13章76話 死に方
俺の顔を見たログマが、遠目でも聞こえる音量の舌打ちをする。
「ああ、俺ももうまともに戦えない。――撤退に切り替えるぞ!」
異論は無い。頭にはもう、仲間を生かすことしか無かった。広場の上部、怪我人達の回復状況が心配だ。ケイン達が守ってくれたと信じたいが、聞こえるざわめきは不穏な雰囲気だった。
ログマの元へと駆け寄り、外傷回復薬を彼の両腕へとかけた。近くで見ると傷の深さがよく分かり、眉間に皺が寄る。骨に達しているのではないか?
「……これ……相当しんどいだろ。病院での治療まで耐えられそうか?」
「あー、骨を金槌で殴られ続けてるみたいに痛え。だが致命傷じゃねえし、失血も意識は保てる程度だろ。気にするな」
重傷にも関わらず気丈な対応。正直助かる。この状況では彼を頼るしかないから。
「ログマ、キツい時にすまないけど、皆の安否確認と回復、逃走の誘導を頼めるか? 動ける人と一緒に怪我人を支えて、撤退を進めてくれ」
「分かった」
見回すと、階段に横たわったカルミアさんとテレゼさんが身体を起こすのが遠目に確認できた。掠れた大声で呼びかける。
「カルミアさん、撤退だ! 皆と合流してとにかく遠くへ!」
カルミアさんは手を挙げて答え、テレゼさんを支える形で、よろよろと観覧席を駆け上がっていった。良かった、動けている。
あとはトラクさんだが――。
彼を振り返った肩を、まだそこにいたログマに掴まれた。
「諦めろ。意識のない大男を担げる奴はいない」
カッとなった。無意識に噛み締めていた歯が軋んだ。ログマにバッと向き直る。
彼の顔は信じられないくらい冷静だった。なんでそんな顔で、そんな無慈悲なことを言える!
「ふざけんな! 怪我と意識を回復させりゃいいだけの話だろ!」
「そんな時間も余裕もない」
「だからなんだ! 時間は作るんだよ! 俺だって少しは回復術が使える、薬もまだある!」
「所詮は他社の人間だ、そこまでの危険を冒す義理はない」
「一緒に戦った仲間だろうが!」
「……お前、犠牲を増やすのは嫌なんじゃなかったか?」
「増やす? ああそうだよ、犠牲を出したくねえんだよ! 俺が、彼を回復して、時間を稼いで、全員で逃げるんだよ! ログマには他の皆を頼むって言ってんだろ、早く行けよ!」
「――こんのクソ馬鹿が! お前も死ぬって言ってんのが分からねえか!」
荒い息が震えて、言葉が止まってしまった。
――おそらくログマは、自殺行為だって叱ってくれている。じゃあ別の方法を…………ダメだ、何も思いつかない。まだ戦える俺が時間を稼いで、全員で撤退する。それ以外あるか?
だがそれはダメだと? だから、仲間を諦めろと?
「……なら、もう少し皆で――」
「これ以上の戦闘は犠牲を増やすだけだ」
「じゃ、じゃあ、どうしろって――」
「諦めろ。二度言わせるな。行くぞ、竜が動く」
駄目だ、無理だ、嫌だ。
限界まで追い詰められた精神が泣き叫んで、俺の頭を掻き乱している。碌な言葉を発せない。
「あ、うう……ああ……ごめん。ログマ、ごめんな」
「まだ言うかゴミ!」
言葉を選べないまま、口に出した。
「俺、耐えられない。他人の死なんて背負えない。逃げた自分を許せない。無理だ」
養う家族がいるって言っていた。死にたくないって言っていた。それでもレヴォリオを信じて死地までついてきてくれた。危険な前線に立ち続けてくれた。
そんな人を見捨てて、孤独に死なせるのか。まだ、生きてるのに? あの、打ち捨てられた無惨な遺体達と同じにするのか?
