第5話:夫に話をしてみませう
このお話は、今後発表予定の『結婚と算盤~新妻の百貨店経営奮闘記~』の中の一部です。
シーズンなので、ちょっとだけ公開することにしました。
いずれ公開する本編(たぶん4月か5月)を思いながら読んでいただけると幸いです。全7話
夕方。売り場の熱が落ち着き、窓の外の空が群青に沈み始めた頃。
私は社長室に戻り、机の引き出しを開けた。そこに、小さな紙箱がある。
昨夜、台所でトメさんと梅に手伝って貰って作った“手作りチョコレエト”だ。
形は不格好。丸い粒にしたつもりが、亥の子餅みたいになっている。
「初めてにしては上出来ですよ、奥さま」
とトメさんは褒めて(慰めて?)くれた。
味はたぶん悪くない。舶来のカカオに、ほんの少しだけ和の香り――梅が「入れたら案外いけます」と言った黒蜜を一滴。
あまりに不格好な奴だけ3人で味見したけど、うん、結構良かった。
「うーん。渡せるやろうか」
口に出すと、急に足元が頼りなくなる。
昼間、あんな風に記者に啖呵を切ったけど……本当は商売と愛やら恋やらは全然違う。
商談なら、どんな人と対峙しても怖くない。相手の目を見て勝負ができる。損得も計算できる。
でも、こういう気持ちは損得じゃない、と思う。
扉の向こうで、軽い靴音がした。
津角井さんが、一度咳払いをしてから入ってくる。その後ろに、彼が立っていた。
仕立ての良いスーツを美しく着こなしている。
目元だけが涼しく、口元は飄々として。
まるで、この世に出来ないことなんて、一つもないみたいな。
すべてに自信があって、何でも面白がれる人の表情だ。
私は、その姿から目を反らすことができないまま、息を止めた。
津角井さんが、深く頭を下げる。
「奥さま。旦那さまが、お見えでございます」
旦那さま。私の夫――岸田朔之介は、私を見て、少しだけ笑いを含んだ目を細めた。
「やあ、奈江。久しぶりだね、って言うべきかな」
低く良く通る耳に残る声。
「お正月ぶりですから。ご無沙汰いたしております」
彼は、私の返しに嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうだね。本当にご無沙汰してた」
彼は、悪びれもせずにそう言う。
「日本はね、狭いようで、案外広くて。あちこちに確認に行くと、そうおいそれと帰れなくてね」
「岸田の若殿様には、あちこちに家があって、不自由はしてないようで、何よりです」
少し前に、私に敵意のある役員が言っていた言葉が、脳裏に浮かんでしまって、つい、つまらない言葉を発してしまった。
なぜか、朔之介さんは、その言葉にさらに嬉しそうな顔をする。
「確かに。居心地のいい家が、いくつかあるんだよ。今度、奈江も一緒に行けるといいな」
いつの間にか、梅も津角井さんも社長室からいなくなっていて、部屋には2人きりだ。
彼は部屋を見回し、机の上の新聞の下書きや、売上表の束に目を止めた。
「今日の騒ぎを最初から見れなくて実に残念。君が考えたんだよね?」
「騒ぎって……」
「ほら、恋人たちが甘い菓子を贈り合うとかいう、素敵なフェアー」
朔之介さんの口角が上がる。
「まったく面白いね、君は。恋を商いにするとは」
私はカッと頬が熱くなった。
「違います。これはそんなのじゃなくて――」
「そうじゃないの?」
「……商い、です。百貨店の売上を上げるための、企画です」
恋なんてろくすっぽしたこともない。
そう言った感情を良く知りもしない自分が、偉そうに恋を語ったことが恥ずかしくなった。
朔之介さんは、私の胸の内を見抜いたように、椅子に腰掛けた。
「そっか。じゃあ、成果を聞こう。どう? 数字は? 見込みは?」
机の上の書類を手に取って、早口で売上を報告する。菓子売り場の客数、ついで買いの伸び、新聞露出の見込み。朔之介さんは、静かに聞きながら、時折、私の表情を見つめて頷いている。
報告が終わると、彼は軽く拍手した。
「素晴らしい。いや、予想以上だ。僕の妻は天才かな」
ほんの少しからかいを含んだ口調に、どこまでが本音だろうか、と思う。
新聞社の取材のメモを手に取って、それに見入っている。
「――奈江」
朔之介さんが、私に視線を戻した。
「幾志屋百貨店は、僕が君に上げられる最大の贈り物だったと思って。好きなように玩具にして、思い切りよく何でもやってみてくれ」
その言葉に何とも言えない思いが胸の奥から顔を出す。
「……しません」
そう小さく答える。
「玩具になんかせん。ちゃんと責任も取ります」
朔之介さんの目が、一瞬だけ真面目になった。
「……いいね。僕は、奈江のそういうところが大好きなんだ」
彼の「大好き」に、悔しいけれど胸が高鳴ってしまう。
「……お、贈り物のお返しもちゃんと考えています」
「そうなの? 楽しみだな。何を返してくれるの?」
このまま。甘い雰囲気になるのがなんだか嫌で、これからやってみたいと思っていることを、滔々(とうとう)と話し続けた。
売り子の制服の話。試食の話、能力のある女性の管理職への登用、などなど。
一気に話しすぎて、後半は息が切れてしまいそうだった。
朔之介さんは、そんな私の話を、時折頷いたり考え込んだりしながら、最後まで黙って聞いていた。
もし、このお話を好きだ!と思ったらイイねやブックマークを!
気になる、気に入ったと思ったらコメントや評価☆☆☆☆☆,をお願いします。
定期更新を心がけてます。ぜひブックマークを!大変喜びます♪




