第7話:夫にお願いしてみませう
このお話は、今後発表予定の『結婚と算盤~新妻の百貨店経営奮闘記~』の中の一部です。
シーズンなので、ちょっとだけ公開することにしました。
いずれ公開する本編(たぶん4月か5月)を思いながら読んでいただけると幸いです。全7話
「で? お願いってなんなの?」
「あ、はい。えっと……」
私は、まっすぐ彼の眼を見た。
「もう、勝手にいなくならないでください。私は……待つのは得意じゃないんです」
朔之介さんは、少しだけ黙り、そして椅子から立ち上がって私の前に立った。
「朔之介さんが岸田の家を守るために、日本中を奔走していることはわかっています。でも、私を、商売が一緒にできる相手って思ってくれとうとやったら、どこで何をしとるか教えて欲しいとです」
目の前の彼の表情が、なんとも言えない不思議な様相になる。
「分かった。これからはちゃんと知らせる。……僕も、待たせるのは好みじゃないんだ」
そう言うと、私の手を引いて優しく抱きしめた。
あまりに突然のことに、自分の手のやり場に困り、固まったまま心の中で悲鳴を上げていた。
「奈江に寂しい思いをさせていたんだな。すまなかった」
慌てて、彼の胸に手を置いて、距離を取る。
「さ、寂しいとか、そういうのじゃなくて! でも、やっぱり、どこにおるかわからんと心配するじゃないですか!一応、夫婦ですけん」
叫ぶようにそう言いながら、耳を通り越して、恥ずかしさで頭から湯気が出そうだった。
「そうか、僕のことをそんなに思ってくれているなんて、嬉しくてたまらないな」
目の前のニヤニヤとした表情からは、私のこんな姿を面白がっているようすが感じられた。
――やっぱり朔之介さんは読めん人だ
「これからは、出先から極力便りを出すよ」
そして、妙に優しいその声が、すでに高鳴りすぎて音が聞こえそうになっている心臓に、さらに激しく矢を打ってしまう。
◇◇◇
店の外へ出ると、百貨店の麒麟像が、夜の街灯に照らされて青く光っていた。朔之介さんが、私の横に立つ。
「麒麟。好きなんだってね」
「好きです。いい国にだけ富をもたらす瑞獣やけん」
「富が好き?」
「富そのものより、富が回る仕組みが好き......なんやと思います」
朔之介さんが、口に手を当てて抑えきれず、声を出して笑った。
「いいね。ますます、俺の妻らしい」
私は、ふと彼の手元を見る。手袋をしていない指先が、冷えて赤い。
――冷たそう。手を取ってもよかやろうか
考えた瞬間に、朔之介さんの方が先に動いた。
彼が、私の手を掴むのではなく、そっと掌を差し出して、私に選ぶ余地をくれる。
じっと見つめた後、そっと、その掌に自分の手を置いた。
触れた瞬間、冷たさよりも、確かさが伝わる。
私は、手を繋いだまま、朔之介さんを見上げた。
「バレンタインは、来年もやります。もっと上手に。もっと売れるようにできると思う」
「じゃあ、来年も、俺にチョコを作ってくれるってこと?」
「それは、時間があって……朔之介さんが一緒におったらです」
再び、朔之介さんが声を立てて笑った。
私は、麒麟の宝珠を見る。宝珠は、誰の手にも渡らず、ただそこにある。
けれど触れた者に、希望を渡す。
「商いって損得のあるものですけど、夫婦の商いってお互いに補いあうから、損も得も無しですね」
朔之介さんは、笑いを収めて、静かに頷いた。
「そうだね。夫婦って、商売のお手本かもしれないね。足りない物を補い合うって。いい商売だ」
「はい。大変、いい商いだと思います」
朔之介さんが私の手を軽く握り返した。握り返す力が、まるで、商売の契約印みたいだ。
味気ないような、色っぽさもないような会話だけれど、互いの根底にある気持ちは深く繋がり合っているように思える。
東京の夜は冷たい。でも、隣にいるこの人と立っていると、その冷たささえ糧にできそうな、そんな気持ちが沸いて来る。
来年も、再来年も――ここで、この人とこんな話をしていたい。
そんな甘い気持ちが、じんわりと胸の奥に染み渡っていた。
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