そして、死にたがりの俺は無事に逃げて、彼の分まで一生懸命生きますって……?
本当に無理だ。吐きそう。
震える声が溢れる。
「――そもそも、逃げ切れるのかな?」
怪訝そうに顔を顰めたログマの目を見て必死で語りかける。
「なあ、ログマなら分かるだろ? ウィルルもヤーナさんも、ケインまで消耗しきって、攻撃部隊も全員ボロボロだ」
「――ああ、そうだな」
「レヴォリオは意識がない。彼はカルミアさんとナウトさんで抱えて貰おうか。ログマが回復と誘導に回って、残りのサポートは俺が頑張るとしても、後ろの声を聞くに、もっと怪我人は増えてるだろう」
彼の目が泳ぎ、言葉の歯切れが悪くなった。
「それは、そうだろうが……」
「こんなんじゃ俺達は全力で走れないよな。それに対して竜は、翼も両脚もしっかりしてる。攻撃の射程も長いよな」
無言で唇を噛む彼に一歩詰め寄る。
「そうだろ! なあ! この状況でトラクさんを見捨てて九人で逃げたとして、助かると思うのかよ?」
「……こんな時まで、得意のネガティブ思考に俺を巻き込むな!」
「助かるかって聞いてんだよ! 答えろ!」
「……可能性に賭けるしかねえだろ!」
頼りない声に力を込める。
「そうだよ。何に賭けるかの違いだ。俺がトラクさんを救って、全員で生きて帰るっていう可能性に賭けてくれ!」
「そっちの方が望み薄だ!」
ここまで言ってもダメなのか。泣きそうだ。この状況でもログマの整った顔つきは冷静なままだ。俺とは真逆。恥ずかしくなって、せめてと無理やり笑った。
「はは……そうかよ。じゃあ九人で逃げるとしようか。俺も一緒に、皆を安全なところまで逃がすよ。その後で自殺するから、犠牲者はその二人で抑えよう」
「は……?」
「本当に無理なんだ。罪悪感に耐えられそうにない。気が狂う。……俺が逃げても残っても、どっちでも一緒なんだ」
ログマは見た事のない顔で俺を見ていた。呆れているのか、苛立っているのか、幻滅しているのか。
お前はいつも俺を傷つける表情をするよな。今更、良いけどさ。いつも通りに苦笑して、続けた。
「な、一緒だろ。だったら俺、トラクさん含めた全員を助けられる方の選択肢に賭けたいよ。まだ戦えるから。相手はあの傷だ、倒せるかもよ。俺も結構強いんだからな」
「つまんねえ冗談を――」
観覧席の上からケインの大声が凛と響いた。
「三人とも! 早く来て! 急いで撤退しなきゃ! 今のでヤーナさんがやられた、足止めはできないの!」
俺達は彼女の方を見上げた後、また向き合った。ログマは左右非対称の変な顔をしていたが、きっと俺も変な顔をしている。
「――だってさ。やっぱ俺が残った方がいいよ。皆には、俺とトラクさんが最後尾を務めて後から追いかけるって言っておいて。閃光弾は俺が持ってるし、納得はしてもらえるでしょ」
「う……」
「頼むよ。イルネスカドルの皆が死ぬなんて、想像すらしたくない。皆を逃がしてくれよ……強くて合理的なログマだから頼めることなんだ……」
彼は固く握った拳を震わせ、背を向けた。
「勝手にしろ」
そして肩越しに少し振り返り、吐き捨てた。
「……その死に方を選びたいなら、止めない」
階段を駆け上がる頼もしい背中を見て心底ホッとした。正面に向き直り、深呼吸する。
すっかり動揺してしまった。切り替えろ。
俺のやるべき事もやりたい事も一緒だ。何も分からない闘病に比べたら遥かに単純な話。頭が冴えて楽になっていく。
仲間を全員、生きて帰す。
竜へ向かって駆け出した。




