13章78話 人生を注ぎ込んだギャグ
風竜は俺に背を向けて仲間を追ったりはしない筈だ。そんな隙を見せたら――という殺意は、伝わっているだろう。
駆け出す。かなりスピードは落ちてきているが、脚を奮い立たせた。
狙う場所は胸部。心臓の位置に核がある筈だ。
……だが、風の刃の塊が飛んでくるせいでなかなか距離が縮まらない。
ようやく足元へ辿り着き、胸部へ剣先を向ける。だが、急所を突く隙など与えて貰えなかった。噛み付きを回避して着地した先は右腕の目の前。簡単に薙ぎ払われて吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「ぐうぅ……!」
全身に衝撃を与えられるのは何度目だろうか。あちこちが痛んで呼吸も苦しくて、伏したまま呻く。だが距離が空いたのはまずい。ショートレンジアタッカーで精霊力もあまりない俺は格好の的。
なんとか立ち上がり、放たれた刃の塊を避けた。近づく隙もなく、次々と飛んでくる小さな風術弾を躱し続ける。
足のステップで。体捌きで。よろけながら。頭から滑り込んで。ごろごろと身体を転がして。
「はあっ、はあっ。――わあ! ぜえ、はあ、げっほ……あぶねっ!」
もう余裕が無い。兵団時代の記憶と今の自分の大きな乖離に虚しくなる。
……全盛期からは歳をとった。発病は二十四歳。かなり稽古の質は下がり、遂には一年も寝て過ごした。
精神を守るため、厳しく自分を追い詰めるような鍛錬も出来なくなった。頭は鈍くなり、戦闘中の対応力も咄嗟の判断力も落ちている。集中力も精神力も弱まり、精霊術すら前より使いづらい。年齢に合わせた戦闘スタイルの調整だって中途半端だ。
俺の力は、確実に失われている。痛い程に、分かる。
……なんて、最初の盗賊団の仕事の時から思っていたじゃないか。とっくに、分かっていたんだよな。
そのくせに、ここまでズルズルと無駄に生きやがって。受け入れてもらえることに胡座をかいて、安心していやがって。
自分の愚かさが馬鹿馬鹿しすぎて、顔が勝手にニヤけた。まあ、今までの俺の人生全部を注ぎ込んだギャグだもんな。自分が面白がらなかったらどうするってんだ。
「あはっ――はぁ、はっ。……ふふっ。ぜぇっ……へぁははは! あぁ疲れた! ほんっとに疲れたぁ!」
――何にも出来なくなった自分なんて、もうどうでもいいって、いつから思ってたんだろうな。
脚力が落ちてきて避けきれず、身体を反らしたが腹と胸をやられた。
「ぎっ……!」
鎧を複合型に溶かされた箇所が鋭く傷んだ。深い傷ではないが、確実に動きにくくなった。
歯を食いしばって体勢を整え、また走り出す。頑張れ、俺なら出来た筈だ。死ぬ気でやれよ!
自分を叱咤しても、もう心が折れかかってる。涙が滲んで過呼吸気味だ。弱い。弱すぎる。こんな俺、大嫌いだ。
うじうじしていたら、また避けそびれた。咄嗟に跳んで伏せたけど、背中を切り刻まれた。
「ぐうっ!」
切削耐性強化の筈の革鎧が何の意味も為さない。
機動力を犠牲にしても、金属の防具にしておけば良かっただろうか。だが機動力がなければここまで躱せなかった。だがインナープロテクターも、耐衝撃用だ。こっちはもう少し考えれば、工夫できたかも知れない。……でもあれだけ吹っ飛ばされたしな……。
とにかく、防具を対風竜仕様で新調しておくべきだった。自費じゃとても無理だが、おそらくは会社に相談すれば買って貰えた。
……だが、言えなかった。レイジさんとダンカムさんが経営について真剣に話し合う所を見ていたから、遠慮してしまった。何とかなるだろうと、リスクを見ない振りをした。――これも、俺の弱さだ。
随分長い時間、躱し続けて逃げ回った。距離は一向に縮まらない。竜の風術力は底なしなのだろうか。……いや、簡単な攻撃で力を節約して、手数で俺の体力を削る狙いだ。
そして、その狙い通り、俺はもう息をするのもままならない。痛い。苦しい。気持ち悪い。だるい。
広場はあちこち削られたり抉られたりで、かなり足場が悪くなってきた。気づけば今は観覧席の階段にいる。この位置は良くない。近付きたいし、階段の足場の悪さは言うまでもない。
攻撃を跳びながら避けて舞台へ降り立った時、砕けた石の破片を踏んでかくんと足首を捻った。体勢を保てず、派手に転んだ。
捻って後ろに伸びた左脚が深く切られる。広範囲の激痛に、みっともなく声が漏れた。
「あああぁ!」
頭を擡げて傷を確認すると、五本の深い切り傷が自由な方向に伸びていた。言ってしまえばズタズタだ。兵団時代の高価な強化ズボンを無視しやがって。さっきから何なんだ、強すぎて腹が立つ。
涙目で風竜を睨む。奴もまた、ヒュウヒュウと荒れた息をしていた。息が整ったら、次の攻撃を用意するだろう。
目の前が痛みと涙で霞む。失血のせいか、勝手に視界が揺れる。硬い地面に腕をついて身体を引き擦ってみたが、心が断末魔を上げたので、止めた。
ゆっくり上体を起こす。観覧席と舞台を隔てる壁に背を預け、愛剣を地面に置いた。
ああ、負けたなあ。
もう負けていいよな? 時間は結構稼げたし、トラクさんも逃がせた。皆、片翼の竜じゃ追えないくらいは遠くへ行けたはずだ。後のことは、全部話したログマが何とかしてくれるだろう。
うん、負けを認めていい理由は沢山ある。逃げても諦めてもやめても、誰も俺を責めない。自責の絶えない俺自身でさえ、仕方ないと納得している。
やり切ったんだ。今の自分に出来る事を、全部やった。仲間を助けたいという、自分の信念の為に動いて、成功した。悔いは全くない。
――それに、苦しい生にしがみつくより、名誉の死を選ぶ方が、絶対に良い。
「はは……」
天を仰いで、穏やかに笑った。これにてお暇を頂こう。
もう、頑張らなくていい。休んでいい。苦しまなくていい。泣かなくていい。嫌いな自分と、さよならできる。ようやくだ。ああ、嬉しいなあ。
刃の塊をモロに食らう。全身の鋭い痛みで息が止まり、声すら出なかった。
もはや無用な長年の経験が、首から上を庇わせた。俺の馬鹿、死に損なっただろうが。
盾にした両腕が凄く痛い。腹と胸、背の傷も鋭くズキズキする。走り続けた脚も痛む。特にさっき深く刻まれた左脚は、力を入れることも出来ない。ただでさえ全身が水と血でびしょ濡れなのに、広がっていく血溜まりに座っているのが気持ち悪い。喉が乾き切って息が苦しい。ああ、しんどい。もう楽になりたい。
風竜が口を開ける。次の一発で、俺は終わるだろう。
終わるんだ。――終われる。
『おい』
顔を上げられないから確認できないが、誰かが呼んでいる気がした。よく知ってるけど、嫌いな声。
……俺の声だ。




