01.今日は誕生日
あ、明日の会議、誰が代わりになるんだろう。薄れ行く意識の中、そんな言葉しか出てこない自分が悲しい。
20代後半の誕生日。もう誕生日を喜んで祝えない悲しい年齢。明日も朝から会社の会議があるから、早く帰らないといけなかった。でも、『今日は誕生日』という浮かれた言葉が、私の足をいつもと違う道へと進ませた。家に真っ直ぐ向かわず、少し外れの道にあるコンビニを目指していた。コンビニでスイーツを買うぐらいの贅沢なら、許されるだろう……そう思ったから。
まさかそこで、通り魔に刺されるなんて、誰が想像できただろう。そう言えば、朝家を出る時にニュースで報道されていたような。芸能人の不倫騒動。通信会社の不正アクセス問題。スポーツ界のパワハラ疑惑。そして連続通り魔事件。
朝の短い支度時間の中で、叩き込んで覚えた知識。だって知らなきゃ、そんな事も知らないのかと上司に詰られる。皆に笑われる。だからせめてと、最近の話題だけは知っているように意識していた。でも、不倫騒動の芸能人の相手の名前とか、通り魔事件が起きた場所までは、私は覚えていなかった。
意識が遠退いて行くのがわかる……。
このままゆっくりと目を閉じたら、走馬灯のようなものが見えるのだろうか。最近の私が楽しかった事って、何だっけ……。ああ、それすらもう思い出せないや。会社に入る前までは、それなりに趣味もあって、楽しくやってたはずなんだけどな……。
「初めまして。まずはあなたの性別と、お名前をお伺いします。」
光を無くした私の耳に、その声が届いた。
救急隊の人が来てくれたのだろうか?もう誰かが通報してくれたんだ。名前を訊かれた瞬間、私はそうに違いないと疑わなかった。掠れる声を振り絞り、性別と名前を告げる。
「……申し訳ございませんが、そのお名前の言語は対応しておりません。問題がなければ、こちらでランダムで決めさせていただきます。」
……言語?対応してない?ランダム……?
聞こえてくる言葉の意味がよくわからなかったけど、命が助かるなら何でもいい。救急隊の人にお任せしよう……。見えない相手に小さく頷いて、肯定を示す。
「畏まりました。」
その声が聞こえて、ふと考える。
……ここで命拾いしても、私には何もない。夢も希望も、お見舞いに来てくれるような友人も。刺された腹部の傷が癒えたら、また社畜の世界へ戻るだけだ。これは、神様が私に与えてくれた誕生日プレゼント……やり直すチャンスじゃないだろうか?そんなチャンスを、不意にする訳にはいかない。
「……あの、やっぱり――。」
その瞬間、辺りが眩い光に包まれたのが、目を閉じていてもわかった。眩しくて、閉じた目の上から更に手の平で目を覆い、その光を遮る。救急車のライトだろうか?それにしてはこの光は……いったい何台の救急車を呼んだのだろう。
気になってうっすらと目を開ける……。その時気付いたのは、私の腹部にあった傷が無くなっていた事。傷は勿論、その腹部から溢れた血液――がついていたはずの衣服も、無くなっていた。真っ白な光に照らされる、裸の私がそこに居たのだ。
「……え?えぇぇえぇぇええぇ!?」
眩しいのも構わず、目を覆っていた手で今度は胸部を覆う。相変わらず眩しくてしっかりと辺りは見えないけど、薄目を開けて、先程の声の主を捜す。
「お待たせ致しました。手続きが完了致しました。それでは、どうか素晴らしい人生をお過ごしください。」
見つからない声の主。なのに、その声だけは、相変わらずこんなにもはっきりと耳に届いてくる。その声の中に、また聞き慣れない言葉が混じっていて、疑問が溢れ出す。
「ま、待って……!!」
ただ、その溢れた疑問を解消させる時間もないまま、辺りが一層眩く輝いた。反射的に私はぎゅっと堅く目を閉じる。同時に、意識を手放した……。
―――…
「オギャア!オギャア!!」
再び意識を取り戻した時、耳をつんざくような赤ちゃんの泣き声が聞こえて驚いた。
「ホギャア!?アギャア!!?」
その赤ちゃんも自分の声に驚いているのか、更に激しく泣いている。こんなに元気に泣くなんて、産まれたばかりなんだろうな。20歳後半で社畜の私とは訳が違う……このまま夢と希望と愛に溢れた人生を送っていくのだろう。
染々と自分の老いを感じながらも、新たな命の誕生を喜ぶ。……でも、こんなにも近くに声が聞こえるのに、赤ちゃんはどこに居るのだろう。辺りを見渡してみるが、視界がぼやけて何も見えない。先程の眩しい光で、目が眩んでいるのだろうか……。
「ふえ、ふぇぇん……。」
元気の良かった赤ちゃんの声が、今度は少し悲しそうに聞こえる。何かあったのかな……心配していたその時、ひょいと自分の体が宙に浮いた。
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」
その瞬間、また別の声が聞こえた。あの謎の声の主でも、赤ちゃんの声でもない。目を凝らすと、目の前に丸くて茶色い物が見える。丸の上部には黒色の物が、下部には赤色の弧状の物がある。……これは、人の顔?黒色は髪の毛?赤色で弧を描いているのは唇?
肌の色からして、日本人ではない。……私、この人に抱っこされている?声からすると女の人だと思ったのに、成人女性を軽々と持ち上げるなんて……な、何て怪力!!それとも巨人!?
その事実に気付いて、慌てて下ろしてもらうよう声を張り上げようと、息を吸い込む――。
「オギャアァァァア!!」
出てきた声は、赤ちゃんの泣き声に掻き消されてしまう。お願い、今は少し静かにしてー!
「あらあら。やっぱりお母さんが1番よね。さぁ、クレイノワさん。お子さんを抱いてあげてください。」
茶色い肌の女性だと思われる人がそう言うと、また私の体がふわりと浮かぶ。
……ん?お子さん?
まさかと思うが確認する術がなく、私は別の人物の腕の中に運ばれた。先程の女性とは違う、薄い肌色の丸が見える……この人は白人?
「ああ……何て可愛いのかしら。私の赤ちゃん……。」
とても愛おしそうな声が耳を撫でる。相変わらずはっきりと顔は見えないけれど、この人はきっと私の方を見ている。私を見て、『私の赤ちゃん』と言ったのだ……。
まさか、まさか……そんな馬鹿な。
ぼやける視界の中、恐る恐る自分の顔の前に、自分の手を持っていく。視界に映るのは、見た事もないくらい小さな手。赤ちゃんの手……私の手……。
「……アギャァアアァァァァ!!!?」
大きな泣き声を発して、視界がはっきりしなくてもそうだと理解した。私はどうやら、20歳後半の意識を持ったまま、新たな命として産まれたようだ。この日本ではない……でも、どこか見覚えのある世界に……赤ん坊として。