1章4話 誰の墓ですか!?
レイジさんは廊下の一番手前のドアを開けて入っていった。足が速い……。小走りで追う。
この部屋は社長室と言ったところか。促されて下座のソファに座る。レイジさんはローテーブルに書類一冊を置き、向かいのソファに座った。
「入社前に同意は貰ってるが、改めて労働条件の確認だ。一通り聞いてもらう」
労働条件を要約すると、給与は完全出来高制である代わりに、社員寮の提供、生活支援、希望者へのカウンセリングを破格で受けられるという契約内容だ。
この契約が成り立つのは、国からの補助金があるからだ。『精神福祉支援制度』の認定を受けた企業は、この補助金を運営費用として受け取ることができるらしい。
レイジさんが指を二本立てる。
「お前が稼ぐ手段は二種。社内業務と、外部依頼の請負」
社内業務は、会社運営関連が主。業務の報酬と条件を確認して、自分で作業内容を選ぶ。請求書一枚完成で三百ネイ、と言った具合だ。なお、俺のリーダー業務の報酬は、毎月一万五千ネイの定額らしい。
そして外部依頼の請負――これが、イルネスカドル本部の特色であり、俺達の生活、そして会社を豊かにする肝だとの事だ。
「支部チームにも、別事業で働いて貰ってる。でもうちの収益は、本部チームが稼ぐ分以外は、補助金が大半。要は、本部チームが会社の主力ってこと」
俺達が仕事で得た報酬のうち、四割が会社の利益となり、残りを稼働人数で等分した額が、各人の懐に入る。請負う仕事は、基本的には役員とリーダーが決める。
勿論、タダでここに居られるわけじゃない。社員は、いわゆる施設利用料を支払う事になる。家賃の他に食費や消耗品代、水光熱費等が乗っかって、個々人の負担額は、月で五万ネイくらいになるらしい。この額は、この帝都で一人で暮らすより格段に安い。
そして、契約解除条件の説明をされた。
「三ヶ月間連続で施設利用料の支払いが出来ない場合は、原則契約解除になる。他は、一般企業と大体一緒」
レイジさんは淡々と続けた。
「その後の住居と仕事、あるいは入院先を、ある程度は紹介する。退去までの猶予期間も設ける。だが、留意はしてくれ」
あとは、難しい法律の説明。決まりだから読んでるだけって言っていたので、忘れることにする。
長い説明を終え、レイジさんは前傾だった体を起こす。
「働く時間も場所も量も自由だし、生活環境も悪くないと思ってる。だが、自主的に動けることを前提にしてる」
彼は、部屋の隅に立てられた双剣を指差した。彼のメインウェポンだろうか。
「戦闘の仕事がある分、他の精神疾患者向け雇用に比べたら報酬は得られる。反面、厳しいと感じる人もいるのが実情だ。――できるか?」
むしろやらせて下さいって感じだ。頑張っただけ報酬が貰えて、得意な剣技も活かせて、生活環境を与えてもらえて、病気にも理解がある。こんな職場、他に見つけられる気がしない。
「勿論です。頑張ります」
レイジさんが、心なしか嬉しそうに膝を叩いて立ち上がった。
「よし。これでお前は正式に、株式会社イルネスカドル、本部チームリーダーのルークだ。頑張ろう!」
「はい!」
気持ちが上向くのを感じる。仕事を辞めてから、期待される、上を目指す、というこの感覚から離れてしまっていた。
契約書の控えと、施設のルールブック、案内図を受け取った。
「じゃあ改めて、会社を案内するよ」
案内図を見ながら、レイジさんと社内を歩く。
自分の剣の他、武器の類は全て、鍵付きの武器庫に預ける事になった。実務以外での使用には、申請と承認が要るらしい。おそらく、自殺の予防だ。
一階の倉庫に武器を預けた後、廊下の奥へ進む。行き止まりかと思ったが、勝手口らしきドアがあった。
レイジさんが開けた先は外へ繋がっていた。思わず、感嘆の声を上げた。
若々しい木々と石の塀で囲まれた、広い裏庭。屋根付きの広い稽古スペースがあり、打ち込み台や的、小さな精霊殿もある。奥の方には野菜が植えられた畑が見えた。
「多目的に使える裏庭だ。奥の畑はウィルルの趣味で作ったばかりだが、去年は結構豊作で食費が浮いたんだ。基本、自由に使ってくれて構わない」
「分かりました。――いいですね、ここ。剣の稽古が捗りそうです」
「それは何よりだ」
レイジさんが勝手口から中に引き返したので続こうとしたが、畑の端の方に気になる物があった。
石碑だろうか。とにかく大きな岩らしいものがある。この空間の中ではなんだか浮いて見えた。
「あの、レイジさん。あれはなんですか?」
「うん? ――あれか。墓」
「墓?」
「ああ。墓標」
心臓が縮み上がった。
