12話 あっぶねぇ
あっぶねぇ……。こいつ、なんて恐ろしいことしやがる。シエラが死んだら一巻の終わりじゃねぇか。ったく。
目の前の悪魔は大層な武器を持ってはいるが、それ以外で言えばそれほど強そうにも思えなかった。悪魔としてはな。少なくとも、昨日戦ったあの野郎よりは弱い、そう感じる。
だが、この傷付いたソードマンの体でどのくらい出来るか。いや、やらなくちゃあいけねぇ。それが、今の俺の全てだから。
後ろのシエラは未だに唖然としてるようだが、構っている暇はない。ソードマンの姿で来た以上、あまり関わりたくないという思いもある。
「よぉ、小娘なんざ放って置いて、俺と遊ぼうや」
「ほー、一介のソードマンでしかないお前が、俺の槍を止めるか」
その悪魔、今までの無感情な目を一変させ、こちらを見て興味深そうに表情を変えた。
「そのヘボ槍が何だって? てめぇだって下級悪魔のくせに勝手に人のこと貶してんじゃねぇぞ」
「下級悪魔か、確かにそうだな。だが、お前如き、俺に何が出来る。俺が何かしなくても、死にそうじゃないか」
重低音を呈したその声音とともに奴の目が光った気がした。
「あー、あー、聞えない聞えない。てめーだってどうせ悪魔が現われたって聞いて変身も解いて、慌てて飛び出して来たんだろうが! 間抜けにもほどがあるぜ!」
「ふふふ、ならばお前はどうなんだ? その傷付いた体で好き好んで悪魔である俺に殺されに来たわけでもあるまい」
悪魔は一旦区切り、思案顔になるとすぐさま「そうか」、と何かが分かった風に言うのだ。
「この中に、お前の女がいるのか」
悪魔は嗤った。
シエラは俺の後ろにいる。大丈夫だ。
だが、悪魔は俺から視線を外し、その横の奥にいる。とある女性の方を見て、またしても嗤い、走り出そうとする。
しまった! あいつの狙いはリイナさんか! そう思い立って俺も地面を蹴ると、横から重い一撃が横腹に入り、俺の体が吹き飛ぶ。
裏庭に続く扉を粉々に砕きながら出っ張っている井戸に打ち当たり、止まる。息が止まりそうになる。
慌てて血ヘドを吐き、息を整える。
くそっ、あいつ。さいっしょから俺が狙いだったのか。だめだ。体が思うように動かない。このままでは本当に死ぬ。
一撃だ。一撃で奴を仕留めなければ、俺はおろか、あの2人も命がないだろう。
悪魔ツリーにはできない。あの状態になるとついついやりすぎてしまうきらいがある。巻き添えで救うどころか殺ってしまうかもしれない。ある程度レベルが上がり、制御出来るまでは封印せざるをえない。
ソードマンだけでやらなきゃいけないが、なんとかするしかない。
悪魔である俺から大切なものを奪うことが、どういうことか、思い知らせてやる!
奴は動かず、じっと俺を見ている。
俺は体を起こし、右手で剣を確り握る。
――全力だ。
地面を強く蹴り、奴に向かって走り、スキルを発動させた。
――剣突。
剣尖が青白い光を纏い、奴に向かっていく。
――黒壁
ギーンという金属音が発せられ、俺の渾身の突きを、奴は槍を横にしてその柄で防いだ。正確には槍を横にすることによってその先に発生する一面の黒い壁によって阻まれた。と言った方が正しいだろうか。
くそが。やっぱりダメか。だが、当然の事とも言える。俺がスキルを使えるのならば、奴もスキルが使えるのだ。レベル1でスキルがなかった俺とは違う。
俺は、ここで終わるのか? この攻撃が終われば奴がまた反撃をするだろう。そうすれば俺は死ぬ。それじゃあダメだ。ダメだ。終わらせるな。ここで終わらせてはいけない。ここで勝たなきゃいけないんだ! 体中の力を集める。俺の中にある全てのものをこの一撃に宿せ!
