その3 「綴る 弱み 握り返された手」
ジェネレータ変えました。
人間は大なり小なり、日々各々の戦いの中で生きている。
日常的な勉強、仕事、人間関係はもちろん、自身に課したノルマや突発的な事態への対処、長期的なスケジュールを崩さないように苦心したり、時には自制したり。
特に現代は競争社会だ。自身の存在価値を示すため、より良い待遇を手に入れるため、人々は走り続けている。
しかし生憎、僕にはそういった上昇志向なんてものはない。だけれども、そんな僕でも譲れないことの一つや二つ持ち合わせているものだ。
これより綴るのはそんな僕の、とてもちっぽけな矜持を賭けた戦いの記録である。
僕は日野暗。現在高校二年生。世間一般で言えば青春の真っ只中の花の高二。
僕はぼっちだ。だがしかし、そんじょそこらのぼっちと一緒にしてもらっては困る。僕は自ら積極的にこの生き方を選択したのだ。これだけ言えばまあただの強がりだろうとか、自分にはなにか特別な力があると思い込んだイタいやつだとか、童貞だとか思われたことだろう。いや童貞だけど。
僕が積極的ぼっちをやっているのには、僕のある趣味が大きく起因している。
その趣味とは──
「その、来てくれてありがとう」
「うん……」
放課後、部活動の喧騒から少し離れた区画。人通りはまずなく、生徒がたくさんいる運動場から様子を窺うということもかなわない。
二人の男女。空は薄っすらと赤らみ彼らを包み込んでいるかのよう。そこには異質とも言えるほどに独特の緊張感を持った世界が展開されていた。
そんな空気を壊さず、気配を全く悟らせず。僕は校舎内の特等席でその様子を見守っていた。ここは校内屈指の告白エリアとしてその筋(?)では有名なスポットの一つである。
これが僕の趣味の一端、その中でも特にわかりやすいものだろう。
彼らの青春の輝きを、甘くて酸っぱいその営みを、穢れ無き純粋な心を。そんな若い光を盗み見ることが僕の楽しみなのだ。
無粋なことはするなって? 大丈夫、気づかれなければ僕がここにいたという事実はないし、見つかったとしてもただ単に放課後一人でぼうっとしていた不審なぼっちで終わりだ。
「ほう、今日は二人共クラスメイトだな」
クラスでも仲がよさ気な二人。周りからはもう付き合っていると思われているし、かなりフランクな関係だったはずだ。
しかし今彼らの間にある空気はまさしく純だ。勇気をだして呼び出したものの不安を感じているような男子。そしてそのいつもと違った様子に戸惑いながらも期待を滲ませ続く言葉を待つ女子。
いやあ今日は素晴らしい物が見れた! 高二でここまでピュアな場面に出会えるなんて最高だぜ! 最近は手慣れてしまった生徒が多いせいもあって、それもまた彼らの青春の行く先なんだと染み染みと見ていたものだが、やはりこういった綺麗なものを見るのが一番だな!
最初の様子からわかっていたことだが、無事告白は成功。ここにまた人組のカップルが誕生した。んん〜良きことかな。
こうして僕はいつものように満足しながらうんうん唸っていた。それはもう恍惚の笑みを浮かべながら。特にこの日はいいものが見れた喜びからか油断していたんだ。
「なにやってんのあんた」
不意に真横から声をかけられ思わず体が跳ねる。いつの間に接近されていたんだ!?
「うわっとと、驚きすぎでしょ。そんなに跳ねたらこっちもびっくりするじゃない」
慌てた僕は落ち着け落ち着けと念じながら、声をかけてきた生徒に目を向けた。
長い黒髪を後頭部で束ねた女生徒。凛とした目鼻立ち、それでいてどことなく活発で暖かな雰囲気のする美人さんだ。確かこの人は……
「ええっと、誰だっけ」
「私達は初対面よ」
ああなるほど。だから覚えがなかったのか。ぼっちをやってれば初対面じゃないのにはじめましてと言われることはざらだけどね。
「初対面なのにあんたって随分な挨拶ですね」
「一人で恍惚の笑みを浮かべながら唸ってたぶっ飛んだ人物と同じとは思えない良識的な意見をありがとう。私は二年E組の朝陰灯よ。あんたは?」
「僕は日野暗。クラスは二年A組です」
随分といい性格をしたお方のようだ。厄介な匂いしかしないのでここはさっさとずらかるべきだろう。
それじゃあこれで。と言って僕は踵を返し、早歩きで一気に距離を離す。
「で、なにしてたの?」
あっれれ〜おかしいな〜即座に肩を掴まれて体の動きを簡単に止められてしまったぞ〜?
