第2話:バレンタインを知ってもらいませう
このお話は、今後発表予定の『結婚と算盤~新妻の百貨店経営奮闘記~』の中の一遍です。
ちょうどシーズンなので、ちょっと先走って公開することにしました。
いずれ公開する本編(たぶん4月か5月)を思いながら読んでいただけると幸いです。
百貨店の入口にある麒麟像の宝珠を撫でてから回転扉をくぐるのは、もう癖になった。
幾志屋百貨店の五階、社長室――その部屋に入ると、支配人の津角井さんが待っていた。
「奥さま。本日は何をなさるご相談で?」
その言い方が、いちいち丁寧なくせに「今度はどんな厄介ごとだ」に聞こえるのが不思議だ。
「津角井さん。バレンタインって知っとる?」
津角井さんの眉が、ほんの一分だけ跳ねた。すぐに取り繕って笑顔に戻す。
「……はあ。ばれん?でございますか。今度は版画でも仕入れて即売会でも?」
「違うよ。バレンタインって」
「……ばれんたい? 何か隠し事でいらっしゃいますか?私は会長に秘密を作ることは、けしていたしませんよ」
「ちーがーうー!セント・バレンタイン・デーって知っとる?」
「……は?」
津角井さんは、本当に「は?」という顔をした。男の人が、口に出さずとも丸く「は?」を作れるのを初めて見た。
「舶来の習慣なんやって。二月十四日に恋人同士が贈り物をする日らしい。西洋では、“チョコレエト”を贈るのが流行っとると」
私は雑誌を机に置き、指で見開きの写真を叩いた。
「これを、幾志屋でやりたい」
「……奥さま。恐れながら申し上げます。日本では、そのような流行は――」
「流行ってないから、やるとやろ。こういうんは、先に火をつけた店が勝つ。そげん話を考えるんは、津角井さんの方が得意やろ?」
津角井さんは口を閉じた。否定ではなく、計算を始めた顔だ。商人の顔。
思わず、その空気に私の口が緩む。
“そうそう、乗ってきて!” 私は畳みかける。
「狙いは三つ。ひとつ、舶来菓子売り場の強化。ふたつ、若い婦人客の来店理由を増やす。みっつ、殿方を店に呼ぶ口実を作る」
「……男を、店に?」
「殿方は普段、百貨店に長居はしないでしょ? でも、贈り物を買うとなれば店に入る。女性に伴われてってのもあると思う。入ったら、ネクタイも、煙草入れも、帽子も目に入る。いつかの商いの種になるよ」
津角井さんの指が、机の上で静かに動いた。頭の中で帳簿をめくっている指だ。
「しかし奥さま。二月十四日など、突然言われましても……菓子職人も、仕入れも、宣伝も――」
「突然だから、祭りになるんじゃない。『舶来の新奇』は、突然が一番効くんやろ? 他の店にアイデアを取られることもないしね。宣伝は、新聞に書かせればいいやん」
「新聞、でございますか」
「記者は新しい話が好き。『東京で最初のバレンタイン・フェア』って見出し。いいと思うの」
津角井さんの表情に、初めて「面倒」ではなく「感嘆」が混じった。
よーしよしよし。
私は声の調子を、ほんの少しだけ柔らかくした。
「津角井さん。こないだの文芸展のこと書いてくれた新聞社の記者さんたち。どっかに名刺あったでしょ。あの人らに連絡つけておいて欲しい」
「あの時は、良いことばかりを書いてくれたわけではございませんでしたが……」
「良くも悪くも話題になることが先よ。どうせ、悪く書くのは店のことじゃなくて、私のことなんやし」
沈黙のあと、津角井さんは椅子から立ち、深く頭を下げた。
「あ、それと。この雑誌を私に贈って来た、舶来品係の庄野さんを呼んで。企画にはこの人にも参加してもらいたいの」
「承知しました」
私に洋雑誌を送ってきた舶来品係の庄野繭子という女性は、5つほど年上で横浜の生まれだと自己紹介をした。
「この間の文芸展から、舶来の品でも何かができないかと、うずうずしていたんです。奥さま……社長ならわかって下さる気がして」
彼女は、嬉しそうにそう話し始めた。
「子どもの時に、近所にアメリカ領事館があってそこの子どもと幼馴染だったんです。英語もその子にたくさん教えて貰って。チョコレエトを食べたのも、その子に貰ったのが初めてでした」
その幼馴染は、もう母国に帰ってしまったが、今でも文通をしているという。
その手紙を読ませてもらうことができて、おかげで、本場のバレンタインの情報を知ることができたし、どういう催しにするかのアイデアも固まった。
なにより、店の中に味方が増えたようで、なんだかすごく頼もしく感じた。
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