15章85話 悲しんでくれてありがとう
夕方、面会時間ギリギリに、メンバーが全員揃って改めて見舞いに来てくれた。会社で見慣れた普段着姿の皆を見ると、心が緩んだ。
皆は俺の顔を見るなり、疲労と憂鬱の隠せない顔をそれぞれ歪めた。一瞬不安になったが、心配や安心からくる表情のようだった。
こうして皆にまた会えてよかった。ちゃんと感謝と謝罪を伝えられる。少しだけ、生き延びたことを喜べた。
「皆、来てくれて嬉しいよ。わざわざごめんね、ありがとうね。皆は大丈夫なの?」
にこにこと皆の顔を見回したが、一瞬で強ばった。
ケインが静かに泣き始めたのだ。唇を噛み、肩を震わせている。
凄く苦しくなって、慌てて言った。
「なっ、泣かないで。ごめん、謝るから――」
「何を謝ってるの?」
「えっ。ケインが辛そうだから――」
「そこじゃない!」
固まった。ケインは泣きながら言った。
「ログマから全部聞いたよ。酷すぎるよ」
「え……?」
「残って死ぬか、逃げて自殺するか。その二択しかないから結果は同じって言ったんでしょ」
無言で目を逸らした。確かにそう言った。
ケインの綺麗なエメラルドの瞳が更に潤み、次々と涙が零れる。彼女は自分のために泣かない。……はずだけど、今はどうなんだろう。
「そんなこと言われたら……追い詰められちゃう。どうしたってルークとはお別れだなんて、辛すぎる。それをログマ一人に押し付けて、私達には……。助けて欲しい時は言うって、言ってくれたのに! 何も話してくれないまま! ううっ、嘘つき……! 酷いよ……!」
少し前の、仕事の帰り。馬車で話した、彼女の横顔。俺が倒れたら悲しいと言ってくれた。……忘れていた。優しさから目を背けて、覚えていられなかった。俺はなんて薄情なんだろう。
ケインはやはり自分のためには泣いていなかった。俺が仲間を頼らなかったことを咎め、ログマの抱えた苦しみを慮る。仲間のための涙だったんだ。
「ああ……ごめん。ごめんな……」
嗚咽で言葉を続けられなくなった彼女の背中を、ウィルルが抱く。
カルミアさんが、いつになく弱々しい声で言った。
「ルーク。本当にごめんね。頼りなかったよな。俺は、社歴も人生も先輩なのにさ……情けないよ」
「えっ、そんな、頼りないだなんて――」
「ううん。あの場面で、俺達に相談するって選択肢が思い浮かばなかったんだろう?」
「あ……でもそれは、俺の思考回路の問題で……。あれしかないって、あれが一番いいって思ったから」
彼は首を横にふらふらと揺らした。
「そうかもしれない。でもね、俺達にとっては、君がいなくなることが最善手なわけないんだ。……それくらいは分かってたよね? ルークは、仲間に想われてる自信はないだろうけど、人をよく見ているから」
何も言えなくなった。少なくとも、俺の死を仲間に背負わせることになるという可能性は頭に入っていた。
カルミアさんの声に少しの怒りが滲んだ。
「分かっていて、あの方法を選んだのは……死にたかったからでしょ」
核心を突かれ、顔を顰めた。俺のその表情を見たカルミアさんは口元を押さえ、また弱々しくなった声を絞り出した。
「ずっと、ルークが頼ってくれるのを待ってたんだ。話してくれるような気がしてた。でも……しっ……死を選ぶまで、何も……。何も、してやれなかったね……」
「そっ、そんな! カルミアさんには、皆には、いつも救われてた! 居場所を貰ってた! そのお陰で俺は、入社してからずっと幸せなんだ!」
全部本当だ。心の底からそう思ってる。
暴力暴言、その他諸々を浴びせられる毎日から逃げた。否定する家族から目を背けた。全てを捨てて故郷を出た。弱っていく中で疎遠にした、疎遠にされた友達だって数知れない。
病気の俺をそのまま受け入れてくれたのは、皆だけだ。弱さを認め合える仲間ができた事が、嬉しくて仕方なかったんだ。
でも、カルミアさんは何も言ってくれない。口元を強く押さえて震えながら、必死に何かに耐えている。
ケインを抱くウィルルも、うっと小さな嗚咽を漏らして泣き始めた。いつもと違い、声を上げずに茫然ととめどなく涙だけを流している。今まで見た中で一番痛々しい表情をしていて、胸が締め付けられた。
そのまま、静かに言った。
「幸せなのに、死んじゃうの?」
「えっ……」
「幸せなのに、皆と一緒にいないの? ……あっ、ううん、会社を辞めてもいいんだよ。私は寂しくなるけど、元気でいてくれればいいの。なんで死んじゃうの? 私、それが一番やだ。ねえ、なんで? 分かんなくて、辛い……」
