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「これ、お願いします」
司書の先生は奥に居るので、聞こえないかもしれない。危惧したボクの声は、少し大きかったと思う。
左手で頬杖をつきながらマウスを操作していた司書の先生は席から立ち上がり、こちらに向かって歩き出した。元々気付いていたのか、声が届いたのか、どちらかはちょっと分からない。安心したボクは、新谷さんが適当に抜き取った五冊の本を、生徒手帳と一緒に貸出カウンターにおく。
メガネにチェーンが付いているせいか、初めて司書の先生をまじまじと見た感想は「ロッテンマイヤーさんに似てる」だった。母さんが生きていたら、同じくらいの年齢になるかな。名前を失念してしまったので、印象を引用してロッテンマイヤーさんと呼ばせてもらいます。
貸出カウンターに到着したそのロッテンマイヤーさんの表情が、ボクの背後に視線を移して硬くなった。学校内だと云うのに、お構いなしでゲーム・スフィアで遊ぶ学生。こんなのが目に入れば、普通の大人のリアクションとしては当然かもしれない。
「ああ見えて、実は一生懸命仕事をしているんです。許してやってください」と、心の中だけでフォローしておこう。新谷さんごめんなさい。
ロッテンマイヤーさんは、肩にのった落ち葉を飛ばすように、「ふうっ」と大きな溜息を付いたけれど、(一見)ゲーマー少女に注意はしなかった。ボクの弁解は耳に届くはずがないから、放課後であることを理由に、大目に見てくれたんだな。
ボクは、他人事ながら胸を撫で下ろしたけれど、それは気が早かった。
「これ、全部、本当に借りたかった本なの?」
バーコードリーダーを手にしたロッテンマイヤーさんは、貸出カウンターに置かれた五冊の本を指差している。矛先はボクに向いたのだ。
「借りたかったか」と聞かれたら、応えはNOだ。新谷さんが適当に書架から抜き取った本だから。かと言ってさらりと「そうです。めちゃくちゃ読みたかった本です」なんて返せるほど、ボクは強くない。
「あの、借りたいと聞かれたら借りたいと応えますが、そんなに借りたいわけではなくて、でも、借りないと困るので」
「こんな時間に、借りたい本が見つかるはずはないってことですか」
振り返ると新谷さんが、ゲームのモニターから顔を上げてロッテンマイヤーさんを直視していた。
「どういう意味かしら」
ロッテンマイヤーさんの声は、大量の警戒心を含んで重かった。
どうしよう一触即発だ。人生を十六年ちょっとしか経験していないボクには、二人の顔色を交互に伺うことくらいしかできない。本を置いて空いた手が、懐中時計に伸びる。
「奥の部屋のパソコンの隣にファイルがあるけど、あれの持ち主ですよね」
更に挑発するように、探偵がぐわんと一歩踏み出す。
「私が個人的に管理している図書室の目録だけれど、何か問題でも?」
「あれ、玩具でしょ」
畳み掛けるように繰り出された質問に、ロッテンマイヤーさんの表情がまた強張った。ファイルを指して『玩具』なんて、新谷さんの言葉は普通なら失笑を買うところだ。なのに、このリアクション。『玩具』が何を意味するか、知っているのに違いない。
「さっきから、あなたが何を言っているのかさっぱり理解できません。本を借りに来たこの生徒とは知り合いなのでしょう。今手続きを済ませますから、終わったらさっさと――」
「さっさと」どうして欲しいのだろう。ロッテンマイヤーさんは、ボクの持ってきた本のバーコードを読み取ろうとして絶句してしまった。
理由は簡単にわかった。
新谷さんが書架から抜き取り、ゲーム・スフィアと交換してボクが貸出カウンターに置いた五冊の本。その色とりどりの背表紙は、今、全部、窓外の空と同じようなオレンジ色に変わっていた。『死神の浮力』だ。
「隠したい本と隠すための本の情報を入れ替えてみました。これで安心してくれますよね。わたしも玩具使いなんです」
新谷さんは左手に持ったゲーム・スフィアを、ラムネ瓶に入ったビー玉の音を鳴らすように振ってみせた。
ロッテンマイヤーさんの両肩がすうっと下がる。図書室を満たしていた静電気のような雰囲気が床から地球に逃げたように消え失せた。
