5話 すっきりした
次の日。早速朝食を食べ、彼女達と別れて東門に行く。
門の上で見ている、楽なものだ。要は上で高みの見物をしてろってことだろう。
しかし、なぜ俺にそんな事を頼むのだろうか。見ているだけとかどう考えてもいらないポジションではないだろうか。
勝利の女神にも俺はなれないだろう。いっそ自分の姪のルリやシエラに頼めばいいのではないか。美しい少女を見れば頑張ろうという気持ちにもなるものだ。
門の前まで行くと昨日の赤毛の男がいた。言葉遣いから支部長の側近と言ったところだろうか。
「お待ち致しておりました」
「あぁ、それなんだが。別にそんなに畏まらなくて良いぞ。普通でいいんだよ」
俺が要求すると赤毛は素直に頷いた。
「みんなもう始めている、いや、正確には昨日からずっとやっている……かな」
赤毛は門の向こう側を指し示し、そこに向かって歩きだした。
門の向こうでは大勢の人が地面に穴を掘っていた。もしかして昨日言っていた『力に自信のある者』ってのは戦うためじゃなくて穴を掘らせるために募集したのかもしれない。
「あれは何をしているんだ?」
「落し穴だ。町のすぐ外は全部堀で固められているがそれでも足りない。魔物は数が多い。しかし奴等は知能の低い個体が多い。真っ直ぐ突っ込んでくるだけのやつはまとめて穴の中に落として魔法で焼き払ってしまえばいいんだ」
なるほど。たしかに有効そうだ。しかし大変そうだ。俺は昨日さっさと帰ってしまったが、あれからずっと掘っているとなると20時間近く掘っていることになる。
皆精一杯のようで、中には目をうつろにしているような人もいた。
「それで、間に合いそうなのか?」
「ええ、ここ一帯の土は硬度が高く、難航していますが、魔物が現われると予想される昼過ぎまでには間に合せますよ。何せ、町の存亡がかかっていますからね」
「よし、じゃあ俺も手伝おう。戦闘じゃあ役にたたねーだろうし、俺だけ見てるのも悪いしな」
「まさか、昨日あれだけの威圧をしておいて、戦闘で活躍出来ないはずが無い」
「本当だって。昨日は流れで偉そうにしちまったけどおりゃ、木こりツリーしか持ってねぇんだ」
俺がそう説明すると赤毛は一瞬驚き、目を丸くするが、すぐに戻る。
「それが本当かはわからないが、本当にやるのか? 手をケガしているんだろう?」
やっぱり聞いていたのか。
「一昨日のケガだ。もう治った」
そういって俺は作業地に向かった。
皆俺を見ると目をギョッとさせていたが、俺が簡単に地面を掘り出して見せると彼らは喜び、自分の掘れなかった部分などを俺に教えてくれた。
数時間後、俺達は余裕を持って作業を終わらせた。町の人とも案外仲良くなれそうである。
これから帰るのだろう、先程の人達と挨拶を交わしながら俺は城門の上にのぼり、皆の掘った大規模な落し穴を見て、そして魔物のやってくるであろう森を見下ろした。
時刻は昼前になっていた。穴を掘っていたは非戦闘員は既に家に帰り、戦闘員は戦闘に備え、昼食をとるようであった。
俺はといえば特にすることもないので壁に背中を預け、寝た。
――
「皆の者よ、見よ、愚かなる魔物は幾重なる失敗にも懲りず、またしても我等の町に向かってきた。我々は、レジリア商国の民として、レイディナの町民として、我々の愛するこの町をを滅ぼそうする魔物どもを許さない! さぁ、今一度見せてやるのだ。我々は屈しない。何度来たところで返り討ちにしてみせると!」
男の声が響き、轟く鬨の声がそれに続く。
どうやら例の人がまたしても演説をしているようだ。ようやるわ。
立ち上がり、森の方を見やる。
すぐそこまで、魔物達がやってきていた。
