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『酒場ノクターン亭の夜──そこだけ“まとも”な人々?』

 リュミナスに連れられ、街の中心から少し外れた場所に建つ酒場へと向かった。

 石畳の道を歩きながら、俺は何度もため息をつく。


「本当にここだけ“まとも”なんだろうな……?」


「うむ。ここ“ノクターン亭”は、魔力量の低い住人が集まる場所だ。結果として、テンションも低くなる」


「テンションが低い=まともってどうなの……」


「今の汝には最も必要な環境であろう?」


 ……否定できない。



 店の前に立つと、木製の看板には

《酒場 ノクターン亭》

と控えめな字体で書かれていた。


(おぉ……普通! こういうのでいいんだよ、こういうので!)


 扉を開けると――

 意外にも静かな空気が広がっていた。

 客は多くない。

 皆、ぼそぼそと会話をし、酒を片手に落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 ギルドのあの騒がしさとは真逆だ。


(なんだここ……癒やしじゃん……)


 俺が一歩足を踏み入れたそのとき。


「……珍しいな。転生者かい?」


 カウンター奥から、渋い声が聞こえた。


 顔を上げると、

 落ち着き払った中年の男──店主と思しき人物が、淡々とグラスを磨いていた。


 短髪で無駄に渋い。

 語尾が跳ねない。

 ウィンクもしない。

 語気も落ち着いている。


(……文明!)


「いらっしゃい。空いてる席に好きに座りな」


「あ、ありがとうございます……!」


 感動して、思わず深く頭を下げてしまった。



 席に座ると、すぐに店主が水を置いてくれた。


「この世界、驚くことも多かったろう。ここじゃ肩の力を抜いていい」


「あぁ……そうします」


「酒は飲めるか?」


「まあ、多少なら……」


「じゃあ軽いのを出そう。……お前、緊張しすぎだ」


「……はい」


 自然と力が抜けていく。

 テーブルに影が差し、リュミナスが隣に腰を下ろした。


「ここの店主は、昔から人の心を読むわけでもないのに、妙に察しが良いのだ」


「へぇ……」


「お褒めいただき光栄だよ」


 店主が苦笑しつつ、琥珀色の酒を俺の前に置く。


「……まぁ、客の表情を見てりゃ大体わかる。異世界から来た者は大抵、無理してるからな」


「……そんなにわかりやすいですか?」


「すぐわかる。俺も昔は、似たようなもんだった」


「え?」


 店主はグラスを磨く手を止めないまま続ける。


「……俺も転生者だったよ。三十年前にな」


「!!」


「ただ、冒険は早々に諦めた。性に合わなかったからな。こっちの生活は、合うものだけ拾えばいい」


 落ち着きすぎる声に、逆に胸が温かくなる。


(あ……この人、本物の“大人”だ)



 酒を飲みながら、店の様子をぼんやり眺める。

 静かだが、決して陰気ではない。

 客同士、控えめな声で会話し、互いに干渉しすぎず、距離感がちょうどいい。


(……なんか久しぶりだな、こういう空気)


 すると、向かいの席で飲んでいた男が、俺に視線を向けてきた。


「なぁ、兄ちゃん」


「はい?」


「お前、転生者ってことは、カード作ってきたんだろ?」


「あぁ、まあ……」


「コメント欄に♡付いてただろ?」


「……うん、付いてた……」


「だよな……あれ初見はキツいよな……!」


 男が自虐気味に笑うと、周囲の客も小さく笑った。


「俺もな、あの♡で精神的に三日は寝込んだ」


「俺は逆に燃えてきたがな……いや、嘘だ。つらかった」


「同士よ……」


 妙な連帯感が生まれてしまう。


(なんだこの安心感……)



 しばらく談笑が続き、店主が改めて声をかけてきた。


「よし、そろそろ晩飯の時間だ。腹は空いてるか?」


「あ、はい」


「じゃあ……今日は“薬草煮込みスープ”がおすすめだ。落ち着く味だぞ」


「いただきます」


「ふふふ、汝の顔色もようやく戻ってきたな」


「……リュミナスさん、俺本当に疲れてたんだな」


「当然であろう。初日で“ラノベ文化”に三回も直撃しているのだぞ」


「言うな……刺さる……」


 店主がクスリと笑い、


「気にするな。この世界、うるさい場所ばかりじゃない。合わないところは避けりゃいい」


 その言葉が、妙に心に沁みた。


(……そっか。全部受け入れようとしなくていいんだ)



 食事のあと、店を出る頃には、俺の気持ちは随分と落ち着いていた。


「どうだ、少しは気が楽になったか?」


「あぁ……助かった。ここは本当にありがたい場所だ」


「ふむ。では明日から、少しずつ慣れていけばよい。嫌になれば、またここへ来ればいい」


「うん……そうするよ」


 夜風が優しく吹き抜ける。


 街の灯りはまだ騒がしいけれど、

 俺の足取りは、行きよりもずっと軽かった。

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