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希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―  作者: 篠宮 楓


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吟の帰還……の前準備 雪の計画遂行・1【商店街夏祭り企画】

饕餮さんちの籐子さんに、お料理を頼む回です^^

饕餮さん、ご協力ありがとうございました!!

それは、唐突な吟の電話で始まった。


燗も醸も配達で出ている時に、雪の携帯にかかってきた一本の電話。相手先の名前が吟であることを確認して、雪は通話ボタンを押した。


「吟ちゃん?」

[母さん、久しぶり]

女性にしては低めのハスキーボイスが、携帯を通じて聞こえてくる。

あまりかけてこない吟の電話に、雪のこころは弾んだ。

「久しぶりね、どうかしたの?」

普段かけてこない電話なのだから、何か用事があるのだろう。

そう考えながら問いかければ、案の定、是の答えが返ってきた。

[今度の夏祭りの前の日に、そっち帰ろうと思って]

「まぁ、嬉しい電話だわ!」

今までもお盆の時期にたまに顔を出してはいたけれど、ほとんど自宅には寄らずに帰っていた。

そんな彼女が家に来るというのだ、喜ばない親はいない。

[でさ、もう一人連れてくから]

「もう一人? お友達?」

頭の中ではすでに夕飯に何を作って吟を迎えようかと考え始めた雪は、その次の言葉で目をまん丸く見開いた。

[彼氏、結婚決めたんだ。あのくそ親父のせいで、散々邪魔されてきたけどさ、今度はいつも反対されてた原因クリアしてるから、文句言わせねぇ]


「だから、当日まで親父には内緒な」、と男前な言葉を残して吟の電話は切れた。



呆気にとられた雪はじわじわと嬉しさが膨らんで、思わずその場で跳びはねた。







篠宮酒店は、ここ希望が丘商店街の中央広場に面した場所に店を構えてだいぶ長い。


篠宮酒店店主、燗の嫁である雪は、まだ明るい空を見上げながら先ほどかかってきた吟の電話の内容を反芻していた。


雪が燗と知り合ってここに挨拶に来た時には、まだ先々代に当たる祖父の酔さんが現役で店を切り盛りしていた。

初めて名前を聞いた時、燗さんもそうだったけれど祖父の酔さんにも少し驚かされた。

雅号とかならあるだろうけれど、本名に篠宮 酔って名前を付けるなんて。

ちなみに義父様は酩さん。

(すい)(めい)(かん)、そして娘の(ぎん)に息子の(じょう)

