6話 寝るのは馬小屋に限る
微睡の中、妙な寝心地の悪さに、俺の意識はゆっくりと浮上していった。
目蓋を開けると、目の前には一人の小さな少女の姿が像を結んで俺の脳裏に現われる。
隣で、ルリが座っていた。
彼女はサラサラで、いかにも手触りが良さそうな男性の心をくすぐる銀の髪を肩までさげ、そのうちのリボンのついた一房を胸まで降ろしている。
浴び慣れたその視線を受けて、相変わらずだなーと、何の意味もない考えを、働かない頭の中に浮かべていた。
「あ、ステム起きた」
彼女のその小さな唇から発せられた、すこし喜びの色の篭った声に、俺もすかさず返事をする。
「よう、元気か?」
「うん、元気。ステムは、元気?」
「あぁ、いつも通り、元気に寝てるよ」
「そう、良かった」
ルリは嬉しそうに笑った。
「なんだ? 何か嬉しそうだな」
「ステム、怪我したから……」
あぁ、なんかそういうこともあったような、なかったような……。ずっと寝てた気もする。なんだっけ?
「丸二日寝てたから、皆心配してた」
丸二日か、ってやべー、薪割りしてねー。シエラのやつ怒ってるかな。それにしてもルリにも心配させてしまったようだ。
「ルリも心配させたか? なんか悪かったな」
「うん、ステムは今じゃ、町の英雄」
「えいゆー? なんだそりゃ、くいもんか?」
「ううん、町を助けてくれたから……」
あぁ、思い出したぞ。あの猪か。腹いせに使っちまったが、ばれてねーよな。最後のくだりは、俺の脳味噌を総動員させて考えた最強の文句だったはずだ。
「あぁ、あの猪やろうか。たしかにあいつは強敵だった。だが、やらねばならなかったのだ。町のためにも、馬小屋のためにも!」
俺は右拳をギギッと握り締めて、これでもかというくらいに顔を歪ませて苦い決意を告白する。
俺がそういうとルリは首を縦に何回も振り、俺の言を肯定してみせた。おぉー、なんて良い子なんだ。涙が出てくるぜ。シエラとかいうやつとは訳が違う。
「うん、だからステムは町の英雄」
「んいやぁ、だからってそういうわけじゃあないんだよなぁ、まぁルリがそう思いたいんなら、それでもいいんじゃねーの」
「うん、わかった。そうする」
ぐっ。心が痛い。別にこのまま信じてくれた方が都合がいいのだが、こうも素直だとこう、さすがの俺も罪悪感が込み上げてくるのだ。
俺が自身の胸を抑えていると、ルリにまだ痛いの?と心配されてしまった。
そんな時、部屋のドアが開き、一人の男が入ってきて俺のベッドの前に立ち止まった。
その男は町では誰も知らぬほど有名であり、つい最近まで宿から出たことのなかった俺でも2回程見かけたことがあるが、まだ話したことは無い。そう。
「お話をするのは初めてでしたね。私、対魔素生物連盟のレイディナ支部長を務めさせてもらっております。リルレイドバッハと申します。」
俺はこの男を見た瞬間、全脳細胞を一気に覚醒させ、寝ていた体を起した。
「あぁ、これはご丁寧に。俺の名はステリアム。まぁ最近つけた名だがな」
「ええ、以前から見知っております。そしてこの度、この町レイディナをさる魔物、サーベルボアーから救って頂き、心より御礼申し上げます」
この男、高い立場にありながら一切の躊躇なしに深く、頭をさげている。普通ならば、それほどこの町が好きなのだと、感心するところであるが、しかし、今までの俺に対する策を考慮すれば、この態度、幾分か警戒する必要性があるのやもしれない。
「別に構わない。町はともかく宿には大変御世話になっている。その御返しってことで」
そうだ。俺は町の宿や馬小屋のためにやってことで、何も鬱憤ばらしでやったわけではない!
