その4「時雨 演じる 遺書」
昨日は掃除に追われてできませんでしたが今日は書けました。
短いけれども許してニャン
怪しげな空模様。確かこの時期のこういった天候は時雨心地というのだったか。昨日も一昨日も通り雨が降っていた。
それにしてもずいぶんと寒くなってきた。もうじき冬だろうか。ここ数年は気温の変化が激しいが、それでも季節は確かに移ろいでゆくものだ。
あれから何度季節が巡ってきたのか。まあ自分の年齢を数えればすぐに分かることなのだが、冷静に数え始めるのも気持ちが悪い。
人間生きていればいろいろなことがあるものだが、今なお、あれほどに鮮烈に私の中に焼き付いているものは他にない。
目前での身投げ。私が制止の声を掛ける間もなく彼の体は放り出され、すぐに異様で大きな音が周辺に響き渡った。どうしてこうなってしまったのか。その時の私はただ、立ち尽くすことしかできなかった。
すぐに警察等がやってきて、思考がまとまらないままいろいろなことを聞かれたが、ろくに応えることはできなかった。
彼の自室から見つかった遺書には彼の自殺について事細かに書かれていたという。学校でのいじめ、取り合ってくれない両親や教師、孤立してしまい耐えられない。そんなことが丁寧に綴られていた。
かつてそれなりの付き合いをした友人であった私は、同じ校舎内で過ごしていたにも関わらず、離れたクラスにいる彼の変化に手遅れになるまで気づくことはなかった。
今思えば多くの手がかりはあったのだろう。廊下で見かけた彼の表情、一人でいることが多くなっていたが、時たま珍しい組み合わせで歩いていることもあった。ほんの些細なものだったのかも知れないが、確かに兆候は在ったのだ。ともすれば時折目が合ったのは彼のSOSであったかも知れない。
憶測はいくらでもできるが、本当のところは今となってはわからない。
彼の遺書には私のことなど全く書いていなかったから、思い過ごしということもあるだろう。
しかし目の前で彼に死なれた私にはある種のトラウマとなったのだろう。以降私の行動原理は確実に変質した。
元来私は内気な正確であった。いや、それは今も変わってはいないのかも知れない。
私は些細な変化に敏感になった。そしてその変化が及ぼす影響に恐怖し、積極的に行動を起こすようになった。その時の私は、自分が自分ではないように感じることがある。
時に感謝されることもあるが、その度に彼の顔が、彼が死ぬ直前のあの顔が脳裏をよぎる。
私が勝手に感じた罪悪感だが、彼が私の前で死んだ事実は今も私を突き動かしている。
当時彼を死に追いやった元凶、いじめの主犯や教師達はその後も特に変わりなく過ごしていた。今現在主犯達は家庭を築き幸せになっている者もいる。
そんなものだ。
人間なんてそんなものなのだ。今それを糾弾し主犯たちを社会的窮地に陥れることにも意味などない。
それでも私は彼を忘れることはできないだろう。自ら命を投げ出すほどに追い詰められた者のことを、なかったことになどできない。
これからも私は、彼への贖罪に、自己満足のために、それが自分の役割だと信じて、生き続けて行くのだろう。