16章92話 慰安旅行と出された課題
16章 慰安旅行
一階のカウンセリングルームで、レイジさんと向き合って座る。リラックスしなさいと言わんばかりの柔らかい椅子が、逆に落ち着かなかった。
彼は苦笑しながら話を切り出した。
「さぁて、ルーク。あの大怪我の事情は聞いたぞ。随分と積極的に殉職してくれようとしたらしいじゃないか?」
「……反省してます。申し訳ございません」
「ホントだよ、全く。――だが、反省も謝罪も、本質じゃない」
「本質?」
「うん。再発防止の策を立てることが肝なんだ。死にたがって、それを実行に移すのは自然なことではないから、そういう精神状態にあることを認識して対処しなきゃいけない」
自然ではない、か。確かに発病前は、死にたいなんて思ったことはなかった。まして、実行に移してしまったのは初めてだ。
病状の自覚に沈み始めたところで、レイジさんが続けた。
「何かはっきりした理由やきっかけがあったのか?」
目が泳ぐ。
「……正直自分でもはっきり分かってないんです。でも、色んな悩みやストレスを溜め込んでいたのは確かです。その溜め込みに、犠牲者を出したくない気持ちと、強敵の存在が重なって、半ば衝動的に――でしょうか」
レイジさんが目を伏せる。
「すまないな。お前は強がりだって分かっていたのに、そうなるまで気づけなかった」
病院でのカルミアさんの言葉を思い出させる自責。慌てて制した。
「謝らないで下さい。俺自身の問題です。限界を自覚できてなかったんです」
そしてケインとログマ、ウィルルの言葉達を次々と思い出し、苦笑する。
「……これからは周りを頼ります。自分を誤魔化しません。とにかく生きる方向で考えます」
レイジさんは切れ長の目を細め、悲しげに笑った。
「前向きな反省が聞けて良かった。是非そうしてくれ」
そして彼は、指を二本立てた。
「お前にこの面談で伝えたいことは二点だ。――まず、一点目は、ミロナさんのカウンセリングを受けてみないか? ってことだ」
ヘルパー、ミロナさんのカウンセリングか。ケインとウィルルはたまに受けていると聞いたことがある。
「今まで通り薬物療法や病の理解も進めてほしい。でも、病院の診療時間は短い。そして、病院ってのは症状に注目して改善を目指す場所だ。それに対してカウンセリングは、自分の性格や悩みとじっくり向き合う場所。両方行うことで、楽になるヒントが何か見つかるかもしれないと思ったんだ」
「へえ……」
確かに病院でも、自己理解を進めようと言われている。健常者であるレイジさんは、自らを病気に関して素人だと言うが、かなり勉強はしているのだと思う。
――『向き合う』という言葉を聞くと、どうしても過去の苦痛がよぎる。自分でも無意識下で向き合うべきだと思っているからだろうか。おそらく、過去と向き合えないことは、闘病における障壁だ。思い出す度に死にたくなるのに、なんの対処もできずほっといているのだから。
「……性格や悩みと向き合うのには覚悟が必要な気がします。ちょっと時間を下さい。でも、前向きに検討したいです」
「うん。まあ、合わないこともあるからな。ミロナさんに事前相談しつつ、実際にやってみて違うなと思ったらすぐやめろよ」
「お気遣いありがとうございます」
そして二点目、とまた指を二本見せられた。
「今度、お前ら全員を強制的に二日休ませるぞって話だ」
「えっ。どうしてですか」
尋ねると、レイジさんはにやりと笑った。
「大型案件完遂と、ルークの自殺失敗を記念して、一泊二日の慰安旅行だ。費用は全額会社持ち。責任者はお前じゃなく、カルミアに任せてある。五人でゆっくりしてこい」
行先は、少し前にベリースライムの仕事で訪れたヨイ山。頂上付近は整備された保養地となっており、宿泊や屋外調理などが楽しめるらしい。紅葉と簡易キャンプを目的にした旅行というわけだ。
七合目あたりで馬車を降りる。軽く登山をして、頂上についたのは昼過ぎだった。
天気に恵まれた広いキャンプ場の景色は爽快だった。目立つのは八棟のモダンなコテージ。見渡す限り開けた場所を、地上より幾分背が低い、鮮やかに色付く木々が取り囲む。先客の家族が絵を描き、若者達が野外調理キットを設営していた。遠くには同じく色付いた山々と草原、河や街が見える。
――地元のキャンプ場は原っぱだったな。家族四人でテントを……いや、止めよう。悪い思い出ではないが、きっと最後には憂鬱になる。
ケイン、次いでフードを被ったウィルルが駆け出した。
「キャンプなんて修学旅行ぶり! 広ーい! 気持ちいいー! キレーイ!」
「私は初めて! 高いねえ、楽しいねえ」
……二人は、普段の話から推察するに、家族旅行には無縁だっただろう。それに、友人との旅行も難しかったと思われる。ケインは親の束縛があったし、ウィルルはおそらく友人と呼べる存在がいないからだ。仕事関連ではあるが、良い機会を貰ったのかも知れないな。
