29話 星晶
中はひたすらに黒かった。
そして降りる階段はどこまでも続いていく。
悪魔の眼で見ている俺はあとどのくらい続くかもわかっている。
ペンダントは結構深いところにあった。
降りていくほどに魔素は濃くなっていく。
こんな所にデビルとやらがいるのならもはやそれは人間ではなく悪魔のようなものだな。
しばらく進めば、その場所が見えてきた。
階段の先は広間のような空間になっていた。その奥にあるもの、ここからでも俺は感じることができる。それの存在を。腕輪がこの魔素の中でも今まで一番の光を放っていた。
「誰だ」
一人の男の声がした。
その男、まるで守護者であるかのようにそのものの前に鎮座し、体からは溢れるようにして魔素が涌き出ていた。
「そう警戒するな、俺は悪魔だ」
――系統変更、悪魔。
体を悪魔のものにする。
人間のままでは警戒させるばかりだろうし、情報を引き出すのならこの姿が一番だ。
「その翼、まさか魔人!? いや、違うな。気配が違う」
「ただの上級悪魔だ。ある御方から様子を見てこいとの命令だ」
「俺は今任務を遂行中だ」
「わかっている。噂によれば監禁されている灰色の王女から特異の力を秘めるペンダントを奪ってきたようじゃないか」
「それが俺の任務だ。何年も潜伏してやっと成し遂げた。あとはここで待ち、セルメレス様にあれを渡すだけだ」
「セルメレス様とは何年会っていない」
「もう、10年近くになる。早く会いたい。でも俺が悪いのだ。指定された時間よりも大分かかってしまった。セルメレス様は怒っていらっしゃるだろう。もう俺とは会って下さらないのではないか」
「随分と苦しそうだな。俺が楽にしてやろうか?」
「まさか、貴方はあの方の御付きの者か! あの方と会せてくれるくれるよう取りはからってくれ」
男が興奮した様子で勢い良く立ち上がった。
「そこまで悪魔と会いたがるとは、おかしいのではないか?」
「何を言っている。セルメレス様の傍でお仕えすることこそ俺の夢なのだ」
「なるほどな。だがその願いはかなわないだろうな」
「なんだと!」
「お前は闇に還り、ペンダントは代りに俺が届けてやろう」
「ふざけるな! それがあの御方の意志か。いや、そんなはずはない!」
一歩……歩み寄り、囁く。
「さぁ、楽になれ人間よ」
「誰が貴様の言うことなど聞くものか。どうせ手柄を横取りしてあの御方に取り入ろうと言う腹積もりだろう。それともあの醜い悪女王妃の娘に誑かされたか?」
言葉に目を細める。
「どういうことだ」
「はっはは。あいつが悪いのだ。セルメレス様に助けてもらいながら、栄華を求めてか公王なぞに靡きおって! 命を残してやるなど、セルメレス様も甘すぎる、早々に親子共々やってしまえばよかったものを!」
「もういい、想像以上につまらない話だった。結局、俺がここへ来た目的はただ一つだけだ。そのペンダントをよこせ」
「貴様、まさか盾突くつもりか!? 俺をないがしろにするということはつまり、第一魔人であらせられるセルメレス様に牙を剥くということだぞ!」
「なに、ばれなければどうということはない。灰も闇も口を割らない」
俺がいうと男は途端に顔を歪めた。
「ぬぅ……。言わせておけば。だが、貴様もたかが上級悪魔ではないか。第一魔人様の力を授かり、昇華された俺の力を見くびるなよ」
『今からデビルと戦うのか? 大丈夫なのか、こっちは手が離せないぞ』
突然、分体から直接脳に通信が入った。そうであった。本体と分体間ではいつでもすぐに、言葉、或いはその他のものを伝えることができるのだ。分体は力が半減している俺の戦闘と作戦の成果を憂えているのだろう。
『お前はこいつを見てないからわからんのだろう。何も問題はない』
『そうか、ならいい』
通信が切れると目の前の奴が宣言した。
――魔剣士技能、段階7、魔素付与。
場の魔素が彼に向かって流れ、やつの剣に纏わり付くとやがて、それは剣身を這いずる闇のオーラとなる。
黒の剣はルッフェも造っていたがあれとは込められた、そもそもの質が違う。
そうか、こいつのいう授かった力とは悪魔だけが持つ『魔力操作』のことだったか。
魔素とは闇のエネルギーの最小単位であり、それを操作し、悪魔のスキル若しくは能力に変換する力のことを『魔力』という。もっとも魔力ツリーの魔力とは戦闘に使われる戦闘魔力のことを指すが。
とにかくこれがあれば、悪魔でなくとも悪魔紛いの力を発揮できるということなのだろう。
これを持つが故に、これを授かったが故に、彼らは悪魔憑きと呼ばれているのだろう。
「どうだ。第一魔人から授かったこの力があれば、例え相手が悪魔であろうとも、恐るるに足らず!」
男がその剣を一振りすればその先が闇に呑まれて消える。
「俺は芸を見に来たわけじゃない。さっさと来い」
――魔剣士技能、段階7、魔重斬。
