15話 屈辱と願い
女は怒りに震えていた。己の無力に、両親を殺した悪魔という悪に。
村の皆の止めをことごとく振り払い、悪魔にもっとも近い公都に向かって森を突き進んでいく。
すらりと長いスレンダーな体つきで木々の間をすり抜け、キリッとした端正な顔立ちは今や見る影もない。すべてを呪うような鋭い目線が森の中を駆けた。
そんな彼女であったが、森の中腹まで進むと、ふと足を止めた。もちろん気が変わったわけではない。一人の男に……止められたからだ。
女は少しばかり訝しんだ。その男、見たこともない異色の衣装を纏い、これまた変わった趣向の凝らした湾刀を鞘ごと持ち、彼女の進路を阻めていた。男の口元から下卑た笑みが零れる。
彼女はこの笑みを知っていた。傭兵の仕事を経験し、鼻筋の通った彼女は幾度のなくこの笑みを見てきた。そしてこの状況の意味するものも知っていた。
だが、今、この時においてその対応をする気はなかった彼女は、なんとか通ろうとする。
「すまないが私は急いでいるのだ、そこを退いてはもらえないか?」
彼女はそういうが男は何かを気にした風でもなく、質問を質問で返す。
「麗しきお嬢さん、お急ぎのご様子だが、一体どこに行かれるのかな?」
男は笑みを崩さずそういうと、女はピクリと眉を動かした。
「貴様には関係のないことだ。ここを通らせてもらう」
女が無理に通ろうとしたところで男は立ち上がり、女の真正面に割って入った。
「復讐なんてつまらないことをやめて、俺と楽しいこと――しようや」
重苦しい声とともに男が笑みを一層深めると、女は急に変わった男の雰囲気に身の危険を感じて跳び退き、剣を抜いた。
黒い風が木々の間を通り抜け、男の目が妖しく光る。女は確信した、こいつは普通じゃない。
「なんだ貴様は! 何故それを知っている!」
「そんなことより遊ぼうよ。きっと――楽しいよ」
「誰がそんなこと! 私はこれからあの憎き悪魔共を八つ裂きにせねばならないんだからな!」
女が怒り心頭にそういうと、途端に男は笑って見せた。
「アッハハ! お前が? 悪魔を? それは冗談で言ってるんだろう?」
「な! 何を笑う……私は本気で――」
「身の程を弁えよ……小娘!」
女の言葉を遮り、男は突如として重低音極まった声で威圧し、女はビクリと体を震わせた。
激しい黒の風が吹き荒び、2人の間を駆け巡る。
「本当に行くというのならまずは俺の首を切り落してからにしろ。お前が本当にその力と――意志があるのならな……。さぁ、こい!」
男が怒鳴ると女はすこしばかり逡巡し、男に向かって斬りかかった。だが、それは男に止められてしまった。それも簡単に、人差し指の腹で。
女は驚いていた。本当に悪魔に勝てるとは思ってはいない。しかし、こんな所でわけのわからない男に止められるほどやわだった覚えもなかった。
彼女はソードマンのツリーをレベル7まで取得し、村のみならず、傭兵団の中でもすぐに頭角を現わし、その外見と相まって凄まじい注目を集めていた。だから彼女は夢にも思わなかった。こんな所でただの人間にしてやられるとは……露程にも思わなかったのである。
「それが本気か? スキルも使わずに。まさか本当に斬りかかればビビッて逃げ出すと思っていたわけではあるまい? 舐めるなよ、全力で来い!」
男の言に図星を突かれたのか、女はたちまちたじろぎ、そして食ってかかった。
「何故だ! 何故赤の他人である貴様がそこまでする!」
「知りたいか? いいだろう、教えてやる。よーく見ておけ」
男がそういうと何やら宣言をし、そして彼の体は服や武器も含めて黒に染まった。すべてが魔素に成り代わり、体が再構築される。先程の人間の体ではなく、黒い装甲に包まれ、翼と尻尾の生えた、純なる悪魔の体に。
変化を終えると驚き、震える女をよそに男はいう。
「それは俺が――悪魔だからだ」
――
数瞬の沈黙を経て、女が立ち直ると、男は続きをいった。
「さぁ、こい。俺はお前の両親を殺した憎き悪魔ぞ! 存分にその怒りをぶつけるがいい」
男は意気揚々とそういうが、女の言葉は男を驚かせることになった。
「いや、違う。お前は両親を殺した悪魔じゃない……」
「なんだと、お前はその悪魔を見ていないはずだ。それに見ていたとしても何故それを判別できる」
「悪魔なんて見たこともなかった……。だが、あいつらはお前なんかより全然強そうだった!」