隣を歩くログマが、馬車に乗ったあたりから全然喋らないのが気になる。表情は至って普通だが、どうしたのか。
「なあ、ログマはこういうとこ初めてか?」
彼は目を泳がせ、曖昧に返事をした。困った、予想以上に会話が続かない。
「元気ないなと思って。こういうの苦手か?」
彼は言い淀んだ後、目を伏せた。
「苦手とか以前の話だな……。俺は遊びの為に遠出した経験がない。気持ちの持ちようが分からない」
はっとした。ログマは修学旅行に行く費用を工面できなかったんだろう。それにこの性格だ、友人と遊びに行ったりはしなかったのではないか。
「そうか。じゃあ、目いっぱい楽しもう。俺もログマを楽しませるよ!」
「お前といて楽しかったことがないのに?」
「ひ、酷すぎる……」
肩を落とすと目を逸らされたが、小声が聞こえた。
「……楽しむ努力はする」
驚いた後、笑みが零れた。ログマはあの病室での会話以降、素直な会話が増えた。少しだけ。
カルミアさんが先生のように俺達を集めて言った。
「コテージに荷物置いて昼ご飯食べた後、近くの滝を見に歩くよー。帰ってきたら、コテージ周りで遊んだ後、宴会準備! のんびり楽しもうね」
二階建てのコテージは新しく綺麗だった。五人で過ごすのには最適と言える広さの、明るい吹き抜けのキッチン付きリビングに、普段通りの生活が出来そうな家具と設備が揃っている。
リビングで昼食を終え、登ってきた道とは別の小道を、滝を目指して歩き出した。並び順は出撃時と同様。前衛後衛を無視して進むことが不安で仕方ない、と言うウィルルの拘りに従った。
滝までの道は、整備された広い登山道に比べれば少し険しかった。案内板こそあるものの、ほぼ人が踏み固めただけの勾配のある山道。都会暮らしの長い皆は少し苦戦しているようだ。
――俺は鮮やかな景色と木漏れ日の中を楽々と進んでいたが、とあるモヤモヤを抱えていた。
それが無意識のうちにため息として出てしまい、やや前を歩くカルミアさんに気づかれた。
「どうしたのルーク。機嫌悪そうだね」
「いや……別に……」
にやりと笑われる。
「ま、どうせ、出された課題が気に入らないんでしょう?」
図星を突かれたので、素直に愚痴った。
「そりゃそうだろ。『ルークだけは働くの禁止』だなんて居心地悪すぎる」
そう、今回の旅行の目的は皆の慰安だけではない。俺の自殺の再発を防止するため、矯正実験をするらしいのだ。
レイジさんがこの話をした時、皆は口々に俺の改善点を挙げた。過度な自己犠牲、限界を無視した稼働、気配り疲れ、ストレスの爆発、強がるプライドの高さなどなど……。皆、そんなに俺のことが不満だったのかよ! と言ったら、ケインに『被害妄想癖』を追加された。あんまりだ。
一連の流れもあって俺は不貞腐れているのである。
「大体、矯正ってなんだよ。俺、別に歪んでねえし」
カルミアさんは苦笑する。
「歪みなんて、極端な表現を使わないの。ルークの性格のうち、自身を苦しめてる部分を一回抑えてみようってだけの話じゃないか」
この言葉には、曲がったへそが正面を向き直したような気がした。俺、確かに極端だったかも。皆の言葉に、俺の人格を全否定する意図はなかったと分かっている筈だったのにな。
まあ、それでも、機嫌が悪いことに変わりはない。
「……今回の矯正対象は、過度な自己犠牲と、気配り疲れでしょ。働かないことで抑えられるのかな? 疑問だよ」
「多分ね。行動を減らせば単純に無理は減るだろうから。それに、経験がない振る舞いは良い刺激になるんじゃないかな? 想像だけどさ」
「そういうもんかなー」
飄々とした彼の調子は、俺の不機嫌如きでは崩れない。
「まあまあ。せっかくだし、今日は皆を働かせて自分はリラックスするって言う体験を楽しもうよ。今日のルークはリーダーじゃなくて王様ってところだ」
王様はガラじゃないから嫌だ……。だが、言っていることは分かる。集団行動で働かないなんて、俺にとって未知の立ち回りだ。何かの糧になるかもしれない。意地になって突っぱねても仕方ないよな。
「はぁ……分かったよ」
「メリプ市の仕事では、皆苦労したでしょ? そのご褒美だって言うんだから、全力で楽しまなきゃ損だよ」
「それもそうだね。……聞いてくれてありがとう」
「はは、何の御礼? ただの雑談でしょ。気を遣わないの」
……俺、今気を遣ったのか? 無意識だった。気配り疲れより、その特性を自覚する方が負担に感じる。自己嫌悪と精神疲労を、再びため息にして吐き出した。
会話は終わったと思うほどの長い間の後、カルミアさんが独り言のように呟いた。
「……実は、俺にも課題があるんだよね」




