14章81話 ルークの過去 -孤独-
また視野が明るくなると、狭い面談室。
軍曹と伍長が難しい顔で俺の向かいに座っていた。……お世話になったのに、名前を忘れたな。
ここに呼び出されている時点で、何の話か想像できる。恥ずかしくて情けなくて、顔が上げられなかった。
伍長が、ゆるゆると黒髪の頭を搔いた後、眼鏡のブリッジをいじり、手指を組んで揉んだ。心穏やかで優柔不断な彼が、困っている時にする仕草のフルセットだ。
その優柔不断が滲み出た、煮え切らない口調で俺へ話しかける。
「ルーク兵長。最近君の様子がおかしいって、色んな人から聞いてる。……事情は、よく分かってるんだけど……」
歯切れの悪い彼に代わって、隣に座る軍曹が厳しい口調で話す。
「ウッズ上等兵と対立しているそうだな。部下を苦しめるのは、どうかと思うぞ」
信じられなくて、思わず顔を上げた。修羅場を潜ってきた壮年の凛々しい軍曹。赤毛を刈り上げた戦士の顔。だが、表情にいつもの頼もしさはなかった。濁った目は、俺に向けられてはいるものの焦点が合っていないように見えた。
「近頃は当日欠勤が目立つな。その上、業務時間内に姿を晦ます事もあるそうじゃないか。肝が据わったものだ」
「それは! その、彼らに――」
「言い訳をするな!」
これは言い訳なのか? 息が上手くできない。
伍長が慌てて言う。
「ま、まあまあ。……ルーク兵長。残念だけど、俺達も何の対処もしない訳にはいかないんだ」
対処? 俺を? ウッズ達じゃなくて? 事情は分かっていると言ったよな。
伍長。七年間、俺をここまでの兵に育てたのは、貴方だ。何度も話して、理解し合って、一緒に頑張ってきたじゃないか。貴方は俺の自己犠牲を心配しながら、誰よりも他人のために動いていた。体型も性格もちょっと丸い、その背中にずっとついて行きたいと思っていた。俺が年齢の割に早く兵長になったことを、涙ながらに褒めてくれて嬉しかった。
つい、声が震えた。
「俺の事情は、聞いてくれないまま、ですか……?」
「……ごめんね」
「今まで沢山話してきたじゃないですか。なんでよりによってこんな時だけ、そんな風に!」
軍曹が厳しく怒鳴った。
「喚くな! ……これは会社としての決定だ。個人的な感情や、関係性は排除する」
軍曹。貴方は厳しかったが、熱心に指導してくれたじゃないか。貴方の卓越した剣技を尊敬していたし、俺を認めてくれてるって人づてに聞いた時は凄く嬉しかったんだ。
温かい思い出が嘘みたいに、冷たい口調で言われた。
「組織の上長として告げる。降級だ。一等兵から、心を入れ替えてやり直せ」
二階級下げられるらしい。重すぎる処罰だ。要は、ウッズの下に置かれるのか。事前の勧告もなく。法律違反じゃないか?
いや、この場でそんなことを言っても仕方ないことは分かる。法律なんて重々承知の筈の会社が、この処罰を決定し、軍曹を通じて告げている段階なのだから。
意味が無いと理屈では分かっても、訴えかけずには居られなかった。
「階級なんて何だっていい! でもなんで、そんなに一方的なんですか! せめて中立で双方から事情を聞いて下さいよ! 俺は組織の為を思って動いていたんだ! 俺のやりたかったこと、その結果何があったか、貴方達だけでも聞いてくれたっていいじゃないですか!」
声が震えて、俯く。
「……貴方達にまで理解して貰えなかったら、俺……。何のために、こんなに……」
伍長も軍曹も、目を逸らした。逃げるな。逃げるなよ。俺の苦しみを、見ないふりするな。
一気に涙が溢れる。全身に力が入って、胸と腹の痣が酷く痛んだ。
「二人とも分かってる筈でしょう! 背景も原因も起こっていることも、全部! 俺を罰しても何も解決しないことだって!」
もう何も言ってくれなくなった二人に、俺は泣きながら叫び続けた。
「ノレス一等兵も、マーシャ二等兵も、浮かばれないですよ! 誰を守って、誰を殺してるんですか? 信じられない! 貴方達の物わかりがそんなに悪い筈がない!」
守れなかった二人。ウッズの盾にされて上下真っ二つになり、即死できずに最期まで恋人の名を呼んで泣いていたノレス。戯れに崖から突き落とされて山肌に擦りおろされ、原型が分からなくなったマーシャ。どうしたって忘れられない。あんな奴のために死んだ仲間の事、貴方達だって忘れてないだろう?