「そうですか、彼女達も喜ぶことでしょう。さて、私が今回ここに来たのは今回のことを御礼申し上げることと、そしてもう一つ、ステリアム様に用があるのです」
やはり来たか。この男が安々と帰ってくれるとははなっから思っていない。
「それは一体なんでしょう」
俺が丁寧に言い返すとリルレイドはすかさず切り出してきた。
「実は貴方に、対魔連に入って頂きたいのです。近頃魔物が急増し、我々は対応に追われています。とはいっても、それほど時間を拘束するわけではありません。任務がある時だけでいいのです」
「そりゃ無理な相談だ、こう見えても、俺は忙しいんでね」
きっぱりと断わる俺にリルレイドは予想していたのかすぐに次の提案に乗りだした。
「そうですか。そういえば、こういう話を知っていますか? シエラさんとリイナさん。2人はこの町でも有数の美女です。そして当然、それをつけ狙う不届きものもいるのです。悲しい話ですが、それが現実です。今までは大変お強い友人の少年がついていましたが、先日、王都に向かわれたと聞きます。もし、貴方が対魔連に入って下さるのでしたら、私達が彼女達の安全を保証いたしましょう。私達はそのくらいの地位を持っていると、自負しています。」
「なんだそりゃ、新手の脅迫か?」
「まさか。私はただ、皆様の幸福のために一つ、提案をさせて頂いているだけなのです」
「悪くはないが、ダメだな。俺はそんな人様のためには動かない。あくまでも俺の睡眠時間の方が大事だ」
別にそんなこともないが、ここで受けたら負けだ。そんな気がする。
「契約書」
背筋が震え、思わず目を細めた。
「実は私、今困っているのです。花蜜亭『ミリニアム』との契約書が誰かの手によって破られてしまったようなのです。もし、貴方が入ってくれるのなら、それをこちらが紛失したことにして、再契約することも可能ですが……」
やはり来た。ふふ、この男、困っていると言いながらも口元が綻んでいる。まるで、悪魔のようだ。悪くない。こいつのせいで、俺の中に栖む何かが産声を上げようとしているのを感じる。面白くなりそうだ。
「ふむ。どうやら本当に悪くない条件のようだ。だが、俺の睡眠だけは邪魔させない」
「もちろんですよ」
「最後に一つ教えてくれ。何故俺にこだわる。町の防衛戦でもそうだ。俺があそこにいる意味などなかったはずだ」
「ルリが言うには、貴方はとても優秀な人のようです。さすがに『神』であるとは考えられませんが、私はルリを信用している。それで、貴方には見ていて欲しかったのですよ。私達の戦いぶりをね。実際、貴方は町を救い、それを証明した。そして私は貴方を連盟に招待した。全ては町のために……」
そういって彼はでていった。
窓から入ってくる日差しが俺と部屋を照りつける。部屋は既に静寂が支配していた。
「なんだルリ、あいつとぐるだったのか?」
「そう。ルリはぐる」
やべぇ、なんとなく変なことを聞いちまった。だがまぁ、はっきりさせたほうがいいかもしれない。
「ステムは、怒らないの?」
「ん? 別にいいんじゃねーか? あそこも楽しそうだしな」
「そう、よかった……」
ルリは肩の力が抜け落ちて、一安心したようだった。おかしなやつだ。
「そういや馬小屋でもそうだったが、ルリも何で俺のことずっと見てたんだ? 俺はずっと寝てただけなのに」
「ステムはお父さんみたいに、ぽかぽか暖かい光を放ってるから。見てるだけで幸せになれる……」
ルリは頬を緩めながらもそんな意味不明なことをいう。全くもって理解できない。
「なんだそりゃ、お前がいつも俺の胸らへんを見てたのと関係があるのか? 一体何を見てるんだよ」
「私が、見ているのは……」
そういってルリはベッドに座っている俺の胸の前まで人差し指を持って来て、そのまま突き入れた。
「魂」
瞬間、俺は時間が停止したかのように全身を全く動かせなくなった。何か、生命の根幹的なものを触られているような感触に全身が硬直し、目が見開いたままになる。
ルリの手が俺の厚い胸板をものともせず、中に入れている。しかし、にも関わらず、血も傷も見当たらず、俺の胸は水面のように波うっていた。
「あっ」
突然、ルリは我に返るようにして手を退けて俺を一瞬見てから、勢いよく頭を下げて謝ってきた。
「ご、ごめんなさい! わたし、なんてこと……。あまりに、綺麗だったから、つい……。ほんとに、ごめんなさい」
彼女は、ひどく慌てていた。普段の無表情さからは考えられないほどの不安と恐怖をその幼い顔立ちから溢れさせていた。そのギャップに俺も不安になってくる。