その魔の手から逃れるために動き出そうとした途端、凄まじい痛みが肩を襲う。なにこの人ゴリラか何かなの? あまりの痛さにヒギッって変な声出ちゃったじゃん。
彼女の強引な質問、もとい尋問により、誰にも知られることのなかった僕のささやかな(?)楽しみが人の知るところとなってしまった。怖かった。しゃべるしかなかった。
「ええ……なにそれ……」
もちろんドン引きである。
「い、いいだろ別に。少々特殊なことは自覚してるから誰にも迷惑かけないようにひっそりとやってるんじゃないか」
文句を言われる謂れはないだろう。
「いやまあそれはいいんだけどさ、それってあんたが楽しいの?」
もちろん。楽しくなければ毎日ひっそりとここで時間を潰したりなどしないさ。胸を張ってそう答えた。すると彼女はとんでもないことを言い出したのである。
「その中にあんたが入っていたいとは思わないの?」
「とんでもない!!」
思わず声を上げた。
「彼らが繰り広げる青春の1ページに影響を及ぼさずにじっくりと眺めるその瞬間こそが至福なんじゃないか! ようく観察してみてご覧よ、彼らの感情の機微が感じ取れるようになればそこに広がるのは毎日がドラマの連続さ! こんなに面白い娯楽はないし、こんなに尊い綺麗な光景は今しか見ることができないんだぞ!? それら自身の目が届く範囲を余すことなくこの目に焼き付けることに忙しくて僕は人間関係にかまっている暇なんてないのさ!!」
魂の咆哮だった。気づけばこれが僕の存在意義なんだと、熱く叫んでいた。
「あ、うん」
更にドン引きされた。
あの日から時折彼女が話しかけてくるようになった。おうおうやめてくれ僕はぼっちで通ってるんだよ。
廊下ですれ違うと声をかけられる。その程度ではあるのだが何せ彼女はいきなり僕に声をかけるような人間だ。そのコミュ力、社交性は高い水準にあると言ってもいいだろう。その証拠にいつも一緒に行動しているのは日替わりかというほどにさまざまだ。
僕はクラス内の様子以外には明るくない。下手すればすでに地雷を踏み抜いている可能性も無きにしもあらず。怖い。
それにしても僕が捲し立てた時はあんなにドン引きだったのに、どういう風の吹き回しなのだろうか。まあ深く考えてない可能性のほうが高いか。気にしないでおこう……。
そうして声をかけられるのも気にならなくなり、テキトーに挨拶を返すようになったある日も事だった。
僕は例の場所、放課後のオアシスに彼女がやってきた。
「もしかして、放課後は毎日ここに?」
「そうですよ。ここで勉強でもしながら、誰かの告白シーンでも見れればラッキーって感じで」
「ふーん、さいですか」
ここは特に締め切られていない空き教室だ。一応机と椅子はあるのだが、授業が行われているのは見たことがない。僕も放課後にあの告白の名所を見やすくてバレないところを探してたまたま見つけたのだ。
彼女はひとつ頷くと僕の隣の席につく。
「まだ敬語なんだ」
「別段仲良くもないですし、まともに話したのも二度目でしょう?」
むしろ僕はクラスの隣の人にも敬語だ。
「いや、前のがまともに話したうちに入ってるのが驚きなんだけど……それにしたって、結構いい感じに挨拶返してくれるから結構仲良くなれたかなって思ったんだけど」
「うーん……そうですね。例えばの話ですが、近所のおばあちゃんに毎日挨拶してるからってタメ口で話すのはなんか変でしょう? そういうことです」
我ながらいい例え話だ。人間挨拶は基本だからな。欧米ではよくハグするからって男女の仲にはならないだろう。
「私はおばあちゃんカテゴリーだったのか……」
そう言って机に突っ伏す彼女。あんまり使われてない教室だから机が清潔とは限らないんだけどなぁ。フォローをテキトーに入れてから落ち着いたところで、要件を聞くことにした。
「それで、今日はまたどうしてここへ」
「あんたとちょっと話してみたいと思ってね」
はぁ。気の抜けた声が僕の口から漏れる。こいつは一体何を言っているんだろうか。あれか? フィクションによくいる自己顕示欲の塊で全校生徒と友達になることで優越感に浸るタイプのやべぇやつ。虱潰しで今度は僕に毒牙が伸びてきたのか。
「あんたなんか失礼なこと考えてないでしょうね」
「いや、急にこんなこと言う奴にろくな奴はいないよなぁと」
「十分失礼よ!」
がたっと席を立ってツッコミを入れられた。おお〜なかなかのキレだ。少し平凡に過ぎるが。
彼女はまた席に座ると軽く息を吸ってから、徐ろに話を始めた。
「実はこの一ヶ月、あんたのことを観察してたのよ」
うわ〜そうきたか。やべぇやつはやべぇやつでもストーカーの類だとは思いもしなかった。確かに今まで見た記憶がなかったのにやたらとすれ違うなとは思ってたけどさぁ。ストーカーの対処法ってどんなだったかな。
「それで思ったんだけど、私達友達になれると思うのよ」
「いや無理でしょ」
寝言は寝て言えよな。どうして変態ストーカーと友達にならなければならないのか。誰にも迷惑をかけない事がモットーの僕とは正反対の犯罪者だぜ?