男は考える。自分より強い悪魔、それは得てしてツリーレベルが五以上の上級悪魔クラスからだろう。いや、もっと上か? 第二魔人か、第一か? はたまた王か? いずれにしても男にはあまり興味のない話だった。彼は思った。やはり彼女の前で両親を殺すことで、彼女を彼らの元へ行かせようとしたのか、と。途轍もなく面白くない話だった。
「わかったぞ。何故お前が悪魔を目の当たりにしていながら朝になってやっと叫びだしたのかが……。お前は恐ろしかったのだろう。初めて体感した心を凍り付かせるような絶対的な恐怖に、お前は両親が殺されていくのをただ黙って見ていた。朝、ようやく我に帰ったお前はそんな自分が、そしてそれを成した悪魔が許せなかった。だからこうまでして悪魔に執着する。フハハハ。悪魔である俺にはよくわかるぞ、お前の恐怖が! お前の怒りが!」
男は知っていた。これは悪魔の常套手段だ。これに取り憑かれた人間は狂ったようにその悪魔を求める。そして怒りで伸し上がり、ぷよぷよに育ったその果てを悪魔は食する。
ふざけるな。男は目を一層闇に染め、怒りを露わにした。こいつは――俺の獲物だ。
「なぜそれを! 貴様見ていたな!」
「フヒヒヒ。そんなもの、見なくとも分かるわ。どうだ、やっとやる気になったか?」
「いいだろう。貴様から血祭りに上げてやる!」
「ハハハハ、いいぞ。やはりそうこなくてはな」
男が笑うと女は先程とは桁違いの速度を獰猛な目付きで走り、剣を薙いだ。
――刃斬。
刃に青白い光りが灯り、剣が加速する。
だが、その直後ガン! という重い金属音と共に剣が乱回転し、後ろに突き刺さった。男が手の甲で強く打ち付けたからだ。女はその反動で手が上手く動かせないようだった。
「悪くはないが、良くもないな」
男が嗤うと女は激昂した。憎き悪魔にそこまで言われて彼女は全てを否定された気分になった。
「貴様あぁぁ!」
女は未だに震える自分の手を抑え、先程よりも速い速度で男に向かって斜めに斬る。がむしゃらであった。
男はそれを紙一重で躱し、下がった剣を地面に踏み付けると右手で女の首を掴み、体ごと持ち上げた。
「お前は弱いな。本当に今のままで悪魔の餌になりに行こうとしていたのか?」
「例え勝てなくとも、私は殺らなければいけなかった! それが、私なりのケジメの付け方だ!」
女は叫ぶ。叫びながら、目に涙を滲ませていた。彼女の思いが男に吸い込まれていく。すると男は突如として目を見開き怒鳴った。
「弱いのなら強くなればいい! 強くなってまずは俺の首を刎ねてみるがいい! それが出来たならお前はどんな悪魔にも復讐できる!」
男は高く叫び、左手で手刀を作り、自分の首に充てがう。女は彼の予想外の行動に驚いた。
「貴様、気が動転したか! 何故悪魔である貴様がそんなことをいう! お前は悪だろう! ならばさっさと私を殺せ!」
「その必要は無い。お前は強くなる。俺が、鍛えてやる!」
男がいうと女はまたしても驚くことになった。
「何故だ! 貴様は悪魔だ! 貴様はただ黙って私が悪魔に殺されていくのを見ていればいいのだ。何故そんなことをする!」
「当然の話だ。お前がどこぞの悪魔に食われても、俺は得をしない。俺はお前が気に入ったのだ。だからあまり他の悪魔の話はしないでくれ、嫉妬してしまうだろう?」
男は笑った。女は男の言っている意味が理解出来ていないようで、じっと男の顔を見ていた。
「俺はお前が欲しい。だから俺の女にならないか? こう見えても俺は他の悪魔よりは紳士的だぞ。それにお前の復讐を手伝ってやることも出来る」
男が顔を近付けてそう言うと、女は途端に我に帰ったように暴れるのだ。
「ふざけるな! 誰が貴様なぞ信じるものか!」
女の言葉を聞いた男は一瞬悲しげな顔をすると、次の瞬間まるでそれを隠すように女を乱暴に投げ言葉を吐き捨てた。女は地面に転がる。
「フン。もういい! 今日はもう帰ってじっくり考えろ。お前が復讐のためにプライドを捨てられるようなら、明日またここに来い。おっと、俺のことは誰にもいうなよ? さもなくばあの村はもうないものと思え」
「貴様、後悔することになるぞ」
男の言葉を聞いた女は状態を整えるとすこしばかり考え、そそくさと来た道を戻った。
その様子を見ながら、男は誰にも聞えない小声で言葉を呟き、溜め息を一つついた。
「ふられちったなぁ……」
―――
ったく。あいつは扱いが難しすぎるんだよな。