「大丈夫だよ。少しびっくりしただけだから。ほら、俺なんともないし」
俺は貫かれて尚何一つ違和感のない胸をぽんぽんと叩き、何もないことを証明してみせる。だが、あまり効果がないようで、彼女は下を向いて右往左往している。
「ダメ、こんなこと、しちゃ。叔父様が、いってた。こんなこと、したら、嫌われる。化け物だっ――」
「そんなことねーよ! そんなかわいい顔してばけもんなわけねーだろ。ほら、俺顔恐くて心醜くて、戦いの時だって全身真っ赤ででっけー猪止めてただろ? 俺のほうがよぽどばけもんだって……な?」
ルリの肩を持ち、揺さぶってそう言う。震える彼女は俺の言葉を聞いて次第に顔を上げ、俺の目を見てきた。手応えがあったことに嬉しくなる。
それにしても、この反応、尋常じゃない。魂を見て触れる事が出来る少女、俺の中に父の温もりを求めるルリ、化け物、支部長から溢れる姪に対する妙な自信。何かがわかる気がした。恐らくこれは彼女のトラウマなのだろう。シエラのルリに対する過保護も理解できる気がした。
「そんなこと、ない。こんな綺麗な光出す人、化け物なわけない」
治まってきたルリを見て、俺はゆっくりと話を進める。人の思考を誘導するのは苦手じゃない。初めてこの力がまともなことに役に立った気がした。
「いやぁ、それはまだわかんないけどさ、でもさ、俺、よくわからんが綺麗な光出すんだろ? だったら、ずっと見てていいぜ。好きなだけな」
俺の言葉にルリはパッと顔を輝かせた。
「ほんとに? 嫌わない?」
「あぁ、もちろんだ。だが、俺の睡眠は邪魔すんなよ。約束できるか?」
「うん。約束する!」
ルリの笑顔を見て、俺はやっと一息つくことができた。今まで生きてきた中で、一番の大仕事をしたかも知れない。
そんな中、部屋のドアが再び開けられ、2人の女性が入ってきた。悪くないタイミングだ。
「あー! ほんとに起きてる! ってかルリと近すぎ! 何をする気?」
そういってその中の一人、シエラはこちらに走り寄ってきた。相変わらず騒々しいやつだ。
「あぁ、ちょっと仲良くなりたくてな。お話をしてたんだ」
「なーんですって!? ルリ? 大丈夫? 変なことされてない?」
「うん。大丈夫」
心なしか、俺から見えるルリは、少し嬉しそうだった。
「そんなわけないでしょ! あんた自分の形相わかってるの? ルリは清純な乙女なのよ? 口説こうなんておこがましいにも程があるわ!」
シエラの必至な様子が滑稽に見えたが、今の俺にはそれが理解できる。シエラのルリに対する心が。
「あぁ、そうだな。それじゃあ口説くのはシエラの方にするか」
「はぁー? あんた何言ってる? ホンッッとさいってー! 私みたいな美少女があんたみたいなのに靡く訳無いでしょ!」
シエラをからかうのが面白くて止められない。こういうのも悪くないな、そう思った。
「ふふ……それで、もうお体の方は大丈夫なんですか? ケガはすぐ治ったと聞きましたが、なかなか起きないらしくて……心配しました」
今までずっとニコニコして見守っていたリイナさんが問いかける。
「あぁ、悪かったよ、ケガならもうすっかり治った」
「そうなんですね、良かったです……それにしても、二日見ない間に、前よりまた随分と力強くなりましたね」
「そ、そうか? そういやここはどこなんだ? 造りが真っ白だな」
そりゃ、あのわけわかんねー玉くらいまくったからな。しかし見てわかるもんなのか?とにかく、この話題はまずい。根ほり葉ほり聞かれてばれる可能性があるからだ。
「ここは教会よ。怪我人はみんなここに運ばれてくるの。防衛戦で怪我した人はもうみんなとっくに治って帰ったわ」
さっきまで怒っていたのに今では俺の質問に答えている。すごい変り様だ。
「その教会でお前はぎゃーぎゃー騒いでいた訳か、とんでもないやつだな」
「うぐっ。しょ、しょーがないでしょ! 大体あんたが変なこというから!」
「あーそうそう。さっき支部長が来てな、どおおおしても俺に対魔連に入って欲しいらしくてな。だから俺もしょおおおがないから入ってやったわ」
「それ、大丈夫なの? あんた木こりツリーしかないんでしょ? でもサーベルボアー止めたらしいし……でもでも……」
何か考え込んでいる様子だ。俺だって本当はそんな面倒なことはしたくない。ずっと寝ていたい。だが、対魔連での活動には少なからず期待も抱いている。俺も変わってきているのかも知れない。
「まぁ、支部長に言って簡単ですぐ帰れる任務にしてもらうから大丈夫だろう」
そういって俺は立ち上がり、こことは比べ物にならない『究極の寝所』を求めて、馬小屋に戻るのだった。
まったり回でした。