「うおおおぉぉぉ!」
途端に俺の体に力が漲り、剣尖が壁を貫通する。
「ああああああぁぁぁぁぁ!」
俺の剣は壁、柄を貫通し、奴の右胸を吹飛ばした。だが、奴の体は動いていない。奴の右胸に大きな風穴が空いていた。奴は尚、嗤っていた。
ど、どういうことだ。悪魔とは言え右胸を吹き飛ばされて生きていられるはずがない。これじゃあ、まるで王ではないか。
「何を驚いているんだ。俺達は悪魔だろう。人間とは造りからして違う。そうだろ? 悪魔君」
ば、ばかな。何故ばれた。これではあの2人にもばれてしまう。
「な、何を言っているんだ、お前。俺は悪魔なんかじゃ――」
「自分の目を見てみたらどうなんだ?」
奴は俺の言葉を遮ってそう言う。
何が、あるっていうんだ。
俺は腰から何時ぞやに渡された銅鏡で自分の顔を覗き込み、目を見開いた。
右目が、白目も瞳の区別もなく、黒く塗り潰されていた。これはまさしく、悪魔の眼。言われてみれば、右目から見た世界はすべてが赤く染まって見える。
そしてそのままツリーを確認する。デーモンツリーが、ソードマンのツリーを光らせたまま右半分輝いている。
「そして、自分の武器を見てみろ」
な、なんだ。こいつ何をさっきから。まさか、俺が確認する時に攻撃を? だが、奴はもうすでに体を再生し終えている。それにさっきのも本気を出したとは考えられない。やる気ならいつだって出来たはずだ。
気にしても仕方がないので俺は自身の持っている剣に目をやった。
シエラに渡された、白銀であったはずの剣が、奴の槍と同じく、漆黒に塗り潰され、ただならぬ雰囲気を醸し出している。
さらに自分の中に着ている服を見ると同じく黒に染められ、コートでさえ、その域を脱していなかった。
髪の色も相まって他人から見れば、さぞ黒尽めの男に見えるだろう。
だが、他の体の特長は変わらず『ソードマン』のものであることから、一つの答えに辿り着く。
メインツリーがソードマンで、サブツリーがデーモン。右目だけ黒くなっているのはデーモンツリーの光り方から考えても、半分だけ発動していると考えるのが妥当だろう。
完全に発動するには俺の宣言が必要なのであろう。しかし、こういうやり方もあるというのか。ならば、俺は、まだ戦える気がする。いや、戦わねばならないのだ。
俺は状況を整理し終え、奴と向き直る。奴はもう戦う気がないようで、戦闘体勢を解いていた。
こいつ、なんなんだ。今までも散々俺を攻撃するタイミングがあったはずだ。何をしている。
「おい、何をしている。とっとと始めようぜ。悪魔同士の戦いはいつだって、片方が死ぬまでやりあうものだろう?」
俺がそういうと奴は何処吹く風といった風で俺に返してくる。
「その必要は無い。お前は興味深い。アジーラ様にご報告すればさぞ喜ばれることだろう。そこの2人、お前の女だったな。そんなに恐い顔をするな。お前が望むのなら、見逃してやってもいいぞ」
奴は嗤う。そんなこと、誰が信じるか。俺がそうであるように、悪魔の言うことなど信じられるわけがない。ここで、仕留めなければならない。絶対に。
「ふざけるな! 戦え! そして死ね!」
俺は奴の所まで走り、斬り付ける。だが、その前に奴は黒い影とともに消え去ってしまった。あれは魔蹈。くそが! 下級悪魔じゃなかったのかあいつは!