剣豪の姿に戻り、森で例の女を待ちながら、俺はそんなことを思った。
俺が何もしなければあいつは一人で悪魔の元へ行くだろう。それは困る。かと言って説得したところであいつは聞かないだろう。そういう玉じゃない。
両足を切り取れば悪魔の元へは行けないだろうが、生憎俺はそういうのは好かない。
いずれにしろ、これは俺と犯人悪魔との戦いだ。時間までにあいつの興味を俺に惹かせることが出来れば俺の勝ち、そうでなけりゃ、俺の負けだ。勝算はない。だが男にはやらねばならぬ時もあるのだ。あいつには強くなってもらわないといけない。簡単に死んでもらっては困るからな。
もっとも、ここに来てもらえなければ何も始まらないわけだが……。まぁ、そんな心配も無用だったか。
俺は視界に入って来た例の人物を見て、にやりと笑った。
――
「今日で最終日だ、今日俺を殺せなければしばらくはお預けだぞ。さぁ、来い!」
そういって俺は刀を鞘ごと目の前の地面に突き刺し、両手を柄に置いた。
あの日、初めてこいつが修行の為、俺の前に現われてから2週間、俺は毎日毎日扱いてやった。こいつも吹っ切れたのか、俺がどんなに蹴り飛ばしても、鞘で殴っても立ち上がっては続きを要求してきた。なかなかに根性がある。
しかしこいつはなかなかにやりおるようで、どんどんとすごい速度で成長していくのだ。2週間というタイムリミットは変わらない。俺にも用事ってものがある。最初は時間が来れば途中で切り上げる気満満だったが、こいつなら本当に悪魔とやりあえるかもしれない。俺もうかうかしていられない。このペースだと普通に追い抜かれる。俺は守りたい欲はあっても守られる欲はないのだ。
ツリーの成長条件は個人の才能と行動で変わる。例えば剣ツリーの場合は剣を振れば振るほど、才能があればあるほど、成長は加速する。もちろん肉体的な成長も忘れてはならない。
要するにこいつはとんでもないチート野郎ってことだ。
殺気を感じ、思考を切り上げる。
横から剣が迫ってくる気配を受けて頭を下げる。そのまま切り返してくるのを鞘で受け止め、足を払うとやつは後ろに飛んだ。
「こんなもんか? 全力で来い」
俺がそういうとあいつは今以上の速度で斬り込んでくる。また速度を上げたようであった。
連続の斬撃を受け流していると気づくことがあった。
霧が出てきたのである。森は霧がでないわけではない。だが、この2週間一度も見たことが無かったし、どんどん濃くなっていくこれは明らかに異常であった。
何かのスキルだろうか。目の前で剣を振るうこいつがやったのか? そんなことがあり得るのか?
尽きない疑問符にうんざりしていると宣言の声が聞えた。口端を吊り上げ、悪い顔をしている女が視界に映る。やはりこいつか。
――剣士、限定技能段階 九、霧中突・四重奏。
次の瞬間、俺は感じ取った。一層膨れ上がった殺気と四方の斜め下から高速で突上げられる剣尖を。それは視界を埋める霧からどこともなく生えてきており、その一方を女が突いている。殆どが霧に包まれており、エフェクトもなく、視認するのが非常に難しい。
こりゃずるいな。戦いながらスキルをじょじょに発動させることができるとは……。
しかしこの状態、なかなかにきつい。四方塞がりで避ける場所がない。一方を防いでも他のはどうしようもないだろう。唯一は上か。だが、この状態では跳んだ所でジリ貧になるばかりだ。副系統で翼を出してもいいが、そこまでする必要も無いか。
俺は決意すると右手で持っていた刀を鞘ごと腰の左に固定し、左手でそれを鞘から抜く。六センチほど刀身が見えたところで、俺は宣言した。
――剣豪技能、第二段階、刀気――其ノ弐・円。
刀身が白く輝いたの確認すると、俺は勢い良くそれを鞘に戻す。カチャッ、という鞘に納まる音が響くとその瞬間、刀が閃光を発した。
刀を中心に白い刃の波動が円を描き、全方向に向かって走り、四方の剣尖に当たると忽ちそれを切断し、その先の木を両断する。大木が徐々にずれ落ちる。
そう、チートなのは何もこいつだけではない。俺も二週間のうちにソードマスターのレベルをあげていた。寝る必要のない俺は暇だったのだ。
このスキルはレベル2のものであり、使用者の殺気と露出した剣身の面積依存のためもあってベースとなる威力が低いのが難点だが、今の状況に於いてこれ以上に使いやすいものもないであろう。