下から男が闇を纏う剣を力一杯振上げてきた。だが、どうしても俺には込められている魔力が少ないように思えるのだ。
右手の甲で打ち付けて仰け反らせると後ろに蹴り飛ばす。
やはり全然いけるな。それでも下手な上級悪魔よりは強いだろうが。
「ふむ。察するにセルメレス様は蠱惑のツリーで第一魔人まで成り上ったようだ。だから、自身が得意ではない戦闘魔力はあまりもらえなかったようだな」
「そ、それは……!」
「どうする。悪魔には効かない蠱惑技能でも使うか? いや、それは悧巧ではないな。ここは尻尾を巻いて逃げることをお勧めしよう」
「貴様、侮辱するつもりか!」
――魔剣士技能、段階9、魔気猛進突。
男は立ち上がり、体に荒ぶる闇のオーラを纏って突っ込んで来る。そしてその先端はとがり、一杯の怒気と殺気を帯びている。
それに対し、俺は力一杯拳で殴りつけてやった。
拳が奴の剣をへし折り、顔面を抉ると、男は大きな音を立てて奥に転がった。
軽くあしらってもいいが、いつまでもこのやりとりを続けてもしかたがない。
とどめを差そうと歩み寄っていると男はよろよろと上半身を動かし、一つの小さな箱からあるものを取り出した。
「おお」
それを見た瞬間、俺は感嘆の声を上げた。
とにかく綺麗だった。色を認識しにくい悪魔の眼で見てもあまりある魅力がそれにはあった。
驚きと同時にどこかで見たような感じもした。
ツリークリスタルだ。こいつには今まで何度も会ってきた。
確かに似ている。しかし少しだけ違うような気もする。
「ヒヒ、綺麗だろう。これ以上近づくなら壊してもいいんだぜ?」
「ふん、脅しになっていないぞ。まずお前がセルメレス様渇望のそれを壊すとは思えないし、何よりこのペンダントからはお前なんかよりずっとすごいエネルギーを感じる。果たしてお前にそれを壊せるかな?」
「チッ。クソッ」
男が舌打ちし、一つ息を吐くと、仕切り直してこういった。
「なぁ、知ってるかよ。あの御方がいうにこいつはな、人の願いを叶える力を持つペンダントなんだと。これをみすみすお前にくれてやるくらいなら、俺のものにしてやる!」
そういって下卑た笑みを浮かべながら左手でチェーンを掴み、右手でその本名のペンダントトップを手に触れようとする。
「ペンダントよ。俺に力をくれ。それもその憎き裏切りの悪魔を踏みにじられるような最高のやつだ! さぁ……さぁ!」
男の呼びかけとともにそれが放つ光が強くなっていく。
「おぉ……凄い光だ。ふふ、ふははは! やはり俺はこんなところで終わる定めではなかった! 魔神に愛された俺に盾突いたことを後悔するがいい。ははは!」
光が絶頂に至ると同時に男はそれを強く握り締めて叫ぶ。
「力だ! 絶大なる力が今俺に……あ!?」
男の予想は大きく外れていた。光がもたらしたのは力の奔流ではなく、クリスタルの洗礼だった。
それに触れた右手から徐々にクリスタルに侵略され、やがては右腕がそれに成り代わっていく。
皮肉なのは、そのクリスタルの腕は独りでに輝き、綺麗な光を放っていることだろうか。
「どうやら人の願いを叶えるそのペンダントも、もはや人あらざるお前の願いは叶えてもらえなかったようだな。そしてその所有者としても拒絶された!」
パリン! 音とともに男の腕が粉々になる。
もはや彼には先程の威勢は欠けらもなく、その表情には悔しさがにじみ出ていた。
「ぐっ。何故だ! 何故なんだ!」
「もうこれで終わりにしよう。闇に還って眠れ」
――悪魔、魔力技能、段階5、黑弾。
「どこだ! どこに出した!」
「お前の真上だ」
「ま、まさか……やめろぉぉ!」
「はぁぁ!!」
聞く耳など持たない。出した黑弾をやつに押し付けるようにして、全力で拳を振り降ろした。
弾もろとも地面にめり込ませるとズドン、という大きな爆発音が鳴り響いた。
男は既に形すらなかった。悪魔と同様に闇となって消えた。玉がでてくる。
敵がもう存在しないことを知覚すると、色を識別しやすい体を変える。
――系統変更、剣士。
砂煙の中、問題なく見えるそれを少し離れた地面から拾い上げた。
俺にはわかる。こいつは俺が全力で壊しにかかってもびくともしないだろう。
それだけの力を秘めているのだ。
右手でペンダントのトップ、青く丸い、それはそれは綺麗に光るそれに触れた。
ひどく、懐かしい感じがした。でもやはり、ツリークリスタルとは少し違う気がするのだ。
「君は、なんだ? ツリークリスタルではないのか?」
返答の期待しない俺の問いが飛び出すと、どこからか、脳に直接その答えが返って来た。
『私はスタークリスタル、青き星の民の願いを――叶えるものです』
何だというのだ。まったく理解出来なかった。青き星の民とはなんなのだろうか。
しかしレナは王妃の形見だと言った。つまり王妃やレナは青き星の民なのか?