墓といえば大体は、各地の墓所や精霊殿敷地内の霊園、信教がある者であれば各々の協会の敷地内にある。それぞれ決められ、管理された場所にあるのだ。住環境内に墓があるのは怖いし、聞いたことがない。
思わず、動揺した勢いで聞いてしまった。
「誰のですか! なんで敷地内に――」
言ってから、多分深堀りしない方がよかったなと思った。でも、レイジさんは答えてくれた。
「仲間だよ。殉職した奴も、自分で終わらせた奴もいる」
彼はどこか寂しそうに、空を見上げた。
「皆、一生懸命生きようとしてた奴らなのに、骨の行き場がなかったりするんだよ。そういう奴らには裏で見守ってもらってるんだ」
骨の行き場がない理由は、俺にも大体想像がつく。悲しいと言うか、正直、胸糞悪い話だ。
レイジさんは俺を見た。
「うちに来るのは精神疾患者だ。終わりが怖い時も、終わらせたい時も、あるらしいな」
目を逸らし、頷いた。
「俺にはよく分からないから、せめて『終わった後』の居場所を用意しておいてやろうかなって思ってるのもある。まあ、自己満だよ。縁起は悪いしな」
この人は、優しい。俺みたいな病人のことを真摯に考えて、最大限寄り添おうとしているんだと思った。
「そうだったんですね。すみません、嫌なことを聞いたかも知れないです。でも、聞けてよかったです」
レイジさんはそうか、と言って、今度こそ踵を返した。表情は見えなかった。
「行くぞ。昼飯の時間だ。部屋に荷物を置いて、食堂に行こう」
返事をして続く。気づけばすっかり空腹だ。
もし、俺が今死んだとしたら、どこへ――。考えたけど、やめた。
一階には社員用個室が六部屋ある。俺の部屋は五番らしい。
入ると、最低限の家具が一通り用意してあり、寝具は新品。俺が持参した以外の、業者にお願いした大きな荷物は、既に入れてもらっていた。大きな窓から河が見える明るい部屋だ。家具類を壊さなければあとは好きに使っていいとのこと。あまり期待していなかったが、これは過ごしやすそうだ。
早速新しい部屋作りを始めたい気持ちだが、今はまず昼食。荷物を置くだけ置いて、上着をかけて出ていった。
部屋の外に立っていたレイジさんは懐中時計を見ながら考え事をしていた。
「あー、俺、午後の予定の都合で、昼飯は外で食べるわ。さっき皆と顔合わせした所が食堂だからよろしく。俺の分は要らんって言っておいてくれ」
じゃ、と両肩を力強く叩かれる。
「期待してるし、応援してるぜ。またな」
行ってらっしゃいませ! と元気に礼をしたら笑われた。前職の癖だ。
見送った後、食堂に向かう。階段を上がって踊り場まで来ると、ほんのりと、炒めた玉ねぎのいい香りがした。新しい仲間との食事時間はちょっと緊張するけど、楽しみだ。
上がりきってドアを開けようとしたら、不穏な声色の会話がかすかに聞こえてきた。
……なんか、嫌だな。このまま無防備に入って行きたくない。趣味は悪いが、ドアの隙間に人差し指を当て、少し風の精霊の力を借りて音を盗み聞く。
――これはカルミアさんの声だろうか。
「ログマ、今日少し言い過ぎだ。ケインはもう充分反省してる。これ以上詰る事はよせ」
「おっさんはいつでもお優しくてご立派だな。でも計算は苦手か? 数字で考えろ」
「ごめん。私が悪いよ。考えがズレてた。カルさん、庇ってくれてありがとうね……」
どうやらケインさんの事でカルミアさんとログマさんがぶつかっているようだ。
なんだかすすり泣きが聞こえるのは、ウィルルさんかな。ダンカムさんは、どこかに行ったのだろうか。
ログマさんがなおも苛立った声で続ける。
「今回の事だけ、ケインだけじゃないから今ここで言ってんだよ。リーダーが居なくなって、新人リーダーが来たって状況だから、尚更だ」
そんな気はしていたが、俺の入社が少なからずきっかけになってしまったらしい。凄く申し訳ない。
ログマさんは止まらない。
「お前らはここのところ、小さい擦り傷を仲良しこよしで舐め合って、金ばかり使う。イライラする。危機感がなさすぎんだよ」
そして、一段と強い語気で吐き捨てる。
「ここ以外に居場所無いくせに」
確かに、言い過ぎじゃないか。ケインさんが息をつまらせ、ウィルルさんがしゃくりあげる。カルミアさんらしき、席を立つ音も聞こえた。どんどん不穏な雰囲気になっている。
一段低くなった、カルミアさんの声。
「いい加減にしなさい。今のお前は正しさを傘に着て感情を撒き散らすガキだ」
「はは、やる? いいよ、最近出撃してないからな」
もう聞いてられない。勝手に聞いたけど!
「やめろ!」




