02.精神年齢20歳後半の赤ん坊
揺りかごの中、私は考え込んでいた。
微睡みそうになりながらも、トイレを我慢しながらも、考えて、考えて考えて考えて……。
「ふぇ……ふぇぇえええん!!」
「あら、次はお腹が空いたのかしら?」
空腹に耐えきれずに出た私の泣き声に、いち早く気付いてくれる人が居る。その人はリビングで私のご飯を用意して戻ってくると、揺りかごから私を抱き起こした。
「エミリアちゃーん、ミルクのお時間でちゅよー♪」
差し出されるのは、哺乳瓶に入った乳児用ミルク。これが今の私のご飯。主食。飲み物が主食。
「あぶぅ。」
「ゆっくり飲むんだよ~。」
それを喜んで食すのが、今の私です。
こんな哺乳瓶を咥えた状況で失礼します。私はこの赤ん坊として産まれる前に、日本という国で通り魔に刺されて多分死にました。多分と言うのは、今の状況も夢なのではないかと疑っているからです。多分死んだ後、状況も把握できぬまま、この見慣れない土地に、エミリア・クレイノワという新たな名前を得て産まれました。
「おー!沢山飲むなぁ。大食いなところはママに似たのかなぁ?」
「やだぁ!パパに似たんだよねぇ?ほら、目元もパパにそっくりー!」
そして、目の前でいちゃつくこの男女が、今の私の両親。父親のフェルナン・クレイノワと、母親のディアナ・クレイノワ。二人は結婚二年目にして、子供授かったそう。それが私、エミリア――つまり私は、このクレイノワ家の第一子という訳だ。これは二人の会話と、私以外の子供が居ない状況から得た情報。
ここまでが、今赤ん坊の私が把握できる現状情報。
「……っけふ!」
「はーい、上手に飲めまちたねー♪ゆっくりおやすみ、可愛いエミリア。」
哺乳瓶いっぱいのミルクを飲み終えた私を、母親が再び揺りかごへ寝かした。さて、再びこの世界についての考察をするか……と意気込むものの、赤ん坊の体はとても素直で、満腹になった事で一気に眠気が襲ってくる。
「あー……眠たいの我慢してるんだねー。」
「赤ちゃんは沢山寝るのがお仕事なのに……何か考えているのかしらねぇ。」
そんな睡魔と戦う私を、両親が和やかに見つめている。こっちはそれどころじゃないのに。
そう言えば、この二人を見ていて気付いた事がある。赤ん坊の視界はまだぼやけるが、色の識別は出来るようになり、今は二人を髪色で判断している。父親のフェルナンの髪色は金色、母親のディアナの髪色は若草色――緑髪なのだ。ディアナ曰く、私はフェルナン似らしいので、鏡を見た事がないのでわからないが、きっと私も金髪なのだろう。
問題はそこではなく……金髪はともかく、緑髪って地毛なのだろうか。そんな人種が居るのだろうか?そんなの漫画やゲームの世界でしか見た事がない。ディアナが特別なのか、それともこの世界では当たり前の事なのか……。
何にしても、私が今まで出会ったのは、両親と出産に立ち会ったあの助産婦らしき人の三人だけ。あの助産婦さんは、黒髪に茶色い肌の人だったっけ……。他の人はわからないが、少なくとも、今まで会った人だけでも人種がばらばらだ。こんなにも色んな人種が入り交じって暮らしている国を、私は知らない。
……考えれば考える程、答えが遠退いていく。頭を使っているからか、睡魔も増してきている気がする。
「さて、じゃあ僕はエミリアが安心して眠れるように、仕事に行ってくるよ。」
うとうとする私の耳に、父親の声が聞こえた。仕事……?これは、新たな情報を手に入れるチャンスかもしれない。眠い目を出来るだけ見開いて、二人の話を静かに聞き入る。
「あら?収穫作業は明日じゃなかった?」
「もうすぐ国王太子様の戴冠式だろう?戴冠式の日は農場作業員が全員参加できるように、仕事を前倒しするように連絡があったんだ。」
収穫作業?農場作業員……?それがフェルナンの仕事?でもそれより、今国王太子って言った?それも、戴冠式!?
「じゃあ、私も行かなきゃ……!」
「君はエミリアと居てあげてよ。それに、産後で疲れている体を酷使するべきじゃないよ。君の分も、僕が働いてくるから。」
「フェルナン……ありがとう。愛してるわ。」
「僕もだよ、ディアナ。」
あーもう……目も当てられない。隙あらばいちゃつこうとする二人に、私にとっては両親なのだが、若いって素晴らしいと思ってしまう。精神年齢20歳後半に、その甘さは胃が凭れる……。
「じゃあ行ってくるね!」
一頻り愛を囁きあったのか、家を出ていこうとする声が聞こえて、はっと我に返る。
待って!まだ聞きたい事がある!!
仕事って、どんな事をしてるの?農場作業員って何?『私も行かなきゃって』って、ディアナも同じ仕事なの?他にはどんな仕事がある?戴冠式って言ったけど、この国には国王が居るの!?
「あぶぅ!あばぁああぁ!!」
だが、0歳児エミリアは、まだ言葉を発する事など出来ず……口からは、意味を持たない言葉が生まれるだけだった。
「エミリア?どうしたの?」
「あはは!僕が行くのが寂しいのかな?大丈夫だよ、夕方には帰ってくるから、ママと良い子にして待ってるんだよ。」
そうじゃなくて、そうじゃなくてー!!
喃語での必死のアピールも虚しく、父親は仕事へ出掛けて行き、私の質問は誰も答えてくれなかった……。一気に声を出しすぎて、さすがに疲れた……元気な赤ん坊と言えど、体力に底はあるようだ。
「さぁ、パパもお仕事してるから、エミリアも寝んねするお仕事をしましょうねー。」
加えてそこに母親の優しい手が添えられれば、もう眠りの世界に抗う事なく落ちていく……。
落ちていく意識の中で思うのは、やはりここは日本ではない――いや、地球ですらない異世界なのかもしれないと言う事。様々な人種が入り交じっている事、聞いた事のない職業、そして国王の存在。調べなきゃいけない事、知らなきゃいけない事がまだまだ多すぎる。本当に私は、この異世界の住人として生まれ変わったのだろうか?
もっと情報を集めなければ……知らないと、また笑われる……。
「あら……漸く眠ったみたい。」
そこまで考えて、ついに私の体は睡魔に負け、健やかな寝息を立て始めるのであった。それを確認したディアナに、また暖かい目で見守られているとは知らずに……。