16章94話 悩みよ、紅葉に融けろ
ドアの外は既に少し暗く、涼しくなり始めていた。秋になり、日も短くなってきたものだと実感する。
――さて、第一関門のようだ。一歩目の方向が決められないぞ。
情けなくてため息をついた。他人がいなくて、すべきことがなくて、欲もないとなると、本当に何も出来ない。
いくら寝ても満たされない睡眠欲に従って寝るか? いや、今この時間に寝ていたいわけではないな。かと言って、ここに新しい趣味を始めるような道具は持ってきてない。あるものは、広い場所と、綺麗な景色、美味しい空気。
……結局、これか。変わり映えはしないけど、確実に、今の俺がやりたいと思える事だ。今日のところはこれに落ち着こう。
念入りに体操をする。羽織った長袖を脱いで畳み、半袖一枚になる。靴紐をキツく結び直して、走り出した。
八棟のコテージの周りを、速めのスピードで駆ける。勿論、他の客から大きく距離を取り、邪魔にならない範囲を選んだ。これくらいの気遣いは当然の常識としてノーカウントだろ?
澄んだ冷たい空気が身体を循環していくのと共に、頭が冴えていく。固まった悩みの粒子が、固体から液体に、そして気体になるように、融けて自由になっていく気がした。
いい感覚だ。この流れに乗って、もう一つのやりたいことを進めよう。――『自己理解』だ。
軽くなってきた頭の中も、自然に任せることにした。自責も不安もそのままにしてみよう。疲れたら、走って全部置き去りにするイメージで一掃してしまえばいい。
真っ先に浮かんだのは、つい先日皆に言われた、俺の改善点。思い出すと少し悲しい……いや、違うな。俺は苛立っているみたいだ。何故だろう。
答えはすぐに出た。俺は皆の指摘を、問題だと納得できなかったからだ。自分の性格に難癖をつけられたように感じて、不貞腐れたんだ。
ただ、今の俺には、何となく心に食いこんでいる言葉がある。カルミアさんの言ってくれたことだ。これを鍵にしてもう一度考えてみよう。
少しスピードを緩めて、口に出して反芻した。
「極端な表現を使わない――。俺の性格の中で、俺自身を苦しめてる部分を抑えてみようってだけの話――」
目の前に広がる、木々と太陽が輝く景色。その暖色が、俺に活力を与えてくれるような感覚を得始めた。
流れる景色の中に一つ一つ、皆が教えてくれた課題の粒子を浮かべる。あわよくば、美しい景色に融けて流れ去って欲しくて。
まず自己犠牲。ちょうどこの前、ログマが折り合いだとか言って教えてくれたし、少し身を守ることを意識してバランスを取ってみよう。
次は限界と疲れの自覚。かなり苦手だ。倒れたり寝込んだりする前に気づけばセーフというところから始めようか。ウィルルは自分のペースを守って頑張るのが上手だから、今後見習っていこう。
ストレスの爆発は俺の悪癖。なるべく小出しにガス抜きする。具体的な方法は分からないから勉強しよう。感情の波のコントロールはケインに助言をもらおうかな。
いい感じだ。聞いた時は異物感しかなかった言葉が、納得感を伴うことで血肉になっていく感覚がある。
でも強がりをプライドの高さと言われたのは……正直、心外だ。プライドは低いと自負してたんだけど。少しくらい強がったっていいだろ。
被害妄想癖もそうだ。皆が好き勝手言い過ぎなんだよ。俺は繊細で傷つきやすいって言ってるのにさ。
そうだ、一度に全部を鵜呑みにして、改善しようとするのも『極端』だ。自分が納得出来たところだけ、少し、変えてみればいい。
本当にそれでいいのか? ……いや、それでいいんだ。
なぜなら、今の俺は、それでいいと思ったからだ!
「よし、よし……!」
どうだ――少しは自分の素直な感情を認められたんじゃないか? 今までとは違う手応えを感じるぞ。犠牲にし続けた自分を、再発見できそうなんじゃないか?
気分が良くなってきた。走りながら笑みが浮かび、拳を握る。風竜の攻撃から逃げていた時と凄く似ているけど、あの時は綺麗な終わりを目指して走っていた。俺は今、未来に向けて前向きに走っているぞ!
「やれば出来るのかも、俺!」
気分の高まりに任せて全力疾走。そのまま踏み切り、前宙して着地。綺麗に決まった。気持ちよさに爽快なため息をついて、額の汗を拭った。
斜め後ろから歓声とまばらな拍手が聞こえて振り返ると、少し離れた所で酒と共にくつろいでいた若者達がヘラヘラと拍手を贈ってくれていた。
今度は自分のことばかり見過ぎていた。決まりが悪い。顔が真っ赤に火照るのを自覚しながら曖昧に頭を下げ、逃げるように自分達のコテージへと戻った。
汗だくの晴れやかな顔で戻った俺は、皆の不思議そうな目線を受け流してシャワーを浴びに行った。
シャワーを終えてすぐソファに座って、さっきの感覚を黙々と手帳に残した。文字に起こすと、連想ゲームのように別の課題も一緒に解決したり、次の課題に気づいたりして、夢中になった。
そうしているうちに、気づけば宴会準備の完了を告げられた。
取り皿を持つウィルルが俺に問う。
「ルーク、楽しそうだった。やりたいことできた?」
にっと笑って返した。
「うん、お陰様で! 助言、ありがとうな」
ぱっと表情を明るくしたウィルルは、小さな口の横を指で押さえて、にーっと笑い返してくれた。