気持ちは分かるけど、全てにお酒に関する名前を付けるのってどうかと思ったりもするわ。


だから、吟ちゃんが――



「母さん、配達出てくる」


考え事をしていた雪は、カブに荷物を括り付けていた醸に声を掛けられてはっと我に返った。

そんな雪を不思議そうに見ながら、醸はカブに乗って配達へと出かけて行った。

雪はその姿を見送りながら、相手の人はどんな人かしら……と思考をシフトさせていった。



何が好きかしら。お料理は、お祝い事だから籐子さんちに頼まなきゃ。

雪はいつもと同じように店先で掃除をしながら、浮き浮きしながら吟が結婚相手を連れてくる日の事を考えていた。

お祝いだからお刺身と、吟ちゃんの大好きな天ぷらは必須よね。

あとは……

浮き上がってきた気持ちが、少し落ち込む。


「塩辛……かな」


ぽつり、呟く。

燗は楽しいことや嫌なこと、感情の起伏が激しい時には必ず塩辛をアテにして日本酒を飲む。

嬉しければ笑って喜びながら、悲しければ黙って黙々と。

今回の事がどちらになるかわからないけれど、絶対に食べたいと思うから。

「おぅ、雪。帰ったぞー」

裏庭から直接入ってこれるガラス戸から、燗が入ってくる。

配達に行っていた燗は、裏の倉庫にある駐車場に軽トラを置いてきたらしい。

雪はほわりと笑って、おかえりなさいと声をかけた。

燗は機嫌がいいらしく、ふんふんと鼻歌を歌いながら居間に続く上り口に腰かける。

「今日はやっこ豆腐が食いてなぁ」

首に掛けたタオルで汗を拭く燗の言葉に、雪はそうね……と頷いた。

「なら、篠原さんちで買ってこようかしら。ちょっと出てきてもいい?」

「あぁ、頼まぁ。んじゃ、雪が帰ったら辛口の酒でも冷やしておくかな」

舌なめずりでもしそうなくらい口元を緩めて、日本酒を眺め始めた燗を置いて店を出た。

八月に入って、気温はどんどん上昇している。少し貧血気味の雪は、一瞬くらりと眩暈に襲われたけれどそれを悟られないよう何でもないふりをして歩き出す。

曲がる時に視線だけ店に向ければ、日本酒の瓶を手にしている燗が視界に映った。


……気づかれなかったみたい


その事にほっとしながら、雪はいつもより遅い歩みで近くの篠原豆腐店へと向かった。


大したことがないのに、燗に知られるといろいろと煩いのだ。燗自身が風邪も逃げ出す健康体を持っているからか、立ちくらみ程度でも病院に担ぎ込もうとする。

「……過保護っていうより、未知の領域なんでしょうね」

病気になるってことが。


そういえばお祖父さんの酔さんが倒れた時も、直前まで元気にビールケースを運んでいたわよね。

吟ちゃんは燗さんに似て元気だけれど、醸くんが私に似て子供の頃は病気がちだった。寝込む醸くんを見て、吟ちゃんが不思議がってたっけ。


――醸はなんで寝てんの? 風邪って何? どっか殴られたの?


吟ちゃんにとって、昼間寝てる=喧嘩で怪我したっていう方程式だったものね。

大きくなって二人とも元気になったから、本当に安心したけれど……。


そんなことを考えていたらいつの間にか篠原さんちの前にいて、どれだけボーっとしていたのかって内心笑ってしまった。

吟ちゃんが結婚するって決めたからか、どうも小さい頃の事ばかり考えちゃうわ。




冷奴用のお豆腐とお揚げを買って帰ろうと家の方を振り向いたら、ちょうど広場を渡っていく籐子さんの後ろ姿を見えて思わず走ろうとして……失敗した。

暑さのせいか、眩暈をまだ引きずっているらしい。

追いかけるのは諦めて、籐子さんの後ろ姿を見ながらゆっくりと歩きだす。

すると、籐子さんがうちに入っていくのが見えた。

「うちに用だったのね」

なら、出てきたところでお願いしようかしら。ちょうど、うちの横に葦簀のかかっている場所があるからそこなら燗さんに見られないし……。


本当はとうてつに直接お願いに行くべきだけれど、早く籐子さんに言いたいし!


逸る気持ち押さえながらゆっくりと足を進めて、葦簀のかかっている日除け地に辿り着く。燗との会話はあまりよく聞こえなかったけれど、どうやら特別なお酒の注文に来たみたいで入荷したら教えて欲しいという言葉だけ耳に入る。

そしてそう時間もかからずに、店から籐子が出てきた。


ゆっくりと歩き出した籐子の前へ口に一本指を当てて近づくと、彼女は不思議そうにしながらも足を止めてくれた。

そのまま燗から見えない場所まで2.3歩動いてから、籐子さんに向き直る。

燗に聞かれちゃいけないから、お願いする立場だというのにこそこそ話のようになってしまうのを申し訳なく思いながら、ひそめた声で籐子に話しかけた。


「籐子さん、私からもお願いがあるんだけど」

「何かしら」


事情を察してくれたようで、籐子は小さな声で応じてくれた。

内心お礼をいいながら、いつ燗が外に出てくるかわからないので口早に用件を伝える。

「実は、夏祭りの前日に吟が帰ってくるの。しかも、結婚相手をつれて」

「あら。それはおめでとう! もしかして燗さんにも内緒なの?」」

驚くよりも早くお祝いの言葉をもらって、吟の結婚を改めて実感した。じわりと嬉しさが溢れて、雪の鼓動が微かに早くなった。

「そうなの。でね、籐子さんにお願いしたいのは、その日に天ぷらとお刺身が五人前と、あと塩辛が欲しいのよ。でね、塩辛は……」


篠原さんちに行きながらも考えていた塩辛の量を伝えると、籐子は嬉しそうな表情で頷いてくれた。

ちょっと常識はずれかなと心配していた雪は、その笑顔につられるようにほわりと笑う。


「もちろんよ! なら、御目出度い事だし、天ぷらにもお刺身にもイカをいれる?」

「あら! ふふ、是非お願いするわ!」


イカ様のご利益がありますように!

そしてイカ様の塩辛が、燗さんの感情を宥めてくれますように!

イカの天ぷらを見て、醸くんがどんな反応を示すかそれも楽しみかもしれないわ。


どこか気持ちが浮上してきた雪は、にっこりと笑って籐子の言葉に頷いた。



よろしくお願いします、と雪が伝えると、籐子は「承りました」と笑ってとうてつへと帰って行った。





第一段階突破ね!

やったわ、吟ちゃん!!



握り拳を作りながらそう心の中で呼びかけている雪を、店先から顔を出した燗が不思議そうに見ていた。

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