こいつのスキルも威力ではなく、隠蔽と速度が売りのようであるからそれを上回るのも難しい話ではなかった。
「残念だったな、続きはまた今度ってことで」
俺がそういうも女は折れた剣を気にすることもなく、ただ悔しがっていた。
「結局ダメなのか! ずっとこのスキルを磨き、これなら貴様を殺れると思ったのに! 人間状態の貴様もやれず、何が復讐か!」
「まぁ、そういうな。さすがに俺はまだ無理だが、今のお前なら下級悪魔くらいなら勝てるだろう。少しは喜んだらどうだ?」
「スキルすら持たない悪魔も倒せないのに、そんなことができるものか!」
そう考えることもできるか。
「おいおい、ちょっと俺を見くびり過ぎじゃないか? 俺は確かに第一段階の悪魔だが、そんじょそこらの悪魔よりは全然強いぜ。変身してソードマンの上位ツリーを身につけられる悪魔を知っているのか?」
俺がそういうと女はすこし納得したようだった。
「たしかに……そんなのは聞いたこともない」
そうだろそうだろ。わはは。もっと敬うがいい。
「なら……私はいつか本当に私の両親を殺したあの強大な悪魔を倒すことができるのか……?」
その言葉を聞いて俺は落胆せざるを得なかった。
「やはり……復讐をするのか?」
「当り前だ! 私が何のために今まで頑張ってきたと思っている!」
俺が聞くと、女は即答した。
悪魔に肉身は存在しない。だから完全に女の感情を理解することはできない。しかし試みることくらいは出来るだろう。
大切な人が殺されることへの憎しみ、何も出来なかったことへの自責。仮に俺の大切な人が目の前で殺されれば俺はどう感じるだろうか。
頭の中で三人の女性を思い浮かべ、それを悪魔に殺される所をイメージした。そしてそれを黙って見ている自分。なるほど。涌き上がる感情を抑え、一人納得した。
しかし俺は目の前のこの女とは違う。俺はそんなことはさせない。そのために俺は強くなる。
それにしても、俺は負けたのだろうな。この二週間、俺は何か特別なことをすることは出来なかった。こいつの心は犯人悪魔と力強い鎖で繋がれたままだ。
やはり恐怖で繋がれた関係がより強い恐怖で塗り返さなければいけなかったのだ。俺はそれだけの力がなかった。当然と言えば当然だ。俺は公都で悪魔のツリーを上げる。
もし縁があるのなら自ずと機会は巡ってくるだろう。
「なら勝手にしろ。俺が付き合ってやれるのはここまでだ。傭兵団のことが済んだのなら悪魔殺しにでもなればいい。真っ先に俺の首を切りに来ても良いぞ?」
俺はそう言いながら近くの木の下に置いた一本の直剣を手に取り、剣身を鞘から抜いてからそれを女に投げた。こいつはレィディナから持ってきた例の剣だ。ソードマスターの姿になる時に外しておいたのだ。
俺に固有の武器は必要ない。公都では使いづらいし、管理するのが面倒だ。
「鞘は俺のもんだが、剣をやろう。こいつはなかなかの業物でな、お前にはこれが必要だろう。俺の首はこいつでもないとなかなか切れないぞ」
俺は冗談めかして言うが、女は特に気にした様子もなく剣に釘付けになっている。ソードマンとして才能を持つこの女はこの剣の凄さがわかるのかも知れない。
「な、なんのつもりだ。こんなものを何故私に……」
「さっきも言ったろ、お前にはそれが必要だ。だから俺以外の悪魔にやられんじゃねーぞ。おっと、公都に行くならそれを見せびらかすなよ、知られた名剣だからな」
女は剣を手に取り、それをまじまじと見つめる、静かに振動を伴ったそれは俺から見ても良いものに見える。
「か、感謝する……。だが貴様後悔することになるぞ、次会う時には絶対にその首切り取ってやるからな」
感謝の言葉をいう女の顔は葛藤に塗れていてどこか可笑しなものがあった。そういうのも悪くない。
「おお、そう言ってもらえるのなら剣をやったかいがあったってもんだ。しかしその言葉、プロポーズとして受け取ってもいいのか?」
背後で貴様! といきり立つ女を笑い飛ばし、俺は森の奥に向かって進んでいく。
これ以上もたもたしている時間はなかった。あとどのくらいの時間があるのか正確にはわからないし、ここから公都までまだ距離がある。だが今から全力で飛べばなんとかなるか。
そう思い副系統で悪魔を出すと、黒尽めとなった剣豪の姿で翼を生やし、ずんずん森の奥に突き進んでいった。
それにしても公都か……。未だ知らぬ戦場に俺は体を震わせ、そう遠くない未来に思いを馳せた。