第百六話 善良性の気持ち悪さ
黒々とした水路の上に風が吹いているためか、ときおり水の匂いがする。
街並みの狭い道にあるわずかばかりの灯りが、路地裏や橋の下の闇を一層暗く見せていた。
ルバートは橋から身を乗りだし、暗い水面を見ながら押し黙っている。
「ごめんなさい……私……あまり力になれなかったみたいで……」
ビクニがそんなルバートに申し訳なさそうに声をかけていた。
――午後に行われた宮殿での貴族会議の後。
俺たちは中心街から、宿を取っている旧市街へと戻る道の途中だった。
ルバートは、すっかり陽が落ちたこともあり、夜道は危険だから宿屋まで送ると言って、旧市街の入り口まで案内してくれた。
その入り口付近での橋の上で、寂寞感に満ちた表情でいるルバート。
ビクニはそれを自分の責任だと思ったのだろう。
だからこそ声をかけつつも、ばつが悪そうな顔をしていたのだ。
「そんなこと言わないでくれ。ビクニはよくやってくれたよ。君たちのおかげで彼らも少しは何か感じてくれたんじゃないかな」
声をかけられたルバートは、ビクニが心配するような態度をしてしまったことに頭を下げ、俺たちへ礼を言った。
この男はどこまで腰が低いというか人が良いというか……。
上流階級であり、世界中にその剣の実力を認められていらながら、この謙虚さ――。
正直俺は気持ちが悪かった。
凄まじいまでの善良さだ。
善人しかいない国――ライト王国とは違う気持ちの悪さだ。
ライト王国に何故善人しかいないのかというのは、辺境の地にあり田舎という国柄というのもあるのだろうが、やはり王族も民もすべての人間が等しく良い人間だからだ。
だからこそビクニは、長い間怠惰な生活を許されていた。
働きもせずに毎日食べては寝て食べては寝てを繰り返しても、誰も気にせずにそんなダメなビクニを可愛がっていた。
だが、この海の国マリン·クルーシブルは違う。
物資の豊かさでいえば同じくらいといえるかもしれないが、ここは悪意を持つ者が多くいた。
自国の文化以外は受け入れない宮殿の貴族たち――。
人間族というだけで因縁をつけてくる亜人たち――。
中には、俺たちを中心街まで無料で運んでくれたゴンドラの漕ぎ手――船頭などもいたが、基本的にこの国には蔑みや嫉妬、そして憎しみが渦巻いてる。
俺は、たった一日しかこの国に滞在していないというのに、こんな感想を持つのだ。
だが、そんな環境の中でこの男――。
ルバート·フォルッテシが持つ善良さは、まるで砂漠の真ん中にそびえ立つ大木のように違和感があった。
それに、最初に会ったときから思っていたが、この男は全身から妙な瘴気を臭わせている。
「兄貴～ルバートの兄貴ッ!」
「やっと追いついたよぉ」
俺がそんなことを考えていると、イルソーレとラルーナが現れた。
なんでも仕事が終わったそうで、急いで俺たちのことを追いかけて来たらしい。
こいつらもかなり人が良いが、それは全部ルバートの影響だろう。
「ちょうど良かった。実はこの後にやることがあってね。イルソーレとラルーナにビクニたちのことを頼んでいいかな」
ルバートがそういうと、イルソーレが――。
「もちろん! そんな言い方は水臭いですよ。兄貴の頼みならなんでも引き受けます」
と、自身の筋骨隆々の胸をバシッと叩いた。
「それにまたビクニたちと食事でもと思っていたのでぇ。こちらこそ行かせてくださいよぉ」
そして、ラルーナはペコリと丁寧にお辞儀をした。
ルバートは二人の返事を聞くとスッと背を向け、手を振りながらその場を後にした。
その善良さ以上にブレないキザったらしさだ。
ルバートが去ると、イルソーレとラルーナがビクニに今夜は何を食べるかと話し始めた。
だが、ビクニはルバートは来ないのかと、寂しそうに言った。
困った顔をした二人だったが、突然イルソーレがビクニを肩に乗せ、走り出した。
「ほら、ソニックも急いでよぉ」
ラルーナは俺にそう言うと、ビクニを担いだイルソーレを追いかけていく。
すると、俺の頭に乗っていたググが急かしてきたので、やれやれと俺も走り出したのだった。