空振りした俺はそのまま地面に転げ落ちる。体が、限界だった。
だが、俺は追わなければならない。奴が上に報告をすれば、もしかしたら大軍でくるかもしれない。最悪の場合、王が来るかも知れない。
だから、やらなくては! そうなる前に潰さなければいけない。
動け、動け、動け、動け。だが、俺の願いに反して、俺の足は一寸足りとも動こうとしなかった。
「クソッ」
王が来たら守れない。
「クソッ」
大軍で来ても、魔人が来ても守れない。
「クソがあああぁぁぁ!」
俺が叫ぶと、左横腹から血が吹きだし、俺の体は完全に動かなくなった。昨晩の傷が開いたのだろうか。
体が前に倒れる、だが、俺はただ黙ってそれを見ていることしかできなかった。
倒れる瞬間、泣きながら走ってくるシエラが見えた。
なに……やってんだよ。なに……泣いてんだよ。
全然……お前らしくねぇ。
でも、悪くねぇ……。
泣いてる顔も。
可愛い。
な。
体が地面を叩き、意識が途切れた。
――
体が、重い。
微睡の中にいても、俺の心は安まることがなかった。
俺は、どうしたんだっけ。
そうだ! 俺はあのあと倒れたのか。
重い目蓋を思いっきり開けた。
天井が見える。
ここは、2階の客室。宿屋だから部屋だけはあるわけだ。
俺は今布団の中にいて、シエラはそこに突っ伏して寝ている。看病をしてくれていたのか? 助けたとはいえ、ステリアムでない赤の他人に対して優しすぎないか? 俺が悪魔だってことも知っているはずだ。シエラは将来悪魔に騙されそうだ。あとで嫌というほどに悪魔がどういう存在であるかを言って聞かせないといけない。
俺はあのあと、どのくらい寝ていただろうか。
とにかく、早くここを出ねばならない。
悪魔も俺に向かってやって来るし。
あのクソ忌々しい支部長が嗅ぎつければ面倒極まりない。この町では恐らく本気を出した俺の邪魔が出来る奴はいないだろう。だが、そういうことでもあるまい。
そっと、気づかれないようにシエラを退かせてベッドから這い出る。体中に包帯が巻いてある。服も脱いで下着の状態になっていた。ツリーから与えられたこの下着は割といいもののようだ。装備一式もレベルが上がって品質が上がっている。横にあった服を着て、部屋にある装備を回収し、窓を目指した。ここから出れば裏庭のはず、脱出には格好の場所だ。
体が重い。思うように動かない。足を引きずっていく。
「あ、あの……」
後ろからシエラが話しかけてきた。起してしまっただろうか。
「起したか? ベッドを貸してくれてありがとうな」
「いえ、私達こそ助けてくれて、ありがとうございます!」
「あぁ、それなら別にいい。ただの気まぐれだ。それじゃあ、俺はもう行くぞ」
窓の縁に辿り付いた俺は登ろうとする。
「ダメです! また傷が開いてしまいますよ……」
「もう知ってると思うが、俺は悪魔だ。このくらいどうってことはない。それと、あまり悪魔に優しくするな、死ぬぞ」
俺が声を低くして脅してやると、シエラはビクッと体を震わせ、目をリスのように回して、別の話題をふった。
「あの……腰にあった鏡と剣、私がある男に渡したものに似てるんですが、何か知ってますか? 彼、昨日から帰ってこなくて心配してるんです」
今度は俺が体を震わせた。
しまった。そういう落し穴があったか。このままではばれかねない。どうしたものか……。少し逡巡してから意を決してこう言った。
「あぁ、ステリアムか。奴とは友達でな、昨晩奴を森で救ったんだが、これらはその時に貸してもらったんだ。それと、あいつも俺と同じように酷いケガをしている。今はそいつを構ってやるといい。あと、この鏡、せっかくだから返しておいてくれ、大層大事にしていたからな。この剣もここに置いていくよ」
俺は先程突っ込んだ腰から鏡を取り出し、シエラに投げ、右手の剣も横の壁に掛ける。
「んじゃ、もういくぜ」
「ありがとうございますって……ここ二階ですけど!」
「このくらい問題ない……って体おもっ」
窓からかっこよく飛び降りようとした俺は、あまりの体に重さにままならず、そのまま頭を下に向けたまま落ちていくのであった。
御疲れ様でした。