小さな点が徐々に近づいてきて、大きくなっていく。いろんな魔物がいる。牛、猿、豚、蛇、犬、狼。
中には飛んでいる魔物もいるが、あれはどうするのだろうか。ま、俺は見てるだけでいいらしいし。
魔物が大分進んできた。周りの緊張が伝わってくる。
すぐそこに、落し穴がある。簡単な擬装が行われているが、穴が大きすぎてごまかしきれていない。こんなのに誰が入るんだ。
だが、そんな心配もすぐに杞憂に終わった。
いやいや簡単に落ちすぎだから。もっとちゃんと見ようよ。後ろも前が落ちてんのに突っ込むんじゃねー。
落し穴に注視していると急に前方から黒い影が近づいてきた。動きが速い。
烏の魔物だ。その不気味に赤く光る目でこちらを一瞥し、憎々しげにクチバシを鳴らした。
どうしようかな、来たら捕まえてやるかと思っていると突然、どんと何も無いところにぶつかり、体勢が崩れた。そしてすかさず鋭い雷撃がその体を貫く。
なるほど。結界と雷撃魔法か。魔法を行使するにはウィザードのツリーが必要らしい。物理職と違ってこういうのは完全にツリー依存だ。
これで終わりかと思っていると落ちる烏の魔物の体から小さい半透明の球体が抜け出てくる。それはゆっくりと大気中を浮游してこっちにむかってくる。
俺の周りにも数人いるが、誰も気付いていない。
すぐそこまでやってきて、手でふれようとしてもさわれない。これは……なんだ?
それは俺のすぐ前までくると、すかさず俺の胸の中に入ってきた。
特に違和感はない、いや、微かに体が暖かくなった気がする。よくわからないが、特に悪いものではないのかもしれない。
前を見ると今度はあの謎の球体がいくつも浮いていた。下を見ると鳥魔物の死体が落ちている。
これも魔物から出てきたものなのだろう。それらもまるで当たり前のことのように俺の胸の中に入っていった。他の人は気付きもしない。
今度は数が多いためか体が熱くなるのをしっかりと感じる。――力。ふとそんな言葉が頭の中に浮かんできた。
たしかに感じる。体が軽くなり、握る拳に力が入る。この感じ、悪くない。もしかしたら俺は魔物から力を吸収しているのかもしれない。
さっきの落し穴のほうを見てみる……順調のようだった。
あぁ、良くもえてんなー。横と下から大量の火の玉が絶え間無く敵側に放たれ、落し穴の中にはすぐに火がつき魔物達は暴れ回る。そしてその死体を踏み超え、意気揚々と進む魔物達はまたしても、突然地面に火が燃え広がったことに驚く。
地面にも油を撒いたか。
だが、数の力は恐ろしい。火の海の中から次々と魔物が姿を表し、さらに前へ進んでいく。本当に突っ込むことしかできないようだ。
ここまでくれば町まであとすこしだ。
しかし、それを許すレイディナの戦士ではない。
うおおおおという掛け声とともに商国の兵士と対魔連の勇士が東門から走り込んで魔物達に斬りかかっていく。
魔物は基本的に人間より体力に秀でて力も強い。だが、火で削られたその体でレイディナの精鋭達に叶うはずもなかった。
あとは時間の問題だろう。暇だし寝るか……と思って移動しようとしたその時――見てはいけないものを見てしまったような気がした。
すぐ下で倒された魔物から例の透明の玉がうようよ出てきたのである。
さっきのは2,30程度だったから良かったが、この数はまずいのではないか。いや、猛烈にいやな予感がする。背筋から嫌な汗が奔る。
逃げようと思い移動するが、無理だ。やつらは生意気なことに壁を貫通してきやがる。しかも無数に。一体何体もの魔物があの火の海から走ってくるだろうか。くそ。
玉が一つ、二つと俺の中に入っていく。体が徐徐に熱くなっていく。このくらいならいい。だが、本当にこのまま終わってくれるのか?
