その断崖から形のない衝動を放て
描きたいものがある
何かはっきりしない、形のはっきりしないものが
どんなに線をかいても、どんな色を付けても描き表せない
ノート何冊描きつぶしてもまだ足りない 描きたい、描いていたい
どうやって表現すればいい?
でも 自分には才能はない センスだってない
一番足りないのは
「芸術系は本当に一握りだからね、それで生きていけるのは」
ちらりと内容を見た山田女史が取り繕った笑顔で進路調査の紙を返してきた。
そのまま教壇に戻してやると、困ったように俺の目を見やる。
「考え直したら。貴方の成績なら普通のもっといいところ受けても余裕でしょ」
「はぁ」
「ご両親は?」
「……」
了解とっているように見えますでしょうか?
一応、世間並みに理解がある親だけど堅いところもある人達だから、反対するに決まってる。子供には堅実な未来のある無難な進路へ行ってほしいだろう。期待している職種だって知ってる。知っているからこそ。
俺の表情を見て察したのだろう、担任は「確かに上手いと思うけど、まだ2年だしよく考えなさい」と話を切り上げ、最後にこう付け加えた。
「先生は、人生棒に振るのは勧められないわ」
うん、そだよな先生。俺だってそう思うよ。
先生が教室を出ていくと、先ほどのやり取りを固唾をのんで見守っていた級友達が一斉によってきた。
「栗谷、美術系行くの?」
「絵上手いの知ってたけど、ちょっと意外」
「いいじゃんねー。夢があるってカッコいいと思うけどなー」
「お前なら絶対大丈夫だって」
嬉しい事を言ってくれる。けどなんか違う。
そんなキラキラした話じゃないんだ。本気は本気だけど将来への本気じゃない。
それで生計を立てる、っていう感覚がないのかもしれない。
成功とか名声とかどうでもいいし金が手に入るとも思わない。
ただ色々な表現方法を学んで、描きたいものを表せる何かを見つけられたらそれでいいっていう単純な『欲』に執着していて、それだけが理由だから……。
それだけで、選んでいいのか?
ただ恰好をつけているだけじゃないのか?
本当に、裏切ってまで進むべき道なのか?
軽すぎやしないだろうか?
後悔したくない反面、別の後悔することを恐れている。
「青春だねぇ」
まったりした喋り口が耳に障る。
空は空間だ。草や地面と違ってどこかに『色』が張り付いているわけじゃない。
だから人の手で一番表現が難しいのは空だと思う。水の方がっていう話は知っているけれど、空はどうやっても触れない。空気の層の厚さやそこに横たわる風……どう描けばそこにあるように伝わるんだろう?
今日のは、水彩、濃淡の違う青、ピンクそれに薄く黄緑を加えたらよさそうだ。雲一つなくても画面構成上、加える場合がある。空はあくまで空間だから。でも今日のこれには入れたくないな……。
なんてことを考えていたから、視界に三町が入ってきたときはやや反応が遅れた。
「……芝生で昼寝が青春か」
「悩み多き若者のごろ寝。青春ものだとよくあるよ」
「悩みなんか」
「学年2位が美術系目指してるって噂になってる。応援半分もったいない半分」
「なんだよ……皆ヒマだな」
三町はのんびり笑いながら、隣に座った。それで俺もしぶしぶ起き上がる。
昔からの付合いで、けど親友ってほどじゃない。けれど何か悩みの気配があると必ずやってくる。もちろん俺だけじゃなく他の奴にも。
性分がおせっかい焼きなんだ。温和な雰囲気のくせに中々はっきり言ってくれるから、頭の中を整理するのにも便利な奴だ。
「本当に熱中できるもの、見つけられる奴は少ないからねぇ」
「そんなことないだろ?お前だって、剣道は?」
三町の声が意外なほど寂しく聞こえて、俺は慌てて問い返した。
こいつが部長をやってる剣道部は幽霊抜かせばたった2人しかいないけど、いつも熱心に練習してるし実力も確かだ。大体その幽霊だって、部を存続させるために三町自身が駆けずり回って集めた結果だし、実際俺だって声をかけられた(未経験者なのにだ)だから相当剣道が好きなのかと思っていたのだけど。
当の本人はからりと笑う。
「好きだよ。でも寝食忘れてってほどじゃないねぇ。簡単に他の事優先するし、1~2週間竹刀に触んなくても平気だもん。こういうの多分、趣味っていう」
「趣味か……」
「栗谷のは、生命線って感じだよねぇ。昔っから、いつもこんなノート持って。
ただ持ってるだけの時もあれば、授業中先生に怒鳴られても気にせずに描いている時もあるし。紙も鉛筆もないとこ行ったら死んじゃうんじゃない?」
奴は俺の傍らにあったノートを断りもなくペラペラめくり出した。
あ、これ平田先生でしょう。輪郭だけでもわかるよ、あのセンセ顔個性あるからねぇ。
これシカ……え、なに、どこで見たの。
先週、この辺まで降りてきてた。なんで見たってわかんだよ。
これいやに丁寧に描いてるしねぇ。あぁ、これなんか……。
「どう思う?」
更にノートの話を続ける三町を遮って、俺は尋ねた。
「何」
「普通は将来の事とか考えて決めるだろ?資格とか就職とか。
好みだけで選ぶのは変か?正直、俺はこれで生きていけるなんて思ってない。
なら、趣味にしておいて真面目に進学すべき?」
三町は一瞬ぽかんと俺の顔を見ていたが、やがてクスクス笑い出した。
「……なぁんだ、そこかぁ」
「何」
「もっと前段階の、才能のあるなしの話かと思った」
「どんだけ自信過剰に見えんだよ、俺は」
「うーんそうだなぁ……栗谷さぁ器用じゃん、立ち回りが」
「立ち回りかよ」
「そ。駄目な時の保険も考える奴でしょう?
どっちの道を選んでも結局同じ所に着くのなら、思いっきりやった結果でそうなった方が、楽なんじゃないかなぁ?気分的に、ね」
失敗前途で話をするのはこいつらしい。
けれど、同じ後押しでもキラキラした前向きな話より、確率の高いダメな可能性の話をされた方が、具体性が増す。
結局、同じところ、か。
「他人事だから言えるってのもあるけどねぇ。堅実ってのもありだと思うよ?でもお前の場合」
「趣味にしてもきっと浸食する」
昼休み終了のチャイムが鳴って、俺たち2人は立ち上がり制服に着いた土を落とした。午後からは英語に数学。中々につらい。そうして家に帰ったら俺は話をしなければ。
表面だけ乾いた泥沼の道か。少しづつ溶解しやがて砕けるコンクリの道か。
でもそんなものは、備え次第でどうとでも進めるだろう。
昔から 描きたいものがある
何かはっきりしない、形のはっきりしないものが
描きたい、描いていたい 一体どうやってそれを表現すればいい?
自分には才能はない センスだってない
でも 一番必要なのは 覚悟
お読みくださりありがとうございます。
心が決まっていても、やっぱり不安が残るもの。
迷うのは本気でない、わけないじゃない。