子供じみた夢だと笑え
「明日、行っちゃうんだね」
ぽつり、と小さく呟く清葉。彼女の真っ白な頬を月明かりが照らす。その伏せた瞳の長い睫が綺麗に影を落とした。
縁側に並んで座り、俺たちは最後の夜を共に過ごす。生まれてから今までずっと一緒にいた。その時間が重すぎて、なかなか一歩を踏み出させてくれない。手を握ってみようか、好きだと伝えてみようか。頭の中で試行錯誤を繰り返すが、どれもこれもいい案とは思えなかった。
「清葉、」
「……」
綺麗になった、本当に。改めて見るとそう思う。今や村一番の美人で、歩けば誰もが彼女を振り返る。その華奢な身体も、艶のある唇も、一緒に田畑を駆け回っていた頃のそれとは全く違う。ただ今でも変わらないのは、澄んだ瞳と優しい心だった。
いつか彼女も結婚し、俺の知らない男に抱かれるのだと思うと心臓が痛んだ。ならばこの俺が彼女と結婚しようか。一瞬考えるがそれも無理な話。俺は明日の朝、戦へ行くのだ。村も何もかも捨てて。
「私も、連れて行って」
蚊の鳴くような声で清葉が言う。着物の袖をぎゅっと握り締めた彼女が、勇気を出して言った一言だった。無論、首を縦には振れない。そんなこと誰も望んでいないのだ。だけど清葉の健気な一言に、思わずその小さな身体を抱きしめたくなった。
清葉、そう言って肩を向ける。すると清葉の瞳が真っ直ぐに俺を捉えた。抱きしめる代わりに、俺は腰に差した剣の鞘を強く握る。くそ、震えてやがる。
「草太ちゃん、」
「……」
「どうか、無事で……」
「……あぁ」
それから清葉はしくしくと泣き出した。今にも消えてしまいそうな程小さな声で。ぽたりぽたりと汚れのない彼女の綺麗な涙が着物を濡らす。そして何も言えずにただ戸惑う俺に向かって、責めるように言ったのだ。どうしてわざわざ自分から死にに行こうとするの、と。
そう、清葉の言う通り恐らく俺は明日までの命だろう。田舎の村に生まれ、百姓の長男として育った。貧乏でもそれなりの生活をして生涯を終えることだってできた。だがそれだけでは納得できないのだ。男に生まれ、剣の時代に生まれたからには俺だって華を咲かせたい。
「俺は、死にに行くのではないよ」
決して清葉を安心させる為についたとっさの嘘なんかではなかった。
死にに行くのではない、少なくとも。俺は戦に出るのだ。斬られるかもしれない、流れ弾に当たるかもしれない、騎馬に踏みつぶされるかもしれない、弓矢に射抜かれるかもしれない。それでも、そこにほんの少しでも勝ちへの光があるのなら、出世への道があるのなら、最後の最後まで諦めずに生きたいと思うのだ。
「いつか出世して、この名を天下に響かせてやる」
「草ちゃん……」
心配そうな清葉の顔が月明かりに照らし出される。空にぼんやりと浮かぶおぼろ月。お前なんかに出来るわけがない、と馬鹿にされた気がした。
再度刀を握る。
戦で一旗上げようなんて愚かな夢かもしれない。だとしても、俺はこの刀一本で行ける所まで行こうと決めた。そしていつかまたこの村に戻った時は、清葉の笑顔に迎えられたい。そんな日が来ればいいと思う。彼女は言ってくれるだろうか。変わらぬ笑顔で、お帰りなさいと。その時はきっと、ただいまと笑って彼女を抱きしめることができるだろう。
子供じみた夢だと笑え
(それから彼女は何年も、二度と還らぬ誰かを待ち続けた)