悪い予感が当たった。熱は上昇し続けて留まるところを知らない。そして尚球体は全方向をもって俺の中に入ってくる。
皮膚が赤くなってきている。だが、それでも俺には何もできないのだ。このいかさま野郎に対抗しうる手段が思い付かない。耐えるだけしかできないなど歯痒いこと此の上ない。
どのくらいたっただろうか。突然、場の雰囲気が急劇に変化した。何か、いいしれないやばいものを感じ、体がブルッと震える。
今、俺の体は既にゆでだこのように赤く変色しており、並ならぬ蒸気が頭の上からでているのを感じる。入ってくる球体は随分と減ってきていた。だが、そんなことどうでも良くなるくらい、俺はいらついていた。何も出来ない自分に、じわじわと攻め来るこの熱に、すべてに! この鬱憤、晴らさずにいられるか。いっそのこと、こと東門をぶっこわしてしまおうか?ふふ……。
それにしてもこの感じ、なんなんだ。もしかして、あいつらやられてしまったのか?さっきまであれほど優勢だったのに。
立ち上がり、辺りを見回す。
もうすでに残る魔物は殆どいない。残党狩りだ。だが、この嫌な感じは全く消える気配が無い。
どこだ。どこにいる。この状態をつくった存在がいるはずだ。
ふと、遠くに小さな点を見つけた。小さすぎてわからない。だが、俺は確信した。原因はあれだ、と。
点が急速に大きくなり、正体を表す。体がすこし硬直する。これはあれだ。やばいやつだ。本能が危険を察知している。
そいつは突っ込むことしか脳の無い魔物の中でももっとも厄介なものの一つ――猪だ。
まだ遠いくせに既に体が大きい。前に聳える大きな牙が日の光を反射して光った。
誰かがそれに気付きこう叫んだ――サーベルボアーだ!
サーベル。つまり刃物。あの牙か。口の横から生え、前に伸び、そして大きく天に向かって反り上がっている。良く見ればたしかに刃物にも見える。
それにしてもでかい。高さだけで4メートルはあるであろう。
たしかにあれは危険だ。東門に向かってまっすぐ走っている。既に魔物で落し穴も埋まってしまっている。あれを誰かが止めなければならない。
さもなくば宿も含めて町中が破壊されることだろう。
すべての条件はそろった。これで俺があいつを腹いせに使ったところで、誰にも文句を言われることはないだろう。
ふふふふふ。いいぞいいぞ――来てくれてありがとう。我が愛しのサーベルボアーよ。
――
「誰かあれを止めろ! 町の中に突っ込まれたらめちゃくちゃにされるぞ」
誰かがそう叫んだ。
「どうやってとめんだよ! あの牙に串刺しにされるのがオチだろう。皆に魔法をぶっぱなしてもらってるが全然効きやしねぇ」
その通りである。この猪、魔物の階位にありながら国家に危険種として認定されている。
高位の実力者にかかればさほどの問題はないものの、それらが滅多に居ない普通の町や村にとっては最も厄介な魔物の一つだ。
その頑強な体は中級までのあらゆる魔術を防ぎ、その牙はあらゆるものを串刺しにすると言われている。走る速度も然る事ながら跳躍力にも長けている。
普通は早期に発見し、町総出で山ほどの罠とともに駆逐するのがセオリーだ。
しかし、今回それは出来ていない。何故か群れに居なかったからだろう。そしてこのタイミングである。戦士は皆、顔に絶望の色を浮かばせていた。
「俺らが止める!」
戦士の中でも特に大柄な三人が声を張る。いかにも頑丈そうな鎧を身に纏う、二メートルはあろうかというこの三人。たしかに、三人が力を合せればなんとかなるかもしれない。
根拠などない。ただなんとかなってほしい。なんとかならなくてはならない。町のために。
だが、そんな微かな希望もすぐに粉々に砕け散ってしまう。
三人は町のために! という掛け声とともにサーベルボアーと接触するも一瞬、皆、弾き飛ばされてしまう。2人は腹を刺されたのか。少なくない血を流していた。
幸いなことに、致命傷には至っていない。あの鎧が功を奏したのだろう。
普段ならすぐに救護の人! と、叫ばれているはずだが、皆、猪に釘付けだった。何せ、もう既に門のすぐ前までやってきていたのだから。
しかし、なんということだろう。なんと、門の上から先程の男達よりもさらに一際巨体の男が降ってきたのだ。