「そんなこと言わずにさ、ほらこの通り」
何なのこの状況……ストーキングの告白から友達になろうと頭を下げられている。ストーカーと友達にはなりたくないけど、断れば何してくるかわからないしなぁ。でもやっぱりここは毅然とした態度をとったほうがいいのかな。
僕がいろいろ考えながら返事をしないでいると、友達になることを渋っていると思われたのか、彼女の目に怪しげな光が宿る。
「私はこの一ヶ月あんたを観察していた。あんたが突如として物陰で奇行に走っている姿やその時の表情は全てこのスマホに収まっているし、概ね誰を観察していたのかなどの何をしていたかのメモもしっかりと取っているわ」
思ったよりも本格的だなぁ。こんな奴とは絶対に友達になれないし分かり合える日も来ないだろう。
それでも逃げられないことを悟った僕は早々に諦めて彼女の友達となった。
それから放課後は毎日、僕達は二人でこの教室にいることが多い。
あの後、彼女は自身の変態性癖を僕に語った。
曰く、人と人が仲良くしているのを見るのが好きらしい。だから積極的にコミュニケーションをとって、自身の手で彼らをくっつけ仲良くしているのを見ることが快感なのだそうだ。
なんというか、僕と似ているようで全く異なる思想である。そういうふうに仕向けるだけ仕向けて、こいつはなんの責任も取りはしないのだから。僕がそう言うと、
「責任を取らないって言うけど、結局は本人たちの意志なんだからさ。そもそも私に責任なんてないんだよ」
これである。怖い。
その気がなければ確かに成り立たない話なのかも知れないが、煽動するのは良くないと思うけどなぁ。何より美しくない。僕が見たいのは綺麗なものであって、こいつのドロドロした意向が含まれた恋愛バラエティではないのだ。
「いや何も趣味趣向について分かり合おうだなんて言ってないじゃない? 私とあんたは変態なんだから、もとより理解されないしされたいとも思ってないでしょう」
確かにその点において僕達は似ているのかも知れない。その性癖に自身という要素を排除している。介入するかしないかの差。
謂わば推しのイチャラブが見たい限界オタク。二次創作で自由に世界を作ってしまうか、原作に任せてそのキャラ本来の距離感を楽しむか。理解しあうことはできないが共存はできる。
「ちょうどいいじゃない? 私とあんたのクラスは離れているから、私が介入するのは流石に無理だもの。そうしてここで成果を報告するのよ」
僕の心は揺れに揺れた。今まで自分の中で溜め込み続けた良き……尊い……という気持ち。それらを誰かに話すことができたら? 甘美な響だ。それはどんなに楽しい時間だろうか。
いや、ダメだ、思いとどまろう。僕の理想の世界は清く美しい物のはず。それらの想いは僕の中で完結しているべきだ。
「いいじゃない。どうせ私にしか話さないし、私も今までのことバラされたら白い目で見られちゃうんだから漏らすようなことはないわよ」
ぐぬぬ、いやしかし。
「私だって興味があるしね。似ているようで全く違う趣向だから、あんたの目には世界がどう映っているのか。これからの自分の趣味にも活かせそうじゃない?」
その言葉に少なからず衝撃を受けた。自分の趣味に活かすか……今でも僕の趣味は思考だと思っているがそれを再確認することができるかも知れないな。
「変態協定よ。さあ」
彼女がそう言って右手を前に出す。僕も右手を差し出し、そして強く握り返した。
かくして僕の中で、一つの戦いは終わりを迎えた。ちっぽけな矜持はその誘いの前にあえなく敗北したのである。そして現在──
「──ってな感じであの二人、ようやくくっついたのよ! いや〜じれったかったけど口出しを最小限に抑えてみてよかった! これほどの達成感はめったにないわよ!!」
「おお、マジか!! 良かったなー!! お前が少し手伝ったからこそ奥手な二人が歩み寄ることができたんだ。いや〜手遅れにならなくて良かった、本当に良かった」
「いや、泣くようなことじゃないでしょ」
僕達はすっかり互いに毒されてしまっている。