『酒場ノクターン亭の夜──そこだけ“まとも”な人々?』
リュミナスに連れられ、街の中心から少し外れた場所に建つ酒場へと向かった。
石畳の道を歩きながら、俺は何度もため息をつく。
「本当にここだけ“まとも”なんだろうな……?」
「うむ。ここ“ノクターン亭”は、魔力量の低い住人が集まる場所だ。結果として、テンションも低くなる」
「テンションが低い=まともってどうなの……」
「今の汝には最も必要な環境であろう?」
……否定できない。
◆
店の前に立つと、木製の看板には
《酒場 ノクターン亭》
と控えめな字体で書かれていた。
(おぉ……普通! こういうのでいいんだよ、こういうので!)
扉を開けると――
意外にも静かな空気が広がっていた。
客は多くない。
皆、ぼそぼそと会話をし、酒を片手に落ち着いた雰囲気を漂わせている。
ギルドのあの騒がしさとは真逆だ。
(なんだここ……癒やしじゃん……)
俺が一歩足を踏み入れたそのとき。
「……珍しいな。転生者かい?」
カウンター奥から、渋い声が聞こえた。
顔を上げると、
落ち着き払った中年の男──店主と思しき人物が、淡々とグラスを磨いていた。
短髪で無駄に渋い。
語尾が跳ねない。
ウィンクもしない。
語気も落ち着いている。
(……文明!)
「いらっしゃい。空いてる席に好きに座りな」
「あ、ありがとうございます……!」
感動して、思わず深く頭を下げてしまった。
◆
席に座ると、すぐに店主が水を置いてくれた。
「この世界、驚くことも多かったろう。ここじゃ肩の力を抜いていい」
「あぁ……そうします」
「酒は飲めるか?」
「まあ、多少なら……」
「じゃあ軽いのを出そう。……お前、緊張しすぎだ」
「……はい」
自然と力が抜けていく。
テーブルに影が差し、リュミナスが隣に腰を下ろした。
「ここの店主は、昔から人の心を読むわけでもないのに、妙に察しが良いのだ」
「へぇ……」
「お褒めいただき光栄だよ」
店主が苦笑しつつ、琥珀色の酒を俺の前に置く。
「……まぁ、客の表情を見てりゃ大体わかる。異世界から来た者は大抵、無理してるからな」
「……そんなにわかりやすいですか?」
「すぐわかる。俺も昔は、似たようなもんだった」
「え?」
店主はグラスを磨く手を止めないまま続ける。
「……俺も転生者だったよ。三十年前にな」
「!!」
「ただ、冒険は早々に諦めた。性に合わなかったからな。こっちの生活は、合うものだけ拾えばいい」
落ち着きすぎる声に、逆に胸が温かくなる。
(あ……この人、本物の“大人”だ)
◆
酒を飲みながら、店の様子をぼんやり眺める。
静かだが、決して陰気ではない。
客同士、控えめな声で会話し、互いに干渉しすぎず、距離感がちょうどいい。
(……なんか久しぶりだな、こういう空気)
すると、向かいの席で飲んでいた男が、俺に視線を向けてきた。
「なぁ、兄ちゃん」
「はい?」
「お前、転生者ってことは、カード作ってきたんだろ?」
「あぁ、まあ……」
「コメント欄に♡付いてただろ?」
「……うん、付いてた……」
「だよな……あれ初見はキツいよな……!」
男が自虐気味に笑うと、周囲の客も小さく笑った。
「俺もな、あの♡で精神的に三日は寝込んだ」
「俺は逆に燃えてきたがな……いや、嘘だ。つらかった」
「同士よ……」
妙な連帯感が生まれてしまう。
(なんだこの安心感……)
◆
しばらく談笑が続き、店主が改めて声をかけてきた。
「よし、そろそろ晩飯の時間だ。腹は空いてるか?」
「あ、はい」
「じゃあ……今日は“薬草煮込みスープ”がおすすめだ。落ち着く味だぞ」
「いただきます」
「ふふふ、汝の顔色もようやく戻ってきたな」
「……リュミナスさん、俺本当に疲れてたんだな」
「当然であろう。初日で“ラノベ文化”に三回も直撃しているのだぞ」
「言うな……刺さる……」
店主がクスリと笑い、
「気にするな。この世界、うるさい場所ばかりじゃない。合わないところは避けりゃいい」
その言葉が、妙に心に沁みた。
(……そっか。全部受け入れようとしなくていいんだ)
◆
食事のあと、店を出る頃には、俺の気持ちは随分と落ち着いていた。
「どうだ、少しは気が楽になったか?」
「あぁ……助かった。ここは本当にありがたい場所だ」
「ふむ。では明日から、少しずつ慣れていけばよい。嫌になれば、またここへ来ればいい」
「うん……そうするよ」
夜風が優しく吹き抜ける。
街の灯りはまだ騒がしいけれど、
俺の足取りは、行きよりもずっと軽かった。