真っ直ぐすぎる質問に胸を貫かれ、たまらなくなる。
「ごめん……色々あって、もう俺にも分からない。ごめん……」
「私、怒ってないよ。皆も、怒ってないよ。ルークの事、教えて欲しかったの。分からないなら、一緒に考えたかったよ。私、泣き虫で馬鹿だから駄目かなあ?」
「駄目なわけない……!」
おかしいな。皆、俺の無事に安堵する顔をしてくれていた筈だ。でも皆の言葉から伝わるのは、喜びや歓迎じゃない。悲しみや憤り、困惑や悔恨だ。
いまいち分からない。俺が皆を頼らなかったのは、そこまで悪いことなのか? でも間違いなく、皆は今苦しんでいる。そしてそれは俺のせいだ。どうしたらいいんだろう。
心苦しさに耐えられずに、涙が浮かんだ。顔を斜めに伝った雫が、枕に吸い込まれた。
それを見たログマがため息をつく。
「お前ら、怪我人を追い詰めんな。……ルーク」
「……なに」
「さっきは訊くだけ訊いたが、俺は、話したくないなら話さなくていいと思ってる。死にたいなら勝手に死ねばいい。……俺達の事は、関係ない」
「……そうか」
俺は、彼と同じ意見かも知れない。さすがに、勝手に死ねばいいとは思ってないが。
皆には、あまり深入りし過ぎないようにしていた。話したくないならいいと。見せてくれる所だけでいいと。たまに踏み込みすぎたが、基本的にはそう思っていた。
……俺の事も、話したくない部分まで知ってもらおうとはしてこなかった。
ログマと目が合った。
「だが……お前は、俺達の顔色を窺う臆病者だ。なら、一度、逆の立場で考えてみろ。お前は俺達が何も話さないまま自殺したら、どう感じるんだ」
「あっ……」
もし、メンバーの誰かが、明らかな不調を抱えたままニコニコしていたら、そりゃあ気にかかる。でも本人はそれを必死で隠しているから、何もしてあげられない。そしてそれを放っておいたら死んでしまった――。
俺なら耐えられない。気付けなかった、助けられなかった、自分は無力だって、一生引き摺る。……死にたく、なる。
皆の表情と言葉の意味が、嫌というほど分かった。俺はまた、自分の事しか、見えていなかったんだ。
今回は死ななかったからいいと思った。俺の死を仲間に背負わせなくて済んだと、ほっとしていた。……でも、違った。
全く、ログマの言った通りだった。俺は自分のために自分を削り、その結果を皆に背負わせた。
自分を投げ出して死を選んだ事自体が、俺を気遣い、大事にしてくれた彼らを裏切る行為だったんだ。
「あ、ああ……分かった。……今、分かった」
ログマはまた目を逸らしてしまった。
「やっぱりクソ馬鹿だな。疲れるんだよ」
また浮かんだ涙は、止まってくれない。
「俺、とんでもない事したんだな。ごめん……ごめん……」
夕焼けに染まる病室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。葬式みたいだった。俺はまだ、死んでいないのにな。皆は、それくらい辛く感じているんだ。……俺なんかのために、辛くなってくれている。
まだまだ謝り足りなかったけど、それ以上に言いたいことがあった。
「本当に、本当にありがとう。俺を、死んで欲しくない仲間だと思ってくれて。本気で叱ってくれて、悲しんでくれて、ありがとう」
皆は何も言わない。
でも、どんな言葉なら彼らを安心させられるかはなんとなく分かった。大きく息を吐いて、天井へ苦笑した。
「……もう、しない」
ケインは泣きながら、まだ怒っている。
「ホントに? ルークは嘘つきだから信用できない!」
「うぅ、ごめんって。でも、しないよ。死にたくなるとは思うけど、死なない。生きる方向で考える」
「ひっく……約束だよ。ホントに約束だよ」
「うん。約束する。皆、ごめんね。本当にありがとうね」
わんわんと泣き出したケインに抱きつかれる。はっとしたウィルルがてててっとベッドの反対側に回り、逆から抱きつかれる。思考停止した頭をカルミアさんに乱暴に撫でられ、ログマに左脚を思い切り殴られた。最後のは凄く痛かった。そこ一番重傷なんだよ。
「わー! 離れて! 無理! 死んじゃう!」
カルミアさんの撫でる手が俺の頭を鷲掴んだ。これも凄く痛い。
「それは今禁句でしょうが……!」
「いだだだ! ごめん! 生きます! でも全員離れてくれ! 俺、距離感近いの本当に苦手なんだよ!」
物理的距離が近いのはやっぱり苦手で凄く落ち着かなかったけど、皆が触れた所から、俺への好意を感じるような気がして嫌じゃなかった。
気のせいかな。……気のせいでもいいや。




