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「十六十くんはこっちを見張ってて」
新谷さんの指示に従いボクは、外側の窓と日本文学コーナーに挟まれた通路に目をこらす。背後では指示を出した本人が、全集コーナーに沿った通路を気にしつつ、ゲーム・スフィアを操作している。
図書室の角に移動した理由は、見張りやすさの他にもう一つあった。
「へぇ。濃度こそ薄いけど、図書室全体にセカイ語が貼付けされてる」
新谷さんは腕を伸ばしたり縮めたりしながら、ゲーム・スフィア越しで室内を見渡す。ゲーム機のモニターが小さいので、できるだけ視野を限定したかったらしい。
「それを使うと、何が見えるんですか?」
「観てみる?」
「いいんですか?」
てっきり拒絶されると思っていたから、「見せて」とは言わなかったのに。いや待てよ。手をゲーム機に伸ばした途端に「やっぱダメ」って言うパターンか。
「はい」
用心しつつ出した手に、新谷さんはあっさりゲーム・スフィアを乗せてくれた。このゲーム機を持つのは、小学生以来だ。妙な感傷に浸りながら、お椀形のグリップに両手をそえる。
モニターには、背面カメラを通して木目調の床が映されていた。取り立てて珍しいものは表示されていない。向きが悪いのかな? 新谷さんがやっていたように、手を動かしてみよう。
「!」
変化は、書架に並んだ本が映った途端にあらわれた。
蠢く夥しい数の六角パネルで覆いつくされている。
「何ですかこれ」
「セカイ語を解読したり改造したりできるように翻訳したプログラミング言語。HeLPだよ」
「ヘルプ?」
「ヘキサゴン・ラダー・プログラミングの略」
「これがプログラミング言語?」
改めて、蜂の巣のように敷き詰められた六角形を見直してみた。白と銀色、そして中心に「*」が記された無色のパネル。これが一組になって本一冊毎に貼付いている。
「本にパネルが三枚、同じパターンでついてますね。これが、探している本を消してしまう原因ですか?」
「白は万有引力の『有』、銀色は『斥』、無色で『*』になってるエーテルで二つをくっつけて『光』の素物質にしてるんだよ。そして、HeLPに『光』が入っている場合、ほぼ、視覚に影響をあたえる効果があると思っていいね」
ボクの予想は、だいたい合っているってことかな。
「分かりそうなのは、そこだけ?」
「ちょっと待って下さい」
プログラミングには自信があるのだ。
本に付いた視覚効果のパネルを出力と考えると、何を入力し、どんな結果をそこに持ってきているのだろう。たどっていくと、図書室の天井では「*」やら「/」やら「>」「<」などの演算子が複雑に混ざり合っていた。これはお手上げだ。
でも、このまま引き下がるのは癪。少しでも理解できる部分は無いだろうか。外側に目を向けてみる。
「外側が、緑と青と赤と『*』で構成されています。『光』は『有』と『斥』の二つからできていたから、三色なのは多いですね。あ、緑の数が倍くらいあるな――。そうか、赤と青はくっつかないで、それぞれが緑と組になるんですね」
「そうそう、緑は温帯湿潤気候の『湿』。赤い熱湯風呂の『熱』と『湿』で元気の『気』。青い冷麺の『冷』と『湿』で水曜日の『水』。ってなるんだよ」
『熱』『気』『冷』『水』の漢字説明、やっつけ仕事になってませんか? とは思ったけれど、ここは突っ込まない。
「『気』と『水』が一箇所に有るのは何故ですか?」
「一概には言えないけど、電波みたいな波を、二値化して読み込むときにその組み合わせを使うことがあるかな」
「波を二値化? A/D変換みたいなものかな?」
自分の情報処理の知識と照らし合わせた呟きを、新谷さんは拾ってくれた。
「そっか、十六十くんは情報処理科だからその辺に明るいんだね」
「合ってたんですか」
グッジョブ! のポーズを返してくれた。
「ここに貼付けされているセカイ語の正体は、――推測だけど――ある時間内だけ、図書室にいる閲覧者の脳波をキャッチして、探している本を隠すプログラムかな」
「いったい、何のために……」
新谷さんの推測を念頭に置いたら、さっき諦めた、演算子が複雑に混ざっている部分が解読できるのだろうか。
「ちょっといじってみていいですか?」
「いいよ」
んっ? 気のせいか、返事に不自然なさり気なさを感じる。訝しみつつゲーム・スフィアを傾けた。パネルを動かしてみようと、『+』ボタンを押す。反応がない。モニター内の風景は動くから、フリーズしてはいないみたいだ。ならば、『-』ボタンを押してみよう。やっぱり無反応。何を押したら動くんだ。まさか、壊れた? 焦ったボクは、十個のボタンを手当たり次第に押しまくる。新谷さんの、描き始めたばかりのデッサンのような手が、そっとかぶせられた。
「十六十、くん。シンク・スフィア、が、わたし以外、には、操作、できないように、なって、いるから」
途切れ途切れの台詞。小刻みに揺れる指。笑ってるぞ!
「早く言ってくださいよ」
顔が火照る。何一つ悪いことをしていないのに、恥ずかしい思いをさせられるなんてあんまりだ。
「ごめんごめん。『玩具は所有者以外には使えない』ってルールを教えるいい機会だと思って、つい」
堪えきれずに小さく吹き出しながらでは、説得力無いし。
「ボクも、専用の玩具が有ったほうがいいのかな」
恥ずかしいのを紛らわすためにつぶやく。
「十六十くんには『トリミング』があるんだから、玩具なんて必要ないよ。それに、所有することを勧める気もない」
あと五分は続きそうだった新谷さんの笑いが止まっていた。
「何か、訳ありっぽいですね」
「いつか話すよ」
どおせ、大人の世界の「いつか」はまず来ない。
「セカイ語でしたっけ、これを図書室に貼付けたのも玩具なんですよね?」
だから待っていても進展しないだろうと、ボクの方から話題を変えてみた。
「『貼付けた』って過去形で言うのは違うかな。だって、まだ絶賛稼働中だから」
「稼働中って」
フードを被って顔が真っ黒に陰った悪の魔法使いが、杖を両手で握り呪文を唱える。杖の先端から湧き出る濃い煙がボクをおおう。なんて、イメージが浮かんでしまい、あたりを見回す。
「取って食べられる訳じゃないんだから、そんなに怖がらなくてもいいのに」
挙動不審になるボクの目前の棚から、新谷さんが本を数冊まとめて抜き取る。
「ほら、行くよ十六十くん」
「行くってどこへ」
「決まってるでしょう。図書室にセカイ語を貼付けた玩具の所有者のところだよ」