15章91話 お互い、辛かったね
重い言葉だと思った。死にたい、消えたいではない。生まれてきたこと自体を否定する、悲しい言葉。
ケインは細く長い息を吐いた。
「……どうしても、理不尽だって思っちゃう。産まれる環境も、親も兄も姉も選べないのに、そのせいで一生苦しいなんてさ」
「本当だね……とても、納得できない……」
「今も、頑張れない時は、頭の中で叱られるの。無能のお前が、怠けてる暇はない! とか、お父さんが怒ると皆が困るんだからしっかりしててよ! とか。――そんな感じで」
「そんなんじゃ、休んでいても辛いな……」
「うん……。私ね、皆に休んでいる所を見られたくないの。父さん母さんみたいに、皆も私を攻撃するんじゃないかって警戒しちゃう。攻撃されなくても、心の中では私の事否定してるのかなって怖い。皆の事を信頼してるのに。そう思っちゃう自分が、大嫌い……」
家族と、過去と、自分自身と戦い続けるケイン。彼女の過度な意地っ張りは、これらと戦う強い意志を保つためなのかもしれないと思った。
彼女の声は、苦しみを隠すみたいな明るさに戻った。
「ルークが入社してすぐ、ボロボロの私を見られて騒いだのはそういうこと。まだ仲良くないのに見られたから超怖くなっちゃった。えへへ、ごめんね!」
「なるほどね。――仲良くなったし、今なら見ても大丈夫なの?」
「うーん……やっぱ無理。キツい」
「あ、はい……」
ケインは可愛らしい声で笑った後、目線を俺に向けた。
「家族に理解されずに家を出たのと、引き摺ってるのは、私達似てるかもなって。私はこの前みたいな虐待の後遺症が克服できてなくて、病気にも深く絡んでるって言われてる」
でもね! と彼女は胸を張る。
「私は病院に通い始めて七年なの。少しは整理もできてきたから、ルークの参考になるかも」
ケインが俺の顔を覗き込んだ。
「私は家族を全力で憎んだよ。毎日怒って、泣いて、不幸を願って呪った。それに、自分を慰めた。嫌だったことを、紙に書いたり人に話したりして自分の外に吐き出したの。――長年そうやってたら、少しずつ気が済んできたんだ」
そして、不満げに口を尖らせた。
「やっぱりムカつくし納得してないけど、理解はできてきたの。家族皆、それぞれ一生懸命だったんだろうなって、たまたま私の所に歪みや皺寄せが集中したんだって、思えるようになった」
顔を向き合わせた。彼女の表情には、意外にも、少し前向きな雰囲気を感じた。
「それでね、結局納得はしないことに決めた! だってやっぱり酷いもん。だからそれはそのまま置いておいて、自分がこれからどうするかに集中し始めてるの。――沢山過去を憎んで泣いたからこそ、今の自分に目を向けられたのかなと思ってる」
彼女が俺に向ける目線は優しかった。
「ルークはさ、これだけ辛い話をしてくれたのに、最後、ワガママだって自分の気持ちを否定したでしょ。それ、一回休憩ね! 家族のことで混乱しちゃった自分を認めてあげようよ」
うっと言葉に詰まった。
「……自分を認めるって難しいな。というか、そんなこと、していいと思えないよ。自惚れて自分を甘やかして、もっとダメにしていくような気がする」
「うーん。……でも、自分をずっと否定してるのは辛いよ。辛い状態じゃ頑張れない。それこそ、ダメになっちゃう」
「……それも、そうだね……」
「かと言って、他人である私が、ルークは頑張ってて凄いよって認めたら、ルークは受け入れられる? 楽になる?」
「うーん……。正直難しいかもな」
「でしょ? 自分が自分の気持ちを否定してると、どんな慰めも励ましも効かないの。今、苦しいと思ってるルークを慰めて、楽にしてあげられるのは、ルークだけなんだよ」
苦しいと思ってる俺を、慰める、か……。
「だからさ、ルークも、家族を恨んで駄々こねてみてもいいのかもよ。自分の気持ちを許すって言うのかな。私はそれで少し楽になったから。それに、前に進めるようになったって感じてる。オススメしとくね!」
……自分の気持ちを、許していい?
恨んでいい? 駄々こねていい? それで楽になれる? 前に進める? ――自分を認められる?
