11章55話 悪夢の中の、家族……?
11章 明暗を分ける
見慣れた広いリビングは、家族の物と思い出でいっぱいだ。
テーブルの周りに、父さんと母さん、妹のエアリアが座っている。それを、立ったまま見ていた。
本を読んでいる父さんが、こちらを横目に見た。
「今日の調子はどうだ」
「悪くはないよ。心身ともに」
父さんは何も言わずに、目線を手元へ戻した。
今度は、母さんの笑顔が俺に向く。
「よかった。病気が良くなってきたんだね」
「……それは、分からないよ」
母さんは眉を顰めた。
「どうして? 心を病んだ原因は仕事でしょう? とっくに辞めたじゃない」
苛立ちと悲しみがないまぜになって、拳を握った。
「心っていうか……脳の不具合って感じで……前も説明したじゃん……。原因がなくなっても、脳がすぐ元に戻るわけじゃない」
母さんは食い下がる。
「最近は明るい日も増えたでしょ? 今日だって悪くないんでしょう? それでもダメなら、いつ治ったって言えるの?」
はは……。俺が聞きたいよ。
「分からない。今日はたまたま良いだけだ。いつ崩れるか分からない。病院にも通ってるし、薬も飲んでるけど、いつ安定するのかは俺だって分からない」
こうして話すと、分からない事ばっかりだな。
母さんは机を叩いて立ち上がった。
「そんな怪しい薬飲むなって言ってるでしょ! 治るものも治らないよ! ゆっくりして、沢山食べて、沢山運動して、沢山寝れば健康に――」
俺も声を荒げた。
「そんな事散々やったじゃねえか! 見てたろ? 俺だって治そうとして、考えて、病院の言う事を聞くって決めたんだ。ほっといてくれ!」
母さんが呆然と座ってさめざめと泣き出し、父さんが眉間に皺を寄せて俺を睨む。
「ほっとける訳ないだろ? いつまでもそんな調子だと父さん達も困るんだ。お前がくよくよと引きこもってるせいで、皆の肩身が狭いんだよ。早く元に戻れ。それだけで皆幸せになる。分かるだろ?」
苦しくて苦しくてたまらなくなり、胸元を押さえた。
「分かるよ、俺が一番分かってる! 好きで幸せを奪ってるわけじゃない、俺だって元に戻りたい! だから色々やってる! なんでそんなこと言うんだよ!」
母さんが泣きながら、ヒステリックに叫ぶ。
「頑張り屋で強い子だったルークはどこに行ったの! ……私の育て方が悪かったって言うの? ねえ! そういうこと!」
ああやめてくれ、胸が張り裂けそうになる。
「違う! 母さんは悪くない。俺が、俺だけが悪いんだ! ……でもさ、俺、今も頑張ってるよ……分かってよ……」
父さんまで、苛立ったように吐き捨てる。
「情けねえ息子だな。嫌になる。心の病とかいうデタラメを信じて甘えてるだけだ。期待外れだよ」
一字一句が俺の心の急所を射抜いた。口だけが動いて、素直な疑問を吐き出した。
「……俺は、甘えてるの……?」
「そんな事も分かんねえか。お前は近頃、弱音ばかりだ。できない理由ばかり並べて、何もしない。そんなんだからダメなんだ。職場で少し失敗しただけで腑抜けやがって」
横隔膜が痙攣している。
「そんなこと……言わないでくれ……死にたくなるから……」
思わず零した禁句が、母さんを狂わせた。
「死にたいだなんて! この親不孝者! ここまで育てた恩を仇で返すつもり?」
「あっ……も、もう言わない! 恩に感じてるよ……!」
「前もそう言ったじゃない! 何度親を傷つけるのよ! 謝れ! 今すぐ謝りなさいよ!」
「う、うう、ごめん……ごめんって……」
父さんも母さんもエアリアも、泣きそうな俺を睨んでいる。そんな冷たい目で見んなよ。家族だろう?
――あれ? 俺の事を疎ましく思う、味方じゃない人達が、家族? 今まで思っていたのとは違う気がするな。
父さんはため息をついて、手元の本を閉じた。エアリアに笑顔で話しかける。
「久々に家族で外食するか。ほら、母さんも」
三人は席を立ち、横を通りすぎてリビングを出て行く。
最後尾のエアリアの声が、背中に刺さった。
「精神病の兄がいるなんてさ、夫に言えないんだよね。ほんと迷惑。さっさと治すか、それができないなら死んでくれる?」
耳慣れた足音が遠ざかる。
テーブルの周りの椅子は、三脚だった。