だが、一番驚くべきことは、その大男、全身を真っ赤に染め、その頭上には赤い蒸気のようなものを昇らせていることだろう。
皆が固唾を飲み、見守る中その大男はサーベルボアーの牙を前傾の姿勢を以って手で握り、何とか食止めようとするが、しかし猪の勢いは凄まじいものがあり、その手を流し、彼の肩を胸にかけて突き刺した。ブシャアと大量の血がでる。
だが、大男はそれをものともせず、牙をより強く握り、手で、肩でそのその勢いを削ぎ落とそうとする。体が押されてズザザザと後ろにずらされようとも、彼は決して込めた力を弱めようとはしなかった。
「ウガガガガガガガガガガガガ」
大男は悲鳴を上げ、耐えている。
猪の位置は既に門の真下を抜け、町中に入ろうとしていた。
男はそれに気付き、もうこれ以上下がれないと思ったのか、右足で、そしてすぐに左足で強く地面を蹴り、足をめり込ませ、手にありったけの力を前に入れて、まさに鬼気迫る顔色でもってこうのたまった。
「てめえええ、調子に乗ってんじゃねえええぞこの猪やろう!」
猪は、止まっていた。猪自身もまさか自分が止まることなど露程にも思っていなかったのか、大きな目を真ん丸としながら上下左右に回して、今の状況を理解しようとしているようだった。
「へへ、おめぇは速度を失い、俺は随分と肩をやられた。これでイーブンだな。さぁ、2回戦といこうぜ。おら、なんか違う技を使ってこいよ」
大男は、笑っていた。ここまでの工程すべてが彼の想定内であったように勘違いしてしまうほど、深い笑みを浮かべている。
猪は激怒していた。なんたる屈辱か。生まれてこのかた一度たりともこの気持ちの良い、生き甲斐でもある走りを邪魔されたり、あまつさえ止められることなどなかった。こんなこと、あっていいはずがない、許されていいはずがないではないか。
頭をブンブン上に、下に、左右に振り回そうとする。しかし、掴まれた牙はびくともすんともせず、その手に込められた力の程を思い知ることになった。
彼の体がブルリと震えた。猪は猪であるが故に、魔物であったとしてもそれは変わらず、突進に特化した彼の種族は他の攻撃方法を持ち合わせていなかったのだ。
「おいおい、まさか本当に突っ込むことしか能がないのか? がっかりだぜ。まぁいい、だったらそれも含めて俺の鬱憤ばらしに付き合ってもらうぜ、何、ちょっとばかし殴らせてもらうだけでいいんだ」
そういって彼は手に力を目一杯入れるとすかさずバリン。という音と共に牙が折れ、それを後ろに放り投げると、目を真ん丸にして驚いている猪を体一杯に殴り付けた。
4mあるはずの猪はたまらず門の横壁に打ち付けられ、ドサリと下に転がる。
だが、これからだとばかり大男は猪の顔を殴りつけた。一発、二発、三発と、殴っているうちにわらわらと他の人が集まってきたことを知覚した。
大男はふと、これではまずい、と思った。
この行為ははたから見ればただの鬱憤ばらしに見えるのではないか? また虐めているのだと思われないか?一昨日のシエラという娘のあのジト目を思い出して、彼はまたもやまずい、と思った。しかし、まだ殴り足りなかった。せめてあと一発だけでもいい。大男は少しばかり猪のように目を回して思考し、目をつむり、こんなことをいってのける。
「聖域を穢そうと企む愚かものどもよ」
生命力の強いサーベルボアーはよろよろとしながらも立ち上がろうとして、そこに今ままでのものとは比べ物にならない程の強い一撃を上から叩き付けられた。
「愚かなりいいいぃぃぃ」
山鳴りのような声とともにドッシンンンンン!という轟音をともなって地面に大きなヒビをつけ、砕けさせた。大量の石片が飛び散る。
大きくジャンプして拳を叩き付けたあと着地した大男は、ハアハアと肩を大きく上下させて呼吸し、ふらついた足取りですぐ横の壁によりかかるとずるずる滑り落ちていった。体色はいつのまにかもどっていた。
さすがの彼も、限界だったようだ。だが、彼は満ち足りていた。少し休むとばかりに目をつむりそのまま眠りこくった。ふぅ……。すっきりした。という言葉をのこして。
そのあとにやってくる。「うおおおお、すげえええええ」「まるで鬼神のようだ!」「町が、救われたんだ!」という声は、彼には聞えない。