とりあえずわかったことはあの男が仮に普通の人間であったとしても願いは叶えられなかっただろうということだ。
そして良く見るとこれもまたいつぞに見たツリークリスタルのように黒に侵食されて居るように見えた。
この地下に半年埋もれていたからか、それ以前のものかはわからないが、俺ならば何とか出来るのではないか。
表面を指で擦ってやるとツリークリスタルと同じように己の汚れが落ちたとばかりに気持ちの良い光を発した。
治まる頃には今までよりも綺麗に輝くそれが掌に納まっている。
よくわからんが何故だか良いことをしたような気分になる。悪魔であるに馬鹿馬鹿しい話だ。
いずれにせよ、これでよし。
目的は達せられた。あとはこれを持って帰ればいい。
準備をするためにペンダントを闇の中に収納する。これはお茶会でティーセットを出した時にも使った能力でもある。
収納力は自身の魔素量に比例する。ここに入れておけば無くす心配はない。
何より便利なのは、収納したものを魔素を通じて分体が取り出せたりと共有できることだ。単純な能力も他の能力と掛け合わせれば使い道はずっと広がるということなのだろう。
それが問題なく魔素の中に入るとそれを察したのか、分体から通信が入った。
『よぉ、どうやら手に入れたようだな』
『あぁ、すべて順調だ』
『そうか、早くレナの喜ぶ顔が見たいものだ』
『奇遇だな。俺もだ』
『何を言っている。当然だろ』
『そうだな。よし。それじゃあ戻るぜ。そっちはいいか?』
『あぁ、丁度戦事が終わって引き上げるところだ』
よし。
――分体管理開始、分体1を本体に認定。元本体の意識を新しく認定された本体に統合後、分体となった体を還元せよ。
んー、手順に問題はなし、と。
――実行。
宣言を終えると意識が暗闇に閉ざされ、五感も消える。
この空間の中で様々な情報が舞い込んでくる。本体ではなく分体が手に入れた情報、経験、感情がすべて俺の中に統合される。
これのおかげで俺はいつ戻っても周りとの齟齬無しに会話や生活が出来るわけだ。ただし玉でのレベルアップだけは統合せずともリアルタイムで反映されたはずだ。
重要な統合だがこれもすぐに終わり、五感が復活する。
真っ先に感じたのはさっきまでいた魔素はびこる闇に支配された無音の地下ではなく、戦場の匂いだった。
ゆっくりと目を開ける。
目の前にはルッフェとレクスそして、直に綺麗な夕焼けが見えそうな空があった。季節は夏の終わりに差し掛かり、残暑で未だ勢い余る天の日が大地を焼いていた。
「なんだ!? 目を閉じたと思ったら急に気配が増しやがった。どうなってんだお前。新しく考えた必殺技か?」
「どんな必殺技だ。目を閉じたら気配が倍増するってか?」
「はは。そんなわけないだろう。気の所為じゃないのか?」
「がはは。まったくもって頼もしいやつよ」
「まぁなんだっていいんだがよ。とりあえず戻るぞ。なんたって今日はマスターから大事な話があるらしいからな」
「そうだったな」
意志が一致したのを確認すると、二人と一緒に帰還石を割り、転移した。