11話 まさか
今、俺は町の中にいる。あれから俺は町まで全力で走り、ウッドカッターの姿で町の中に入った。既に朝を迎えている。
入ったはいいものの、俺は路頭に迷い、狭い裏路地で壁を背に座っている。真っ直ぐ宿に戻ればいいのかもしれないが、この姿のまま戻ればまた傷のことで心配をさせる。前回もそうだったし、連続でこのざまでは男の估券にも関わる。門番は誤魔化せてもあの2人は無理だろう。だが、このまま帰らないのがやはり一番心配をさせるか。よし、一休みしたら真っ直ぐ帰ろう。
俺は腰にある鏡を取り出した。あの三人との戦いで俺の系統群は結構悪くない成長を遂げた。
戦っているときは気にしてる余裕はなかったが、三つの新しいツリーを手に入れた。配下からはウオーリア、例の男からはホーリーナイトと、ソードマンの上位ツリーであるソードマスターだ。うち2人のソードマンツリーも吸収して俺のソードマンツリーもレベル4まで上がり、スキルも覚えられた。
だが時間がなく、新しく手に入ったツリーはまだチェンジスキルも取得していないし、レベルも1であることから戦闘が起こったとしてもソードマンを装備することになるだろう。
鏡で見えるツリーの並びはこうだ。
今までと同じように横にウッドカッター、ソードマン、ウォーリア、スカウト、ホーリーナイトが並び、新しくソードマンの真上に繋がる感じでソードマスター。そのまた上にデーモンが並んでいる。随分と横に広がってしまったが、念じるだけで見え方が変わるので問題はないはずだ。
一列目が通常ツリーとしてその上、2列目がアドバンスドツリー、さらにその上は他種族ツリーといったところか。
先の戦いでやったように、恐らくサブツリーが選択できるのはデーモン状態だけで、装備出来るのは一番上ではなく、その下のヒューマンツリーなのだろう。
サブツリーを装備することでそのツリーの能力を一部引継ぎ、そのツリーの武器を装備出来るのではないか。
悪魔ツリーを手に入れて多少の記憶を取り戻したが、完全には程遠い。サブツリーなどの操作は巨大化やツリーへの呼びかけと同じように、なんとなくしかわからない。
しかし、悪魔か。薄々は気づいていたものの、これからこれからどうしたものか。俺は恐れている。他の人などどうでもいい。あの3人。俺の心に訴えかけるあの3人は、俺が悪魔だと知ればどうするだろう。化け物だと蔑み、悪魔だと恐れ、逃げ去ってしまうだろうか。俺は……また一人になるのか……?
ここまで考えてふと、周りが大分騒々しくなってきたことに気づく。
ここは裏路地で静かなであるはずだが、余程騒いでいるのだろうか。
立ち上がり、表通りに出る。
「あ、悪魔だ! 悪魔がいるぞ! みんな逃げろ!」
誰かが叫んだ。そしてそれに続く悲鳴。
騒ぎすぎだろう。騒ぎになるのは予想していた。だが、悪魔が出たのは東門のシルディスの森の奥深くで、被害が出たのは町の住人ではない公国の男三人だ。警戒するのは当然としてもこの騒ぎはやりすぎではないだろうか。
肩を竦ませているとどこかで見たような一陣の黒い風が吹く。
その気配に俺は全身を硬直させ、目を見開き、背に汗を溢れさせた。
まさか、本当に……?
まずい!
俺は突如としてやってきた猛烈な嫌な予感に、ケガのことなど忘れて必死になって走った。
―――
――
―
ふと、外の騒がしい声で目が覚めた。私は1階のテーブルで寝てしまっていた。
昨日はずっと待っていたが、結局あいつは帰って来なかった。別に待つ必要なんて無かったけど、でも、なんとなく心配だった。
対魔連の仕事は危ないものばかりだ。先輩勇士達が一緒にいるけど万が一のこともある。昨日渡した剣は役に立っただろうか。
でも、あいつのことだから、真面目に仕事なんてしていないのだろう。もう、私を心配させて置いて今頃どこをほっつき歩いてるのよ! 腹が立ってきた! 帰ってきたら一発ぶん殴ってやるんだから!