伍長は顔を覆って震え出してしまった。
濁った目のままの軍曹が、小さな声で話し出した。
「組織の上長として言うことはない。……ここからは、俺とお前の、個人的な話だ」
「え……」
彼の目から濁りが消える。
「俺が守っているのは、俺の家族だ」
ガツンと心に衝撃が走る。呆然とする俺に、彼は続けた。
「この狭いロハ市で、ウッズの家――権力者に逆らえば、どうなるかは分かるだろう。俺だけならいい。だが……親も、妻も、三人の子供も、ここで暮らしているんだ」
頭が働かないが、言っている意味は痛いほど分かった。文字通り、身体に叩き込まれている。
「会社も同じだ。このロハ市に拠点を構えていて、治安を守るという役割がある。市民の安全と社員の生活を守るためには、存続しなければいけない。結果的に救いきれない社員が出ても、多い方を守るしかない。……分かれ。分かってくれ」
「うっ、ぐ……」
強く握った拳に、かろうじて正気が引っかかっている。ノレスもマーシャも、そして俺も、救いきれない側。切り捨てられる側だということ。……分かる。分かった。分かっても。
「分かっても、受け入れられない事って、あるでしょう……」
軍曹の頬に、一筋の涙が伝った。
「すまない」
息が止まった。
こうなったのはどうしてだ。勿論、原因はあいつらだ。でも俺には止められなかった。我慢して放っておくことも出来なかった。他に何が出来たんだ。何を変えれば、何をすれば良かったんだ。何を恨めばいいんだ。
――ああ、俺が間違ったのが悪いのか。俺のせいで全てが狂った。
軍曹と伍長の苦しみも、俺自身の苦しみも、俺のせい。
俺が罰されて希望を失う部下が出るであろう事も。今後あいつらがのさばり、組織が腐っていくであろうことも。
全部、俺がきっかけを作ったんだ。
――そこからどうやって面談が終わったかは、忘れた。
また暗くなって、俺の声。
『ここからだよね、どんどん敵が増えたのは。心身共にボコっていい元兵長なんて、憂さ晴らしには最適だもんな』
……そりゃそうか。理解はできるよ。俺はやらないけど。
『こうして気力を削がれる前に転職しておけば良かったのにね。結局はロハを出て再就職することになったんだしさ』
そうだな。本当に。別の軍事系企業の求人を見ても、何故か怯んでしまったんだ。兵団に愛着があったからだろうな。馬鹿みたいな忠誠心もあった。そして兵団もきっと俺を大事にしてくれる筈だなんて……愚かな期待をしてしまっていた……。
『――しんどいか?』
当たり前だろ。思い出さないようにしていたのに。もう一度見せて何になるんだ。
『これからも闘うんだよ。思い出さなきゃ、向き合わなきゃ、闘えない。先に進めない。過去にずっと囚われてたら、身動きできないんだ』
別にいい。新しい仲間といれば楽しいから、もうそれだけでいいよ。
『じゃあ、なんで死のうとしたんだっけ?』
え……うっ、あっ……。
『……てことで、次が最後だよ。これは割と最近だ。トドメを刺されたね』
ああ頼む、これ以上は! 嫌だ、嫌だ――。




