」
セイレーンはそう言うと、突然吹き出して高笑う。
そして、笑いながら話を続けた。
貴族たちが変わらなくてもルバートは諦めなかった。
だが、そんな彼にも疲れが出たのか、毎晩一人で海に向かって歌を口ずさむようになったという。
セイレーンはそのときにルバートと接触し、彼の望みを叶えると言ってその体に取り憑いた。
「この子と私は相性が良かったのよ。ほら、だって音楽で繋がっているしね」
「あっそう。だが、これで全部納得できたぜ。お前はルバートの弱みつけこんだってわけだな」
俺がそう言うと、セイレーンはまた高笑った。
この女は姿こそ清楚そのものだが、根っこのところで享楽的な雰囲気がある。
「それで? あなたになにができるわけ? 昨夜の風の魔法は見事だったけれど。朝の吸血鬼なんてドブネズミ以下じゃないの?」
「そうかもな」
嘲笑うセイレーン。
俺は奴に返事をすると、座っていた樽から立ち上がった。