立ち上がり、顔を洗おうとするが、外の騒ぎが段々と大きくなってきていることが気にかかった。
一体何なのだろうか。通りへ続く扉を開けて様子を見ようと歩き出すと、後ろから弱々しい声がかかる。お母さんだ。
「ダメよ、行ってはダメ。絶対にダメ……」
お母さんはダメを三回も言って必死に止めようとしている。その顔色は真っ青になっていて、全身を震わせていた。
こんなお母さんは生まれて一度も見たことがなかった。いつも笑顔で頼もしくて、私を見守っていてくれた。それなのに……。
「お母さんどうしたの!? どこか怪我した? それとも病気? 速く教会の人に見てもらいましょう!」
「い、いや、ダメ、大丈夫だから」
そう言って階段の上で蹲り、膝を抱え、下を向き、震える姿は、まるで猛獣の巣の中に投げ込まれた子兎のようではないか。
私は気が気でなかった。どうすればいいのだろうか。今の私はお母さんに何がしてあげられるのだろう。
私はその喧騒などとうに忘れ、横に座り、お母さんの震える体を抱き締めた。せめて、今私に出来ることをしよう。
「お母さん、私はどこにもいかないよ」
暫しの間、そうしていた。しかし、お母さんの震えは止まる気配がない。むしろより激しく震えだしているようにすら感じられる。
やはり教会の人に見てもらった方が良いのではないか、そう考え始めた時、宿の扉が荒々しく開け放たれた。
そして入ってきた一陣の黒い風を浴びると私は突如としてやってきた途轍も無い感情にうちひしがれた。
恐怖だ。まだ扉を開けた本人を見てすらいないのに、私の体は勝手に震えだし、思考すらもぎ取ろうとする。
ただひたすらに恐かった。あまりの恐怖に自身の死を幻視する。
だが、何時までにこうしてはいられない。隣には母がいる。その正体を確認しなければいけない。何かがあるなら私が守らなくてはいけないのだ。
カタカタと震えが治まらない頭を動かしてその扉の方に視線を向ける。
そして――私は見た。
それは全身が闇に塗れ、ゴツゴツとした四肢からは想像もできないほどの力を感じる。その右手に持った巨大な槍は、その先端から漆黒のオーラが発せられている。
見たことなどあるはずもない。たが、私は確信した。これが――悪魔か。
その悪魔、目からは一切の感情が見られず、まるで何かに操られた道具であるように私の横を見遣り、ゆったりとした足取りでこちらに近づいている。
ダメだ。あいつがこっちまでくれば、私達は死ぬ。私はともかく、隣に居るお母さんは死なせなくない。絶対に。私が、なんとかしなければ。
最後に母の既に白くなりそうな勢いの顔を見て、動かないはずの足を動かす。
私も一歩づつ、しっかりと足を動かす。途中で転けたりもするが、そんなこと、構っている暇などない。やらなくてはならないのだ。私が!
私は今――悪魔と対峙してる。ガタガタ大きく震える体、目、耳、手、足全部が私の今の内なる感情を表現する。
一体私に何が出来るのだろう。ここまで来た。それまではいい。では、これからは? 私はどうする……どうなる?
目の前の悪魔は相も変わらず無感情の目をしており、違うことがあるとすればそれは、さっきお母さんを見ていたのが今、目の前にいる私を見ている。それだけのことだ。
私は悪魔の目を見て、あぁ、私は死ぬのか。結局私は何も出来ないのだ。たった一人の肉身であるお母さんを守ることすら出来ないのだ。そんな諦観すら催していた。
今頃になってさっきお母さんが言っていた言葉が身に滲みてわかる。お母さんは察知していたのか。ずっと前から。
目の前の悪魔が槍を持った右手を引いた。
い、いやだ。やだやだ。死にたくないよ。今さらになって生にすがる自分を情けなく思うのと同時に、その爆発的な感情は瞬く間に私の全部を支配した。
最後に悪魔が槍を突き出した所を見て、私は床に崩れ落ち、目を瞑った。そして一人の男の姿を脳裏に思い浮かべ、心の中で叫んだ。
――助けて、ステム。
突如として轟音が轟き、その直後にカーン、という金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。私を襲いかかったであろう槍の突きはやってこない。
まさか。
まさか。
私は夢でも見ているのだろう。ステムは一晩帰ってこなかった。それに、いくら体がでかくて力があっても、あの悪魔には敵いそうにない。
でも、もしかしたら、本当に……?
目蓋に閉ざされた真っ暗の視界の中、激しく動く私の思考を整理していた。
ダメ、見なくっちゃ。もし、本当に助けてくれた人がいるのなら、例えそれがステムでなくとも、私はこの目でしっかりと見なくてはならない。そう思って目蓋を開いていく。
――え……だれ?
私の前で私を守るようにして立ちはだかり、剣で悪魔の槍を防いでいたのは、膝まである長い青のコートを羽織った――青年だった。
知らない人のはずなのに……ステムと同じで妙に安心感を私に与えてくれる。
この人は一体……誰なのだろう。
御疲れ様でした。