じゃあ、もう、自分の感情を抑えつける理由なんて――。
「お互い、辛かったね」
ああ、柔らかくて温かい言葉が心の弱い所に沁みる。馬車の時は抵抗できたのに。こんなに強くて頑張っている彼女を困らせてしまうのは――。
堪える間もなく、涙が流れ出してしまった。
情けない。みっともない。格好悪い。恥ずかしい。……いいや、こういうのを一回休憩しようと言われたんだ。きっと、今心を向けるべきなのは、こっちだ。
――本当はずっと、凄く辛かった。悲しかった。苦しかった。寂しかった。家族に分かって欲しかった。一緒に考えて欲しかった。病気と闘う俺を、応援して欲しかったよ。
無意識に押し殺していたものが、涙となって蘇り次々と溢れ出る。
口元を押さえて顔を逸らし、嗚咽を殺す。そんなことくらいしかできなくなった俺の背中に、ケインの手が優しく触れた。
「泣かせてごめんね。でも、私に話してくれて、嬉しい。ようやく少し、ルークの事を知れた気がする」
俺は涙を拭いながら、ケインに言った。
「ありがとう。同じ目線で話して貰えて救われた。ケインの事も知れて嬉しかったし、俺も頑張ろうって思えた。俺の心の恩人だよ」
彼女は心底嬉しそうに、ころころと笑った。
「そう言われると、私も報われるよ。仲間を助けられるって、嬉しい。お互い色々経験してきてるし、たまには共有しよ。多分、なんかヒントになるから」
「うん。そうしたい。……ありがとう」
熱った顔のまま、笑った。
「あはは。本当はさ、この前のケインが心配で声をかけたんだ。俺の事を話したら、ケインも話せてさ、少しは楽になるかなって。逆になっちゃった」
ケインはふふんと鼻を鳴らした。
「そんなのお見通しだよ。ルークって他人の苦痛に敏感で、放っておく方が辛いんでしょ? そのくせに自分の苦痛に鈍感なの、なんとかしなよ」
「え……まだ半年なのに、俺のこと分かりすぎじゃない? いっつもズバズバ言い当てるじゃん。もう怖いよ」
「えっ、怖いって何!」
ふと思い立って、ニヤッと笑いかけた。
「あっ、俺もちょっと分かったかも。ケインが犯罪者を嫌うのってさ、厳しく躾けられた事の反動だったりして」
ケインは目を丸くした。
「えっ、ああ! そうかも! 無意識だった」
「やった、当たった! ――あいつらムカつくよな。好き勝手楽しんで、他人に迷惑かけまくってさ。俺、例の仕事の盗賊団員に、殺したいって言っちゃった」
「ええっ? 私も大っ嫌いだけど、そこまで言ったことないよ。……でも、よくぞ言った! 最高!」
二人でゲラゲラと笑った。俺達の親が聞いたら絶対に厳しく叱ってくるであろう、下品で楽しい笑い方だった。
夏の名残の生温い風が妙に気持ちよくなって、熱って潤んだ目を細める。
街と空の煌めきが瞼の裏に残って、俺の暗闇を照らしてくれるような気がした。
* * * * *
第三部 完
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【御礼とお願い】
第3部15章までお読み頂いた読者様に、心より御礼申し上げます。
第3部は特に鬱々とした心情や展開が目立ったかと存じます。しかし、私がこの作品で伝えたいことが強く込められた話でもありました。それが今後一人でも多くの読者様に届く事を祈っております。
この機に拙作への☆評価やブックマーク等、各種の応援を頂けませんでしょうか。是非ご検討頂きたく、お願いを申し上げます。
【第4部予告】
奇跡的に死に損なったルークの闘病生活は続く。課題と悩みの山は、相変わらず簡単には崩れてくれない。彼の虚しい足踏みを一歩ずつ前へと進めてくれるのは、やはり仲間達との日々だった。
苦難だらけの彼らの、平和な日常。そんなささやかな幸せを脅かす、とある事件が起こる。
重い過去を抉られた者。知られざる表情を覗かせた者。無力感に折れた者。心を閉ざした者。
打ち解けた筈の仲間達の『分からない』姿は、ルークを動揺させるには充分すぎた。
だが、もう仲間頼りの足踏み状態では居られない。病気、仲間、事件の真相――『分からないこと』に立ち向かおうと、ルークは足掻く。
事件は、防衛統括や反社組織を巻き込み、株式会社イルネスカドル本部の総力を挙げた戦いへと発展。彼らは襲い来る強大な悪意にどう対峙するのか? メンバーの抱えた痛みにどう寄り添うのか?
苦痛と闇、成長と友情の第4部。
拙作にお時間を頂いた皆様の幸せを心より願っています。無理のない範囲で、今後も拙作にお付き合い頂ければ幸いです!




