「この世界に、もううんざりだ」
神崎迅は、コンビニのバックヤードで頭を抱えていた。
夜勤明けの空気は、いつもより重い。冷蔵庫の唸り声が、やけに大きく聞こえる。
――また、やらかした。
チーフからのメモが、棚の上に置かれている。
『深夜帯の発注、数量ミス。要修正』
たった一行。だが、迅の胸には石のようにのしかかる。
非正規雇用。
都内で一人暮らし。
二十代後半。
人生は、特にドラマもなく、ただ惰性で流れていく。
迅は嘆息し、ロッカーを閉めた。
「……アニメかよ。なんだよ、この語尾」
スマホのタイムラインを開けば、後輩の学生アルバイトが投稿した動画が目に入る。
ツインテール風のフィルターに、やけに甲高い声で
『いまから夜勤なのだ☆』
と喋る姿。
――寒気しかしない。
最近はどこへ行っても「ラノベ的」とでもいうべき空気を感じる。
中高生がアニメキャラのぬいぐるみを鞄にぶら下げて歩き、アイドルのグッズを大量に並べて写真を撮る。
それを大人が「そういう時代だから」と受け流す。
迅には、それがどうしても馴染めなかった。
幼少期、家は厳しかった。
「アニメなんてくだらない」と父はよく言った。
高校時代、陰キャ扱いされたくなくて、流行のアニメやラノベを避けた。
社会人になっても「幼稚な文化」としか思えなかった。
――それで距離を取った結果、今では友人もほぼいない。
「オタク文化を否定して生きた結果、何が残ったんだか……」
皮肉でもなんでもなく、本気でそう思う。
だが受け入れ難いものは受け入れ難い。
冷蔵庫の温度確認票を手にとりながら、迅はひとりごちた。
「どうして、普通に話せないんだよ。語尾伸ばしたり……『なのだ!』とか……。あれでよく生きていけるな」
自分でも気づいている。
自分のこうした卑屈さ、偏り。
だが、直し方がわからない。
勤務を終え、外へ出たときには空が白み始めていた。
通りの向こう側では、女子高生が友人と談笑している。
鞄には、人気アニメのキーホルダーがいくつもぶら下がっていた。
テンション高めの声が、風に乗って聞こえてくる。
『今日のアニメ、神回だったんだよ!』『尊い……!』
『マジで推しがやばいのだ!』
迅の足取りが重くなる。
――なぜ、普通にしゃべらない?
反射的に心がざわつく。
拒絶反応のようなものだ。
自分でも嫌になる。
(音楽の好みや服装の自由を許容する社会になったのに、俺は……時代から取り残されてるだけか)
そう思うと、胸の奥がひりついた。
◆
アパートに戻る頃には、朝日が差し込んでいた。
古い外階段を上りながら、迅はふと空を見上げた。
(このまま、どこへ行くんだろうな、俺の人生)
答えは出ない。
出ないまま二十八年が過ぎた。
部屋に入ると、埃っぽい空気が迎えた。
テレビはつけっぱなしのニュース番組。
ナレーターの声が漏れ出す。
『本日未明、〇〇区のコンビニにて強盗事件が――』
迅はため息をつきながらテレビを消した。
「物騒だな……」
シンクには洗っていない食器。
床には脱ぎ散らかした作業着。
部屋は生活の疲れがそのまま表れていた。
コップに水を入れて一息つく。
その瞬間、ドアの向こうで足音が聞こえた。
迅の表情に警戒が走る。
――早朝のこの時間に?
コンコン、と控えめなノック。
覗き穴を覗くと、見知らぬ男が立っていた。
スーツ姿。
無表情。
迅はドア越しに声をかける。
「……どちら様ですか」
『神崎迅さんですね』
「はい、まあ……」
『あなたに、少し確認したいことがありまして』
嫌な感じがする。
ドアは開けない。
「用件をここで言ってください」
『“転移先の選択”について――』
心臓が跳ねた。
迅は思わず息を呑む。
「……なんの話だ」
『では、強制的に開始します』
男は淡々と告げると、手にしていた黒いカードをかざした。
次の瞬間――
視界が、光で塗りつぶされた。
◆
落下するような感覚。
耳鳴り。
重力が逆巻く。
――死んだ?
――夢か?
思考が散り散りになる中、誰かの声が聞こえた。
『……る……゛……で、ある!!!』
甲高く、響き渡る少女の声。
『勇者さまっ! お目覚めなのだ!!』
迅の心臓が跳ねた。
最悪の予感が全身を駆け抜ける。
(……語尾、なのだ?)
『大いなる光よ……我らが召喚に応えたまえ! 勇者よ、世界を救う使命を受け入れるので、ある!!』
声のテンションがあまりにも「ラノベ的」すぎて、迅の精神に痛打が走る。
光が徐々に弱まり、周囲の景色が露わになる。
そこは巨大な魔方陣の中心。
四方には奇妙なローブを着た少女たち。
ひとりは金髪ツインテでにこにこしながらこちらを覗き込み、
もうひとりは銀髪の上品な少女が、厳かに胸に手を当てている。
『勇者・神崎迅よ! 我が国を救ってほしいのである!』
――“である”……!?
『ふぇぇ! 召喚成功なのだ!!』
――“なのだ”……!!
心臓が砕け散りそうだった。
迅は、思わずつぶやいた。
「……最悪だ」
少女たちが首を傾げる。
迅は膝をつき、天を仰いだ。
「なんでだよ……よりによって……嫌ってた文化のど真ん中……!」
金髪の少女が不思議そうに聞く。
『どうしたのだ? 勇者さま、頭が痛いのか?』
迅は、目をそむけた。
――耐えられない。
――俺が最も嫌う世界だ。
胸の奥底で、どうしようもない絶望が膨らんでいく。
その瞬間、迅の視界に浮かび上がった文字。
◆ 勇者称号「最強のリアリスト」を獲得しました ◆
◆ 巻き込まれ体質EX ◆
◆ ラノベ口調耐性:0 ◆
迅は叫んだ。
「ふざけんな!!!」
光が弾け、少女たちが驚きの声を上げる――。
──続く(第二話へ)