「よかった。こんな不思議な力、玩具を使わない人にどうやって説明したらよいのか。説明できたとしても、大きな問題に発展しやしないか。途方に暮れてしまいそうだったの」
そっか、この人、緊張していたんだ。呼気混じりの独白から推察する。てっきり、きつい感じの人だと思っていた。
「警戒させてすみません。はったりをかけないと、正直に応えてくれないおそれがあったので」
そう云われると、若干攻め気味な話し方だったかな。否、いつもと変わってなかったし。
「失礼だったらごめんなさい。あなた、本当にこの学校の二年生?」
「申し遅れました」
新谷さんはゲーム機をホルダーに戻し、代わりにブレザーのポケットから名刺入れを取り出した。
「わたし、こう云う者です」
手渡された名刺をロッテンマイヤーさんが読む。
「たがえや 新谷京」
「えっ? たがえや? 探偵じゃなくて?」
怪訝そうなボクに、司書の先生が名刺を見せてくれた。この人、実は親切だったらしい。
大きく書かれた名前『新谷 京』の上の肩書は、確かに『探偵』ではなく『違え屋』だった。
「探偵は、世を忍ぶ仮の姿。本業は、玩具による事故や、玩具そのものの不具合を『セカイ語』の書き換えで解決する、その名も『違え屋』なのだ」
大きくないのだから止せばいいのに、新谷さんは、「えへん」とばかりに胸をはる。
「あなたが、仕立て屋さんの言っていた違え屋なのね」
「新谷さん、仕立て屋って何ですか? 洋服を作ってくれるのとは違いますよね」
話の腰を折りたくなかったので、ボクは囁くように尋ねた。
「玩具制作を業務にしている店だよ。
差し支えなければ、あの玩具の名前とどこで仕立てたのかを教えてもらえませんか」
新谷さんは小声で応えてくれた後、ロッテンマイヤーさんに質問した。
「玩具の名前は『夕暮れの目録』よ。そして、仕立ててもらったのは『天之屋』」
「あぁ、常陸川大橋の袂にある骨董屋の」
有名なのかな。しかも、あんな、田んぼが広がって陽射しもばんばん降り注いでいる場所にあるんだ。玩具を作るなんて怪しげな商売、薄暗い裏路地にひっそり店を構えている印象だけれど。
「あそこなら顧客名簿があるから、確認が簡単だな。あ、ごめんなさい。疑ってるわけじゃないんですよ」
違え屋は両手を、気になるガラス汚れを擦って落とすように振る。これは、絶対疑ってるな。
「それは気にしないけれど……」
ロッテンマイヤーさんの表情も声色も変化がないから、顧客名簿の確認については、本当に気にならないのだろう。だけど、気掛かりはありそうだ。
「学校の図書室に玩具を使っているのは、やっぱり問題になるのかしら」
「問題になるもならないも。どこにも報告しないですよ。十六十くんはどうするの、三角さんだっけ? クラスメイト。その娘には話すの?」
どうしようか? 新谷さん様子からは、特に含むところがなさそうだ。
「べつに困ってはいなかったみたいだし。調べてあげるって約束をした訳でもないから。黙っていようかな」
「じゃあ、わたしの方は気が済んだし。帰ろっか」
甘え慣れていない子猫のように背を向けると、またしても新谷さんは、返事を待たずに行ってしまった。
潔すぎる。彼女の後ろ姿を急いで追いかけたいけれど、「最後に一つだけ教えてください」と、ボクはロッテンマイヤーさんに尋ねる。
「どうして、十六時以降は借りたい本を見つからなくしたいんですか」
その質問が呼び水だったのか、司書の先生は「はっ」として腕時計を見た。
「いけない。娘を待たせちゃう。この本は、借りなくてもいいのよね」
五冊の本は、オレンジ色から元に戻っていた。もっとも、これだって『夕暮れの目録』で変えられた仮の姿なんだろうけれど。
「はい。『死神の浮力』は、改めて昼休みにでも借りに来ます」
「よかった。娘をすぐそこの保育園に預けているのだけれど。年長さんになっても甘えん坊で。ちょっとでも迎えが遅くなると酷くグズるのよ」
ロッテンマイヤーさんは、そんな我が娘が愛しくって仕方ないらしく、破顔一笑した。
心の中だけとは言え、いつまでもロッテンマイヤーさん呼ばわりじゃ申し訳ないな。次に図書室に来る時までに、本当の名前を確認しとかなきゃ。
おわり
第三話 『そろばんはじき』につづく