第百十二話 妙な瘴気
俺は両手へ集めた魔力を少しずつ解放していく。
下はかなり広範囲の火事だ。
ここで街全体に大雨を降らせてやるのも一つの手だが、いささか効率が悪い。
幸いなことに、ここは街中に運河が通る海の国マリン·クルーシブル。
港から海水がそのまま流れている水の都だ。
ならば、そこら中にある水路からその海水を引き上げてやればいい。
「いいかググ。お前の魔力のお返しに、今から面白いものを見せてやる」
俺がそう言うと、肩の上でグッタリしていたググが鳴いて返事をした。
その鳴き声を聞くに、どうやらはしゃぐ元気もないらしい。
まあ、当然だろう。
今のググは俺に魔力のほとんどを取られたんだからな。
少しずつ解放された魔力の影響で、街中の運河を流れる水が渦を巻いて上昇し始めた。
これは風の魔法の応用だ。
魔法とはただ相手を攻撃したり、傷を治したりするだけじゃない。
こういう使い方もある。
街全体にある水路から立ち上がる水の竜巻を操り、徐々に引き上げる。
だが、思っていた以上に体への負担が大きかった。
くッ、しくじったな。
やはり大雨を降らすべきだったか。
ちょっとでも集中力を切らすとせっかく引き上げた水を落としてしまいそうだ。
そんな苦しそうな俺の顔を見たググ。
自分も満身創痍のくせに、俺に向かって心配そうに鳴き声をあげてきた。
「大丈夫……大丈夫だぜググ。ここで街の火を消さないとビクニの奴が……じゃなかったッ!? 船を借りて愚者の大地へ行けねぇからな」
一瞬だけ集中力が切れかけたが、なんとか持ち直す。
何故こんなときにあんな女のことなんか考えたんだ俺は?
おかげで失敗しそうになったじゃないか。
再び集中力を取り戻した俺は、そのまま風を巻き起こし続け、無数の水の竜巻をさらに上昇させる。
そして、燃え盛る街へそいつをぶつけていった。
建物を覆い尽くしていた炎の上に水が重なると、見事に消火されていく。
それを見ていた地上にいる中心街の住民たちから喜びの声が聞こえ始めていた。
空を飛ぶ少年が街を救ってくれたぞ、とか下で騒ぎだしている。
俺はお前たちが忌み嫌う亜人――“救世主”じゃなくて“吸血鬼”だよバーカ。
でもまあ、これでひとまず安心だな。
「お前もよくやったぜググ」
俺が声をかけるとググは嬉しそう小さく鳴いた。
だが、そのとき――。
ぶつけた水の竜巻から出た海水の匂いではない、妙な瘴気が臭い始めていた。
いや、さっきは魔法に集中していたから気がつかなかったんだ。
この臭いには……覚えがあるぞ。
俺は急いで地上へと降り、瘴気の臭いが濃いほうへと向かった。
だが、中心街の住民たちが集まってきて身動きがとれなくなってしまう。
「邪魔だッ! 退けよッ!」
だが、連中は俺の言葉を無視して街を救ってくれた礼を言い続けていた。
くそッ、今はお前たちの相手をしている暇はないんだよ。
群がってくる住民たちから逃げるため、俺は再びコウモリの翼を広げた。
そして空へと飛んだが、そのときにはもう瘴気は消え去ってしまっていた。
「消えちまったか……。だが、あの妙な瘴気……もしかして……?」
そのときの俺は、けしてありえないことを考えていた。




